731.書きかけの詩
「今日は私が様子を見に行こう」
父が扉へ向かうと、アマナがクルィーロの袖をギュッと掴んだ。ベッドに腰を降ろして妹を抱き寄せる。
「大丈夫だよ。ドージェヴィクさんが一緒だし、俺はアマナと一緒に留守番するから。なっ?」
アマナはクルィーロの手をするりと抜けて父に駆け寄った。父が困った顔で娘の頭を撫でて言い聞かせる。
「ラジオで、この辺はお巡りさんと政府軍の兵隊さんが守ってくれてるって言ってたから、大丈夫だ」
「でも……」
「街の様子を見て、すぐ……そうだな、一時間くらいで戻るから、お兄ちゃんとお留守番しててくれよ」
父は上着の裾を掴む小さな手をそっと離して力強く宣言した。
「必ず、戻るから」
父の右手と左足には【耐衝撃】の【護りのリボン】が一本ずつ結ばれ、ポケットにはクルィーロが魔力を補充した【魔力の水晶】を詰めている。
すっかり傷が癒えた雑貨屋の息子ドージェヴィクは、赤毛の頭を掻いて待っていたが、腰を少し屈めて小学生の女の子に言った。
「薬師さんに【不可視の盾】の術、教えてもらったから、君のお父さんは俺が護るよ」
アマナは無言で長命人種の青年を見上げた。
自爆テロに巻き込まれて重傷を負った彼では頼りないと思っても、黙っているなら大人の対応だが、父たちを困らせるのでは同じことだ。
「アマナ……」
「お嬢ちゃん、おばさんだって何回も外へ行ってるけど、大丈夫だったんだよ。そんな心配しなくても平気だから、こっちでお歌教えとくれ」
立ちかけたクルィーロに目配せして、雑貨屋のおばさんが手招きした。振り向いたアマナの目は泣きそうだったが、不承不承頷いてクルィーロにしがみついた。
雑貨屋のおばさんは、やれやれと苦笑したが、何も言わなかった。
「それでは、一時間くらいで戻りますので……」
「店が開いてたら何か買って来るよ」
「気を付けて」
二人が出て行くと、地下の寝室は急に静かになった。
さっきまで、足が痛いと泣いていたエランティスは、おばさんが【子守唄】で寝かしつけてくれた。一息ついたピナティフィダは、食卓にノートを広げて歌詞の続きを考えている。
薬師アウェッラーナは、レノと一緒に肉屋の娘夫婦の治療に行って留守だ。
クルィーロはアマナの肩をポンと叩いて立ち上がった。
「一緒に続き考えよう」
二人が座ると、おばさんが香草茶を淹れてくれた。食卓には「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞案のノートとメモ、国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」の歌詞を書き写した紙が広げてある。
「こっちは知らないけど、体操は私らも知ってるからね。あんたたちが行った後、街のみんなに広めとくよ」
おばさんが歌詞を書き写すのを再開すると、アマナは少し機嫌が直ったのか、表情を和らげてこくりと頷いた。
ピナティフィダがホッとしてノートに目を戻す。クルィーロも、歌詞の断片メモを手に取った。
何度も書いたり消したりして、くしゃくしゃになった紙に残るのは、少年兵モーフの拙い文字だった。誤字だらけの消し痕に目を凝らすと、「それ ゆめ かなう いのち いらない」と書いてあるように読めた。
別のメモを見ると、薬師アウェッラーナの整った文字でも「『この願いが叶うなら 命なんか惜しくない』忘れられない悲しい決意」と書いてある。
……命を懸けて……捨ててでも叶えたい夢や願い……平和を目指してるハズなのにな。
次に手に取ったメモは多分、男性の手によるものだ。レノの筆跡ではなく、ソルニャーク隊長の達筆やメドヴェージの力強い字でもない。ロークかファーキルだろう。
街を焼き払った炎 二度と繰り返さない
この命で罪を償う その願いが叶う日を夢見る
涙は涸れた せめて安らかにと祈る 友に
……“この”命? 自分の命ってこと? これ書いたの、ローク君なのかな?
アクイロー基地襲撃作戦に参加して、アーテル兵を殺傷したことを気に病んでいるのだろうか。
ここに居ない者のメモに籠められた願いに思いを馳せる。命を捨ててまで叶えたい願いは、いつの時点のどんなものだったのか。
みんなに会って確めたいような、怖いような気がして、クルィーロはそっとメモを置いた。
……みんな、元気にしてるかな?
