727.ディケアの港
国営放送のリャビーナ支局は、ネミュス解放軍に占拠された本局の番組ではなく、独自番組を放送していた。その大半が、臨時政府の公式発表を引き写したニュースや、罹災者の支援情報で、時間を短縮された教育番組や語学番組などが、辛うじて日常を留めていた。
民放局も同様で、枠を縮小された歌番組と、戦時色の強いCMが流れるくらいしか違わない。
ロークは、ポケットに入れた小型ラジオを聞きながら、リャビーナ市内を散策していた。ラジオは倉庫会社の社長が気前よくくれたものだ。
ラクリマリス王国の湖上封鎖で流通が滞り、物価は上がったらしいが、営業している店があるだけでも、空襲で焼き払われたゼルノー市や、クーデターの戒厳下にある首都クレーヴェルとは別世界に見えた。
カフェで紅茶を飲みながら、リャビーナ市内の様子とラジオの放送内容をノートにまとめる。
昨夜は遅くまで掛かって、レーチカ市からリャビーナ市までの車内で聞いた話、社長宅の隠し教会で聞いた星の標の計画を記録した。睡眠不足だが、寝ている暇はない。
「首都でまた自爆テロがあったらしいぞ」
後ろの席の声にギョッとして耳を澄ます。年配の男性数人が話すのは、リャビーナ市内の新聞やラジオが報道しなかった事件だ。
「星の標の連中が、どこにどんだけ紛れ込んでんだかわからんな」
「また内乱中みたいに、力なき民がキルクルス教徒の疑いを掛けられて、狩られるかもしれんな」
「儂ら湖の民は魔法使いしかいないからいいが……」
「奴ら、ひょっとして、それを狙ってるんじゃないのか?」
ロークは、湖の民らしきおじさんたちの声に心が凍えた。
……あいつらなら、やりかねない。
「フラクシヌス教徒を潰すのに、まずはやりやすい力なき民から……」
「それも自分でやらないで、こんな汚いやり口……同志討ち狙いか?」
「実際、昔もやってたじゃないか。わざと馴れ馴れしく話し掛けて周りに友達だと思わせて……」
「あぁ、呼称も知らんのに友達のフリして“獲物”が疑われて、孤立するように仕向けるアレな」
ロークは、彼らの話からもっと非道なやり口を連想し、鳥肌が立った。
力なき民は魔法が使えず、【操水】で洗濯できない。
庭やベランダに物干しを用意しているのは、力なき民の家庭だ。こっそり忍び込んで、目立つ所にキルクルス教の聖印入りのTシャツやハンカチを吊るせば、キルクルス教徒だと疑われる。
否定すればする程、怪しまれるだろう。
特に、焼け出されて仮設住宅に入った力なき民は、高価な魔法の品を手に入れられない。その手口を使われては、ひとたまりもないだろう。
おじさんたちの話題が、当たり障りのない世間話に変わる。ロークはさっき聞いた話と、星の標がやりかねないことも書き留めた。
早朝のリャビーナ港は、靄に包まれていた。ラキュス湖の上を漂う薄い幕が朝の光を遮り、しぶとく残った雑妖が岸壁にしがみつく。
女神の御加護で湖上に雑妖の姿はないが、この視界で安全に航行できるのか。
倉庫会社の社長はロークの不安を見透かしたように肩を叩いた。
「視程距離は三キロくらいあるから大丈夫だよ。ディケアまでの航路に暗礁はない」
「でも、薄暗いから、まだ雑妖が……」
「湖上に出れば居なくなるし、ウチの高速船は特別だから、並大抵の魔物じゃ追い付けないよ」
ロークは停泊中の船を見上げた。
貨物船としてはかなり小型だが、漁船よりはずっと大きい。船体に呪印はなく、流星のマークと倉庫会社の社名が書いてあるだけだ。知識のないロークには、どこが特別なのかわからなかった。
「揚力式複合支持船って言うんだけどね、空気を噴射して船体を水面から出して、高速で航行するから、水中の魔物は追い付けないんだよ」
「飛行機……みたいなものなんですか?」
どう見ても、船にしか見えない。
「まぁ一応、飛んでるけど水面すれすれだし、水中翼は全没だ。それに、飛行機と同じくらい燃費は掛かるけど、ほんの四十ノットくらいしか出なくて飛行機よりずっと遅いんだよ」
ロークは、社長が自慢したがっているのは察したが、一般的な船の航行速度を知らないので別の角度から褒めることにした。
「でも、凄いですよ! 空飛ぶ船って! 水中の魔物とかには襲われないんですよね?」
「それは大丈夫だ。五年くらい前にバルバツム連邦から図面を取り寄せてここで建造して、ずっと運行してるけど、一度も魔物に襲われたことはないよ」
……停泊中はどうなんだ?
