723.殉教者を作る
ロークは、礼拝で実家を訪れる隠れキルクルス教徒の大人たちから、自治区のことをあれこれ聞かされて育った。彼らもこの星の標リャビーナ支部長夫婦と同じ目で、バラック街の住人について語っていた。
……あぁ……この人たち、バラック街の人たちを「人間」だと思ってないんだ。
外国の信徒から同情を集め、支援を引き出す為の「弱者」、フラクシヌス教徒や魔法使いへの攻撃を正当化する為の「被害者」、アーテル共和国が開戦の口実にした「迫害の犠牲者」だ。
彼らはバラック街の住人を「心を持つ生きた人間」ではなく、自分たちの目的を遂げる為の「消耗品」くらいにしか思っていない。
……今回は何の為に「殉教者」にしようとしてるんだろう?
「自治区の支部の人たちは、戦うんですよね?」
星の標リャビーナ支部長は聖印を切って頷いた。
「無事だった工場が生産を再開したからね。グリャージ港に来る原材料などに混ぜて、武器や弾薬はかなり調達が進んでるよ」
「相手は魔法使いだし、星の道義勇軍はダメだったし、何か凄い武器が手に入ったんですか?」
どうにかして、自治区が戦場になる前に対策を講じたい。
「ある程度はね。だが、彼らの智恵と勇気を総動員しても、完全な勝利を収めるのは不可能だ。……残念ながらね」
支部長の妻がやさしく教え諭すように言う。
「それだけ、悪しき業を使う者たちは残忍で冷酷で狡猾なのよ。ホラ、首都でも魔法使い同士で殺し合ってるでしょ。子供たちが巻き添えで亡くなっても、知らんぷりしてるのよ」
……そんなの、星の標の自爆テロだって同じじゃないか。
ロークは出掛かった言葉を飲み込んで歯を食いしばった。
星の標リャビーナ支部長夫婦にローク個人の想いをぶつけたところで、何も変わらない。いや、悪い方になら変わる可能性がある。
「魔法使いの子に同情してるの? ローク君はホントにやさしいのね」
「自治区の同志も新しい時代を切り拓く為に殉教の覚悟はできてるよ」
「新しい時代……この間、パーティーでもおっしゃってましたよね?」
支部長が明るい笑顔でロークの肩を叩いた。
「よく覚えてたね。流石だ。目標は自治区を解放すること。それが無理でも最低限、自治区の拡大だな」
「自治区の……解放?」
ロークは支部長が何を言っているのかさっぱり話が見えてこない。首を傾げたロークに、支部長はもどかしげな呻きを漏らした。
「う~ん……つまり、信仰の解放だ。堂々と聖者様を信仰しても咎められない……ネモラリスをそんな国に変えるんだよ」
「あなた、ローク君たち内乱後生まれの子供たちは、今の状態しか知らないのよ」
妻の囁きに支部長はひとつ咳払いして言った。
「君には、その新しいネモラリス共和国で、司祭として人々を導き支えてもらいたいんだよ」
「ラクリマリス領を旅してる時に出会ったお年寄りから聞いたんですけど、半世紀の内乱前は、信仰の違いで差別されることはなくて、みんなフツーに近所付き合いしてたって……昔に戻すってことですか?」
支部長が唇の端を上げ、妻と目交ぜしてロークに首を振った。
「我々は常命人種だからね。そんな大昔のことは知らないし、お年寄りの『昔はよかった』くらいアテにならないものはないんだよ」
「それから『最近の若い者は……』って言うのもね。そんな昔のことを思い出として語ったなら、そのお年寄りは長命人種の魔法使いなんでしょう?」
星の標リャビーナ支部長夫婦は、ロークに老獪な魔法使いに丸めこまれた可哀想な子供を見る目を向けて、やさしく諭す。
「昔に戻すなんてとんでもない。それじゃ上手く行かなかったから、内乱が起きたんだよ? わかるかい?」
「私たちが目指しているのは、新しい時代よ。力なき民が悪しき業を使う者から虐げられない……魔力がないからって卑屈にならなくていい……そんな時代よ」
呪医セプテントリオーが語った内乱前の思い出と、星の標が目指す新しい時代とやらの違いがわからない。
ロークは、ぼんやりした理想ばかりで具体的な内容を語らない夫婦に苛立った。視線の棘に気付き、支部長が語る。
「例えば、今は力ある民と力なき民の間で、当たり前のように就職差別がある。……法律上は禁止されているが、罰則がないから事実上、野放しだ」
それは新聞で時々取り上げられる。ロークが頷くと支部長は会社経営者の顔で説明した。
「勿論、我が社では機械化を進めて力なき民が働きやすい環境を整えてるけどね」
「おうちの人や、礼拝に来る大人の人から、そう言う話、聞いたことない? 全く同じお仕事をしてるのに、力ある民には“維持手当て”名目で実質“魔力手当て”があって、お給料に差を付けられてるとか……」
「あります。会社の建物の【魔除け】とかを発動させる為だからって……」