薬師アウェッラーナが王都に跳んだ時、思いがけず葬儀屋アゴーニと再会して、星の道義勇軍の無事がわかった。
……もし、隊長さんたちが社宅まで一緒だったら、首都を出るタイミング、どうしてただろうな。
考えても仕方のないことだとわかっていても、考えがそっちに引っ張られるのを止められない。
ソルニャーク隊長はクルィーロたちよりずっと軍事に詳しく、一緒に居る間は一度も判断を誤らず、みんなを安全な方へ導いて守ってくれた。更に、半数以上が力なき民のほぼ素人部隊を率いてアーテルの空軍基地に侵入し、壊滅させた。
彼らのお陰で空襲が止んだと知れば、ネモラリス政府軍は正規軍に採用するのではないか、などと夢想する。
……そりゃ、戦わないで戦争が終わるのが一番いいけどさ。
どうしても戦わなければならないなら、平和ボケした若い兵や、国民を顧みないネミュス解放軍よりずっと頼りになる。だが、彼らはキルクルス教徒であることを理由に排除される。
……同じ、ネモラリスの国民なのにな。
クルィーロは「みんなで歌おう」の歌詞を横目に思う。ふと思いついてペンを執り、新しいメモ用紙に走り書きしてノートの傍に置いた。
ピナティフィダが手に取り、じっくり噛みしめるように見詰めて頷いた。アマナが横から覗いて小声で歌う。
「武器を手放し 歩む……」
雑貨屋のおばさんが淋しそうに笑った。
「みんながそうしてくれりゃイイんだけどね」
「そこなんですよね。偉い人たち、どう思ってるんでしょうね」
「武器……魔哮砲なんて、なかったらよかったのに」
アマナの呟きにギョッとして、クルィーロは妹を見た。聞こえない方の耳を押さえ、書きかけの歌詞を睨んでいる。
「お兄ちゃん、忘れたの? ファーキル兄ちゃんのあれで見せてもらったし、隊長さんも言ってたんでしょ?」
「覚えてるよ。アーテルが自治区民を助ける為だって宣戦布告したのはタダの口実で、魔哮砲を実戦に引っ張り出して『コイツら魔法生物を武器にしてますよ』って言う……」
「えぇッ? そうだったのかい?」雑貨屋のおばさんの顔色が変わる。「魔哮砲が魔法生物って……国連の査察はシロって新聞に書いてあったけど、ありゃ嘘だったのかい?」
「ラクリマリスに避難してた時に聞いた話なんですけど……」
クルィーロはそう前置きして、ラクエウス議員らの告発動画とアーテル、ラクリマリス両政府の公式発表の件をざっと説明した。
「お上は私らを騙してたってのかい?」
聞き終えたおばさんが憤るのも無理はない。
「国内のニュースでは何て言ってたか知らないんで……わざと嘘情報を出してたのか、単に不利な情報を隠してただけなのかわかりませんけど……」
おばさんの剣幕に怯えて、アマナがクルィーロに椅子を寄せた。
「あぁ、お嬢ちゃんに怒ってるワケじゃないんだよ」
「偉い人に怒って当たり前だと思います」
ピナティフィダが宙を睨んで言うと、おばさんは頷いた。
「それにしても、ねぇ? 解放軍に入った連中は、お偉いさんが嘘吐きだって見抜いたか、外国で情報仕入れてホントのコトに気付いたってこったよね? あたしゃ一体、何を信じりゃいいのさ」
「それは……俺も全然……わかりません」
クルィーロがアマナの手を握って言うと、他の三人も肩を落とした。
ピナティフィダが硬い声で言う。
「自分の身は、自分で守るしかないのよ」
……守るったって、このザマだしなぁ。
自分と、手の届く範囲の信頼に足るとわかっている者以外、全てを敵と看做して接触を避けるのは無理だ。
戦う力のある者の中にピナティフィダと同じ理屈で、自分と異なる考え、立場、属性の者を信用できないと斬り捨てて回る者も居る。
ネモラリス政府軍、アーテル軍、ネミュス解放軍、ネモラリス憂撃隊、星の標……「敵を排除する為」に戦う者たちの目には、戦う力のない者が映っていないとしか思えなかった。
「うん、まぁ、あれだよ。そうやって情報が伝わるんだから、早く戦争終わらせて平和になって欲しいって歌も、みんなに広まるんじゃないかって言うのが、この活動なんだ」
クルィーロには「みんなで歌おう」の歌詞を持ってひらひら振ってみせることしかできなかった。
☆国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」……歌詞は「275.みつかった歌」、曲への一般認識「243.国民健康体操」「272.宿舎での活動」、歌の広がりは「290.平和を謳う声」参照
☆歌詞の断片メモ……「511.歌詞の続きを」、元々あった断片「220.追憶の琴の音」「275.みつかった歌」、移動販売店以外の作詞「348.詩の募集開始」「378.この歌を作る」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆ファーキル兄ちゃんのあれで見せてもらった……「496.動画での告発」「497.協力の呼掛け」参照
☆隊長さんも言ってた……「364.国際政治の話」「365.眠れない夜に」参照
☆アーテルが自治区民を助ける為だって宣戦布告した……「078.ラジオの報道」参照
☆ラクエウス議員らの告発動画……「496.動画での告発」「497.協力の呼掛け」参照
☆アーテル、ラクリマリス両政府の公式発表の件……「499.動画ニュース」「500.過去を映す鏡」参照