ロークは疑問を飲み込んで、安心したフリでタラップを昇った。荷物は船員が先に積んでいる。
ロークに続いて社長が乗船し、埠頭に残った夫人が大きく手を振る。舫い綱が解かれ、乗船タラップが外された。
二人が操舵室の空席に腰を下ろす。
待ち構えていた船長がエンジンを起動し、高速船は岸壁を離れた。
港を出てゆく船が、助走をつける白鳥のように加速し、ふわりと離水する。途端に揺れなくなり、白い船体が湖面に漂う薄靄を切り裂いて突き進んだ。
「全然、揺れないんですね」
「なんせ、飛んでるからね。波が穏やかなら、殆ど揺れないよ」
三十分もしない内に靄が消え、視界が拓けた。穏やかな湖の風に漣が立つ。雲の晴れ間から朝の光が射し、広大な水面に一条の道が伸びる。
高速船は輝く道を魔道機船よりも速く飛んだ。
雲の下を行く水鳥の群を、瞬く間に追い越す。
船内にも【魔除け】などの護りは見当たらないが、何事もなく、空がすっかり晴れる頃、ネモラリス島の対岸……湖東地方のディケア共和国に到着した。
真新しい港湾設備は、ネモラリス共和国とは大きく異なる。紅白や緑に塗られた巨大なガントリークレーンが貨物船からコンテナを降ろし、フォークリフトやトラックが忙しなく行き交う。
グリャージ港やクレーヴェル港にもクレーンなどはあったが、主に魔法で荷役を行うので数は少なく、設備も旧式だった。
「驚いたかい? 内戦が終わって、最初に貿易関連のインフラを復旧させたんだよ。我が社の倉庫はずっと向こうにあるけど、今日は時間がない。また今度見せてあげよう」
「はい。ありがとうございます」
振り返ったが、遙か彼方のネモラリス島は見えず、西の方角では分厚い雲が天を塞いでいた。
☆レーチカ市からリャビーナ市までの車内で聞いた話……「721.リャビーナ市」参照
☆社長宅の隠し教会で聞いた星の標の計画……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆首都でまた自爆テロ……「710.西地区の轟音」~「713.半狂乱の薬師」参照
☆【操水】で洗濯できない……「575.二カ国の新聞」参照
☆内戦が終わって……「249.動かない国連」「696.情報を集める」参照
※本筋に全く関係ない余談
揚力式複合支持船……ネモラリス共和国は、リアル日本で言うと昭和中期くらいの科学力だが、星の標団員のこの社長は、バルバツム連邦から技術提供を受け、揚力式複合支持船型の超高速貨物船を建造した。社長の持ち船は全没翼型水中翼船。バルバツム海軍が開発したが、不安定なので断念したもの。
参考にしたのは、揚力式複合支持船型テクノスーパーライナー疾風。海洋博物館の説明に「夢の超高速貨物船」と書いてあって何故か郷愁を誘われた。
停船時と艇走時は水没部分は少ないが、普通の船とほぼ同様。離水して翼走し、水中翼だけを水に沈め、船体はちょっと宙に浮いた状態で航行する。
実験は一応、成功したが、燃費が飛行機並で挙動も不安定なので民間利用は諦められた。博物館で展示されていた疾風は2016年に解体、撤去された。




