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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二十八章 浮動

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729.休むヒマなし

 目の奥には、まだ文字列の残像が滲んでいた。

 明かりを落とした部屋にはファーキル一人だが、会ったことのない人々が頭の中でアンケートを読み上げているような気がして、なかなか寝付けない。


 ……早く寝なきゃ。


 何度も寝返りを打つが、怒りに震え尖る文字、悲しみに滲む文字、苦しみに萎縮した小さな文字、幼く拙い文字、高齢でふらつく文字、傷の癒着で上手く書けなくなった文字が書いた人々の声に変わり、残響となって頭の中を駆け巡るのを止められない。


 ファーキルはアミトスチグマに来てから毎日、忙しかった。ネモラリス共和国から逃れた難民へのアンケートが始まってから、何日経ったのかもわからない。

 昼食で一時間休む他はトイレに行くくらいで、ファーキルは毎日十時間以上、入力している。

 アミトスチグマ人の協力者が二人、都合のいい日に数時間ずつ手伝ってくれるが、それでもまだまだ終わらなかった。



 眠気の芯が残る頭でぼんやり朝食の席に着く。


 「ファーキルさん、それ、カラシです!」


 アミエーラの声で動きが止まる。手許を見ると、ソーセージ用の粒マスタードをパンにたっぷり塗っていた。

 「あっ……これは……その、眠気覚ましに丁度いいかなーって……あはは……」

 笑って誤魔化して瓶の蓋を閉め、パンに齧りつく。鼻の奥にツンとした刺激が抜けて涙が滲んだ。無理矢理飲み下し、口直しにミルクティーをガブ飲みしたら、盛大にむせた。


 呪医セプテントリオーが【操水】の術で飛び散った紅茶を回収し、鼻に入った分まで取り除いて心配を口にする。

 「少し、休んだ方がいいのではありませんか?」

 「すみません。でも、大丈夫ですよ。さっきはちょっと考え事してただけで……」

 アミトスチグマの支援者宅で食卓に着く十二人は、納得いかない顔をしたが、それ以上言わずに食事を再開した。



 ラクエウス議員が、パンをスープに浸して食べながら言う。

 「コンピューターの扱いと言うのは、なかなか骨が折れる作業らしいな。ジュバーメン議員に頼んで、人と機械を回してもらうとしよう」

 「えっ……そんな大変じゃないんで、大丈夫ですよ」

 ファーキルは慌てて言った。


 ……アミトスチグマの国会議員の人に何かしてもらったら、オオゴトになり過ぎるって言うか、何か違う気がするし。


 中学生のファーキル……しかも、アーテル人の思いつきで、ネモラリス共和国の関係者だけでなく、アミトスチグマの偉い人まで動いてもらうのは、あまりにも申し訳ない気がした。

 「ジュバーメン議員に手助けしてもらうのを引け目に感じるのかね?」


 ……だって、これ、ネモラリスとアーテルの戦争なのに。


 アーテル・ラニスタ連合軍の無差別爆撃で難民化したネモラリス人が、アミトスチグマに受け容れてもらえただけでも、充分過ぎるくらい迷惑を掛けているし、有難いことなのだ。