支部長は会社経営者の顔で頷いた。
「そうだ。力ある民に手当てを出すなら、そのカネで【魔力の水晶】を買って、力なき民を採用しても同じことなのに、力ある民の採用枠があるのは公然の秘密だ」
「はい。高校の……力なき民の先輩が、就職活動、大変だって言ってました」
ロークが神妙な顔で頷くと、倉庫会社の社長でもある支部長は眉間に皺を寄せて語った。
「力なき民が雇用機会の均等と平等を訴えても、『建物の防護を維持させて従業員の安全を守る為だ』と反論を封じられる。彼らは同じフラクシヌス教徒の力ある民から差別されているんだよ」
「そうやって虐げられている人たちが、聖者様の御言葉に触れられたら、きっと魂が救われるに違いないわ」
……フラクシヌス教徒の力なき民を改宗させる気なのか。
ネーニア島には、内乱終結直後にラクリマリス領から移住してきたフラクシヌス教徒の力なき民が多い。だが、ネモラリス共和国の全人口で見れば、全員がキルクルス教に改宗したところで、多数派にはなれない。
ロークは、帰還難民センターで祈るパン屋の兄妹の横顔を思い出した。ラジオの番で一人だけ食堂に残ったロークは、窓から彼らが祈りを捧げる姿を見ていた。
……店長さんたちが改宗するとは思えないけどなぁ。
「ん? 何か気になることでもあるのかい?」
「えーっと、自営業の人とかは改宗しなさそうだなって思って……」
「はははッ。就職に限って言えばそうだろうけどね。暮らしのあちこちで、少数派が強いられる不愉快なんて幾らでもあるんだよ。ローク君には聖者様の教えがあるから気付かなかったかもしれないけど」
ロークは何かあっただろうか、と思い返したが、特にこれと言って思い浮かばなかった。移動販売店での避難生活は、みんなで助け合って危険や困難を乗り越えられた。
逆にドーシチ市の件では、薬師アウェッラーナの方が不愉快だっただろう。
ドーシチ市民は、アウェッラーナを「魔法薬製造機」扱いして、こちらの都合などお構いなしで押し寄せた。もし、あの時、トラックにアウェッラーナが残っていれば、どんな目に遭わされたか、想像するのも恐ろしい。
ロークは小さく頭を振った。支部長が我が意を得たりと語る。
「そう。つまり、聖者様の教えがあれば、救いを得られるんだよ。智恵と知識の光で、悪しき業から解放された新しい時代を切り拓けるんだ」
夫人は支部長の演説にうっとり聞き入っているが、相変わらず内容はなかった。
……俺がうっかり情報を漏らして、作戦が失敗したら困ると思ってるのか?
さっきから子供扱いされている。それなら、とロークは大人の世界が何もわかっていない純粋な少年で通すことにした。
「ルフスの神学校で聖職者になる為の勉強するのはいいんですけど、卒業してネモラリスに帰った時にすっかり時代が変わってたら、ついて行けなくて困るんじゃないかって心配なんですけど、何がどう変わるかって、学校に居る間も知らせて下さるんですか?」
「勿論だよ。その為にパドスニェージニク先生たちのメールアドレスを教えたんだからね。それに、大きな変化はきっと、アーテルの聖光新聞にも載るから、新聞やインターネットのニュースにはしっかり目を通すんだよ」
「インターネットって手紙じゃないんですか?」
この支部長が、国外やネットをどの程度知っているか気になる。
ロークの無知を装った質問に、支部長は笑って答えた。
「色々できるんだ。ルフスに着いたらきっとびっくりするよ」
「色々……」
ファーキルたちに見せてもらって、少しはタブレット端末の機能を知っている。ルフスでは、その全てにいちいち驚いてみせなければ怪しまれると気付き、ロークは表情を引き締めた。
☆自治区のことをあれこれ聞かされて育った……「035.隠れ一神教徒」参照
☆武器や弾薬はかなり調達が進んでる……「630.外部との連絡」参照
☆星の標の自爆テロだって同じ……「710.西地区の轟音」「713.半狂乱の薬師」参照
☆新しい時代……この間、パーティーでも……「696.情報を集める」参照
☆ラクリマリス領を旅してる時に出会ったお年寄り/みんなフツーに近所付き合いしてた……「369.歴史の教え方」参照
☆力ある民と力なき民の間で就職差別……「107.市の中心街で」参照
☆ネモラリス共和国の全人口……「001.半世紀の内乱」「148.三つの選択肢」参照
※注 アミエーラが教わったのはリストヴァー自治区での歴史の授業なので、隠れキルクルス教徒を含んでいる。
☆帰還難民センターで祈りを捧げたパン屋の兄妹……「619.心からの祈り」参照
☆ドーシチ市の件……「232.過剰なノルマ」「235.薬師は居ない」~「238.荷台の片付け」「255.魔法中心の街」「264.理由を語る者」参照




