722.社長宅の教会
倉庫会社の社長宅は、パドスニェージニク議員宅には遠く及ばないが、豪邸と呼ぶに相応しい構えの屋敷だった。
リムジンが門を抜け、噴水を回り込んで玄関先に横付けされる。運転手二人が流れるような動作でドアを開け、トランクからロークの荷物を下ろした。
「ウチの使用人もみんな、信用のおける者たちばかりだ。安心してお祈りしていいからね」
「はい。助かります。……使用人のみなさん、集めるの大変だったんじゃありませんか?」
「なぁに、ほんの三十人だ。ここらじゃウチが教会代わりだからね。不自由しないよ。後で礼拝堂に案内してあげよう」
「ありがとうございます」
案内された部屋でやっと一人になり、ロークは窓辺に立った。
植え込みの葉が視界を縁取り、薄暮の庭園が一幅の絵画に見える。高い塀に遮られ、リャビーナの街の様子はわからなかった。
豪勢な夕食でもてなされた後、社長夫妻に案内されたのは、窓のない部屋だった。天井の空調が微かな音を立てる。
「残念ながら、外から見えるところにはできないからね」
社長が壁のスイッチを操作する。ステンドグラスの背後で照明が点き、聖者キルクルスが右手を小さく上げて天を指す姿が鮮やかに浮かび上がった。
聖なる星の道の楕円を浮き彫りにした説教壇の前には、五十人くらい座れそうな木製のベンチが並ぶ。
「家の中にこんな立派な教会があるなんて……」
「何が立派なものですか。こんな隠れてコソコソと。本来なら、ステンドグラスは太陽の……」
「よさないか。フラクシヌス教徒の迫害が終わるまでの辛抱だ」
社長が妻を窘める。
ロークは社長夫人に暗い声で謝った。
「すみません。ゼルノー市ではウチが教会代わりだったんですけど、客間の壁に聖者様と星の道のタペストリーを掛けただけだったんで、つい……」
「ごめんなさいね。私ったらつい……この三十年、フラクシヌス教徒にみつからないでお祈りできただけでも、感謝しなくちゃいけないのにね」
社長が妻の肩を抱いて断言する。
「もう少しの辛抱だ」
ロークが目顔で問いを投げると、社長はベンチに腰を下ろし、妻とロークにも手振りで促した。ベンチの硬くひんやりした感触にロークは思わず背筋が伸びた。
「今、政府軍とネミュス解放軍が、首都で潰し合いをしているのは、知っているね?」
「はい」
ロークは帰還難民センターからレーチカ市までの道程を思い、目を伏せた。
「今はまだ首都だけだが、いずれ、他にも広がる」
「どうしてですか?」
「フラクシヌス教徒……特に湖の民がネミュス解放軍に参加するからだ。このリャビーナやレーチカだけでも、市民は解放軍に好意的な者が多い」
「そんな……」
首都の惨状を知らないのだろうか。
……いやいや、そんなバカな。
避難した都民からロークより詳しく知らされた筈だ。
「戦線は、必ず拡大する」
「えっ……? でも今、アーテルと戦争中ですよね?」
「だからだよ。政府軍はアーテル本土に出撃しない。……パドスニェージニク先生方、秦皮の枝党に潜入した信徒が、魔物や魔獣から国民を守るよう強く説得したからな」
ロークは社長の言葉を反芻し、意味を理解して顎を小さく引いた。
アクイロー基地襲撃作戦の感触では、魔装兵がアーテルの基地を叩きに行けば、数日で決着がつくような気がする。
半世紀の内乱では、敵味方が親族の中でもモザイクのように入り乱れ、攻撃目標は「自分の味方以外、全て」だったから長引いた。
今回の戦争は、敵味方がきっぱり分かれ、攻撃目標も明確だ。
「痺れを切らした国民が“アーテル討つべし”と主張する解放軍につくのは当然の成り行きだ。現にネモラリス憂撃隊とか言うゲリラが、アーテル本土でテロ活動をしているだろう」
「ラジオのニュースで言ってたあれですか……」
ロークが暗い声で俯くと、社長も声を落とした。
「そうだ。力ある民の中から、ネモラリス憂撃隊に加わってアーテルに命を捨てに行く者と、ネミュス解放軍に加わって政府軍と潰し合う者……そして、リストヴァー自治区に更なる迫害を加えに行く者が現れるだろう」
「えぇっ? でも、自治区って火事で……」
ロークが顔を上げると、社長夫婦は何でもないことのように言い放った。
「燃えたのは東部のバラック地帯だけだ」
「そのお陰で、区画整理事業が一気に進んで、見違えるようにキレイな街に生まれ変わったそうよ」
