728.空港での決心
「ディケア空港まで、タクシーで移動するからね」
ロークはスーツケースを押して倉庫会社の社長に続いた。トラックやトレーラーがひっきりなしに行き交うディケア港を抜けて、国道に出る。
排ガスの濃さに、思わず顔を顰めた。
黒々としたアスファルトには亀裂ひとつなく、八つの車線を埋める大型車両の群は、見えない糸で繋がれたように一定の速度で流れる。車線を区切る白線が、秋の日射しを照り返して目に痛い。
路肩で待つタクシーは、酷く場違いに見えた。
社長が、工事の音に負けない大声で予約者だと告げる。車の前で待っていた運転手がトランクにロークの荷物を積んだ。
社長に続いて後部座席に乗り込みながら、ロークは完成したビルをチラリと見た。十階建て以上のがっしりしたビルが、十月の小春日の下に堂々と聳える。
ドアが閉まると、騒音が少し遠のいた。運転手が巧みなハンドル捌きで車の流れに乗る。
「お客さん、うるさくてすみませんね」
「いえ、大丈夫です」
「この辺りはまだ復興途中で、工事現場だらけですが、来年か再来年くらいには全部終わりますよ」
「すごく急ピッチなんですね」
……長い間、戦争してたのに、復興費用はどうしたんだろう。
建築方法の違いか、ネモラリス共和国の建物は、高くてもせいぜい五階か六階止まりだ。それより高いビルを魔法なしで建てるのに、費用は幾らくらいになるのか、ロークには想像もつかない。
「教団本部や世界銀行、それにバルバツム連邦が、寄付や特別融資で復興を手助けしてくれてるんですよ」
運転手がバックミラー越しに誇らしげな視線を寄越す。
「ローク君、ネモラリスも我々が勝利を収めれば、こうやってすぐ復興できるよ。現に、自治区は見違えるくらいキレイになった。これから行くルフスの街をよく見ておいで」
「はい」
ロークは、車窓を流れる高いビルと工事現場を見て短く答えた。
……火事や空襲で焼き払われたから、雑妖が一旦居なくなって、魔物が減って、魔法なしでも安全になった? いやいや、隊長さん、自治区にも雑妖や魔物は居るって言ってたし。
ロークは、アクイロー基地に雑妖が居たかどうか思い出そうとしたが、アーテル兵の攻撃やオリョールたちが召喚した魔獣の記憶に押し流されてしまった。
空港の周囲は空き地や資材置き場、工事現場が多いが、完成した建物はどれもネモラリスで見た建物よりずっと立派だ。
垢抜けたデザインの空港も、イチから作り直したらしい。どちらを向いてもピカピカの設備が、不慣れな旅人を冷たく笑って迎えた。
「ディケアは、ネモラリスとは逆にフラクシヌス教徒の自治区を作って内戦を終わらせたんだ」
「魔法使いの人たちが、自治区で大人しくしててくれるんですか? 確か、魔法で移動できるんですよね?」
「当然、その対策はしてあるよ。それに、ディケアは百年くらい前に分裂して、力ある民は大半が南西の新しい国に移住したからね」
「魔法使いが少なかったから、キルクルス教徒が勝てたんですね」
社長はロークの答えに頷き、声に笑みを含ませた。
「周辺はみんな内戦や何かでそれどころではなくて、フラクシヌス教徒はディケアの同胞を助けなかったからね」
ロークは少し考えて、社長――星の標リャビーナ支部長が望む答えを返した。
「フラクシヌス教徒って割と薄情なんですね。隣に移住した人とか、親戚や友達がディケアに残ってるんじゃないんですか?」
「あっちはあっちで、キルクルス教徒が起ち上がったから、それなりに大変で、他所の国まで手が回らないんだよ。内戦はまだ続いているし」
ロークは反射的に外を見た。ガラス張り窓がどの方角を向いているのかわからない。少なくとも、見える範囲の空には煙も爆撃機の編隊も見えなかった。
「ここからは見えないよ。飛行ルートはラクリマリスの湖上封鎖の後、内陸寄りに変わったから、とばっちりを食うこともない」
「そ……そうですか。安心しました」
ロークは社長の勘違いに話を合わせた。
……トポリ空港の復旧を急いだのも、これが目的なのか?
与党……秦皮の枝党に巣食う隠れキルクルス教徒は、キルクルス教国化したディケア共和国と国交を結びたがっているのだろう。
正式な国交樹立前に民間の業者が商売を始めてしまったが、役所は取り締まりどころではない。大使館などを置いていない国で、リスクは高い筈だが、この社長は同じ信仰を持つ者を全面的に信用しているのか、既に倉庫を建てていた。
……渡航制限って解除されてたっけ?
もしかすると、ディケアの復興支援とネモラリス内の紛争リスクの分散を兼ねての事業展開かもしれない。
チケットを受け取り、搭乗手続きを済ます。
「ローク君、私はここまでだが、隣の席は教団の事務員さんだ。機内で何か困ったことがあれば、助けてもらうといい」
「何から何まで……ありがとうございます」
……何から何まで、監視付きか。
ロークは如何にも感じ入った風に喜んでみせた。
飛行機に乗るのは初めてだが、高揚感はなく、飛ぶ不安よりも“彼ら”への嫌悪感とどうやってランテルナ島に渡ればいいのかと言う悩みの方が大きい。
星の標リャビーナ支部長の社長に見送られ、搭乗口の行列に並ぶ。乗客が暇潰しにタブレット端末をいじるのが目に入った。
……ファーキル君みたいにインターネットで調べればいいのか。
少し気が楽になり、先のことを考える。
これからしばらくは、完全に孤軍奮闘することになる。
……なるべく周りと仲良くやって、アーテルの情報を引き出して……でも、何やってるかバレないように気を付けなきゃな。
後でどんな情報が役に立つかわからない。「帰国してから新しい社会を築く為に、アーテルの進んだ社会を学びたいんです」とでも言えば、怪しまれないだろう。
何にでも興味を持って記録しようと心に決め、ロークは敵地へ向かう飛行機に乗り込んだ。
☆自治区は見違えるくらいキレイになった……「156.復興の青写真」「276.区画整理事業」「279.支援者の家へ」「372.前を向く人々」「374.四人のお針子」「562.遠回りな連絡」参照
☆隊長さん、自治区にも雑妖や魔物は居るって言ってた……「069.心掛けの護り」参照
☆アクイロー基地……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆オリョールたちが召喚した魔獣……「460.魔獣と陽動隊」参照
☆トポリ空港の復旧……「634.銀行の手続き」参照




