0075.全て焼魚の為
少年兵モーフは、焼魚の旨さを思い描きながら、瓦礫を除ける作業に加わった。また、あれを味わえるなら、魔女の手伝いをしてもいいとさえ思える。
エプロンのレノと少女ピナ、その妹の三兄妹が、魚を竈の中心に並べた。
焼く前の魚は、ぬらぬら光る。動かないのは、緑髪の魔女が殺して持って来たからだろう。
工員が道に出る。モーフは目で追った。街路樹から小枝を折り取って戻る。少年兵モーフは好奇心が湧き、次の動きを待った。
「じゃ、焼くから下がってくれ」
竈の内径に沿って小枝で線を引く。コンクリートの上に炭跡が黒く残り、円が描かれた。
工員は焼け焦げた小枝を円の中心に立て、モーフの知らない言葉で何か呟く。湖の民の歌に似た雰囲気だ。
工員の声が止んだ途端、竈の中に火柱が上がった。
モーフは思わずのけぞり、尻餅をついた。
「おいおい、大丈夫か?」
元トラック運転手メドヴェージが助け起こしてくれた。
恥ずかしさに消え入りそうな声で辛うじて礼を言う。メドヴェージは、モーフの背を軽く叩いて笑った。
火柱はモーフの膝の高さ。
炎の先端が、瓦礫を積んだ竈の上に少し出る。竈の外には全くはみ出ない。
燃料は工員の魔力だ。
マッチやライターなしで火を熾し、薪や固形燃料がなくても、焚火ができる。
魔法使いなら、この寒さの中でも格段に生存率を上げられるのだ。
……ん? あれっ?
モーフは魔法の焚火に手をかざした。
暖かくない。
いや、それどころか、一筋の煙も上がらない。
戸惑うモーフの横で、工員がもう一度何か言った。
炎が一瞬で消える。
あんなに燃え盛ったのが嘘のようだ。後には、何かが燃えた灰などは全くない。こんがり焼けた魚だけが残された。
「熱いから、まだ触んなよ」
そう言いながら、工員が竈の瓦礫を除け、足でこすって円の一部を消した。
途端に熱風が吹き出し、旨そうな匂いが辺りに漂う。
幾つもの腹が同時に鳴って、工員がもう一度、「熱いから、まだ触んなよ」と言うと、苦笑が漏れた。
……待てって、いつまで待ちゃいいんだよ。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長を見た。その目がどこか遠くに向く。モーフは視線を辿った。
何もない。
もう一度、隊長を見る。隊長は、また別の方を向いた。
「隊長、どうしたんッスか?」
「ん? あぁ、一応、見張りを……な」
焼魚を見詰める者たちが一斉に顔を上げた。
「気にしなくていい。今のところ、異状はない」
「あっどうも。半分に分けて、食べる間も交代で見張った方がいいかもな」
レノが隊長に会釈し、一同を見回した。数人が頷いて応じる。
食べる順番をどうするか、一同、顔を見合わせた。
もどかしい沈黙が続き、眼の前の焼魚が冷めてゆく。
「俺は後でいいや。ピナ、ティス、先に食えよ」
「薬師さんが獲ってくれたんだし、お先にどうぞ。俺も後でいいから、アマナ、先に食べてろ」
長い沈黙を破り、レノと工員が女子供に促す。
四人が遠慮すると、工員は更に言った。
「もう充分、冷めたろ。えーっと、そこの君。君も先に食べていいよ」
思いがけず声を掛けられ、少年兵モーフは戸惑った。自分の顔を指差し、本当に自分が言われたのか、目顔で確認する。
工員は穏やかな笑顔を浮かべて頷いた。
「そうそう。君だよ。スゲー腹減ってるみたいだし、いいよ」
「坊主、よかったな」
元トラック運転手が、モーフの背中をバシバシ叩いて笑う。
モーフは、工員の気が変わらない内に焼魚を手にとった。
熱くはないが、まだ充分あたたかい。直火に晒された表面は所々焦げ、尻尾は炭化してボロボロ。だが、香ばしい匂いは、護送車で食べた時以上だ。
少年兵モーフは、何も考えずにかぶりついた。
皮がパリパリ音を立てて破れ、口の中に熱い魚油が溢れる。焦げ臭さは気にならない。寧ろ一層、食欲を掻き立てた。
モーフは夢中で焼魚を頬張った。
☆焼魚の旨さ/護送車で食べた時……「0045.美味しい焼魚」参照