社長夫婦も、火災の原因が星の標リストヴァー支部の仕業だと知っているようだ。
「折角よくなったのに、自治区が狙われるんですか?」
ロークの疑問に二人は嘲笑で応えた。
「フラクシヌス教徒の居住区を差し置いて一足先に復興したから、だよ」
「醜い嫉妬ですわ」
「魔法使いが攻めて来るって予想がついてるなら……」
社長はロークの肩に手を置いて微笑んだ。
「無論、手は打ってあるよ。自治区にも支部があるからね。だが……」
言葉を濁した社長の目をじっと見詰める。
社長夫婦は、ステンドグラスに向かって聖印を切り、聖者に祈りを捧げて答えた。
「銃を手にする意志のない者、戦う力のない者は、殉教することになる」
「えっ……あッ!」
ロークは改めて言われ、言葉を失った。
北と西は空襲で無人になったゼルノー市の廃墟、東はラキュス湖、南は魔物や魔獣が棲むクブルム山脈だ。リストヴァー自治区の弱者は、どこにも逃げ場がない。
首都クレーヴェルは湖の民の割合が高く、建物には【巣懸ける懸巣】学派の様々な防護の術が施されていた筈だが、それでも、戦闘に巻き込まれて多数が破壊された。
政府軍とネミュス解放軍、双方が相手のせいにし、死傷者数の発表はアテにならないが、民間人の力ある民にも犠牲者が出たことは間違いない。
リストヴァー自治区は魔法使いに対して無防備だ。
……戦えない人たちは、逃げることもできないんだ。
自治区から逃げ出したところで、行き場がない。
周辺の都市はアーテル軍の空襲で焼き払われ、死体を喰らって力を付けた魔物や魔獣が屯している。それに、あの地域一帯の立入制限は未だに解除されていなかった。
「我々キルクルス教徒に迫害を続けては、国際社会から制裁を受ける。だから、政府はキルクルス教国の支援を受け容れ、自治区の復興を優先させてるんだよ」
「今、自治区ってどうなってるんですか?」
ロークは、ファーキルがインターネットのニュースで見せてくれた以上のことは知らない。その情報源の大部分は、ネモラリス政府の報道発表と写真だ。
「ゼルノー市のグリャージ港を仮復旧させて、救援物資や建築資材を運んで学校や住宅、商店、工場、道路を再建させた。いや、バラック地帯だから前より立派になった」
「それだけじゃなくて、上下水道や太陽光発電を整備して、淡水化プラントも増設したから、前よりずっとキレイで住みやすくなったのよ」
社長夫婦――星の標リャビーナ支部長夫婦が、報道よりも詳しくリストヴァー自治区の復興状況を語る。
「バラックが密集したスラム街がなくなって区画整理事業……と言うより、半世紀の内乱からの復興事業がやっとまともに動きだしたんだよ」
「三十年も……」
社長夫婦の何の感情もない説明に続きを飲み込んだ。
☆帰還難民センターからレーチカ市までの道程……「654.父からの情報」~「658.情報を交わす」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦……「456.ゲリラの動き」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆ラジオのニュースで言ってたあれ……「618.捕獲任務失敗」参照
☆自治区って火事で…………「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」参照
☆区画整理事業が一気に進んで……「156.復興の青写真」「276.区画整理事業」「279.支援者の家へ」参照
☆周辺の都市はアーテル軍の空襲で焼き払われ……「056.最終バスの客」「078.ラジオの報道」「103.連合軍の侵略」「136.守備隊の兵士」参照
☆死体を喰らって力を付けた魔物や魔獣が屯している……「128.地下の探索へ」「181.調査団の派遣」「184. 地図にない街」「185.立塞がるモノ」「200.魔獣の支配域」参照
☆今、自治区ってどうなってる……「276.区画整理事業」「372.前を向く人々」「374.四人のお針子」「562.遠回りな連絡」参照
☆グリャージ港を仮復旧……「527.あの街の現在」~「529.引継ぎがない」参照
☆バラックが密集したスラム街がなくなって……「559.自治区の秘密」参照