 老議員は、ファーキルが思いもよらなかったことを言った。

 「だが、これはアミトスチグマ政府にとっても利益になる事業だ。気にせんでいい」

 「アミトスチグマの利益……ですか?」

 「森林の開拓民を欲しがっておるのだよ。難民キャンプの人々の何割が、どのような理由で残るかは、アミトスチグマ政府にとっても重要な情報だ」


 ラクエウス議員が、中学生にもわかりやすい言葉で説明すると、治療ボランティアで難民キャンプに通う呪医セプテントリオーが肩を落とした。

 「やはり今回の戦乱も、帰れない人が出るのですね」

 「だが、帰れないにせよ、帰らないにせよ、必要な支援を把握しておくに越したことはありませんからな」

 「それは否定しませんが……遣る瀬ないですね」


 キルクルス教徒の老議員が、湖の民の呪医と普通に話をするだけでも「凄い事」だが、この家で世話になっている者たちは、すっかり慣れっこになっていた。



 家主である湖の民の女性が、召使にお茶のおかわりを命じて退がらせる。

 「科学文明国のような環境破壊を起こさず、持続可能な方法で森を開拓できれば、我が国の経済は大いに潤いますからね」

 「アンケートで、儲かるんですか?」

 呪医が連れてきた自治区民の少女が首を傾げ、呪医と老議員と女主人を順繰りに見た。


 この家の女主人が商社の役員らしい答えを口にする。

 「この国は三分の二くらいが、森林に覆われています。何百年も前に森の(ぬし)は退治されましたが、人々の中に根付いた魔獣への恐怖はまだ残っています。気にしない人手が欲しいんですよ」

 「材木を伐り出す人が要るんですね?」

 ファーキルが聞くと、女主人は頷いて食卓のみんなを見回した。

 「湖東地方で幾つか内戦が終わって、復興用の建築資材の需要が伸びているのですよ」

 「成程(なるほど)……難民の何割かが留まって林業に従事すれば、ネモラリスとアーテルの和平が成立した後も、祖国復興の為に尽力してくれるでしょうからね」

 両輪の軸党のアサコール党首が頷いて、パンの残りを口に放り込む。


 彼の党の支持母体は、ネモラリス建設業協会とフラクシヌス教の少数派、岩山の神スツラーシの信者だ。難民キャンプでは、彼らが森から木を伐り出して住居を建て、伐採方法や建築の指導も行っている。


 アーテルのアクイロー基地壊滅後、空襲が止んだ地域では、復興が進んでいた。

 まだ終戦の(きざ)しも見えないが、アミトスチグマに逃れた難民が伐り出し、女主人の会社が買い取って輸出した木材が、祖国の復興に使われている。


 女主人とアサコール党首の話に、朝食を共にする人々が頷く。

 後から来た自治区民の少女サロートカは、これだけでは事情が飲み込めないらしく、同じ自治区民のラクエウス議員に問い掛けるような目を向けた。

 「アミトスチグマは、五百年ばかり昔も隣の戦争難民を受け容れて、平野部の畑を増やして農業を振興させたそうでな。まぁ、その当時と同じ気持ちで助けてくれるのだろう。持ちつ持たれつ、あまり気に病むことはなかろう」


 タイゲタが、ずり下がった眼鏡を押し上げて、ファーキルとサロートカに微笑む。

 「折角、助けてくれるんだし、今は思い切って甘えちゃいましょうよ」


 「キミって入力作業、一日も休まないで頑張ってるってホント?」

 タイゲタの隣に座る黒髪のアルキオーネに聞かれ、ファーキルはその瞳の輝きにどぎまぎして目を逸らした。

 「えぇ、まぁ、その……多いですから、休んでるヒマなんてないって言うか……」


 「過労で倒れたら、もっと作業が遅れるじゃないの。まともな会社だったら、最低でも日曜と祝日は社員を休ませるものなのよ」


 ファーキルは、可愛い声に生えた棘にギョッとして顔を上げ、“平和の花束”のリーダーを見た。アーテル出身のアイドルは、髪と同じ黒い瞳で鋭く大人たちを睨む。

 エレクトラが、大地の色の頭を小さく下げて、上目遣いにアルキオーネの無礼を詫びるような視線を送った。アステローペは豊かな胸を抑えてみんなをオロオロ見回す。


 女主人が、ひとつ咳払いしてアルキオーネの視線を受け止めた。


挿絵(By みてみん)

☆難民キャンプは彼らが森から木を伐り出して住居を建て……「415.非公式の視察」参照

☆アーテルのアクイロー基地壊滅……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」「504.術者への問い」参照

☆空襲が止んだ地域では、復興が進んでいた……「401.復興途上の姿」参照

☆五百年ばかり昔にも、隣国の戦争難民を受け容れて、平野部の畑を増やして農業を振興させた……「701.異国の暮らし」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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