721.リャビーナ市
ネモラリス島はウーガリ山脈で南北に分断されていた。山脈の西端を延長すれば、ネーニア島のクブルム山脈にぶつかる。
ロークを乗せたリムジンは、ネモラリス島の北岸を東へ向かっていた。
通過する都市や、車窓の遠くを流れる農村や漁村の家々は、ひとつも損なわれていない。山脈を隔てた北部は、アーテル軍の空襲に遭わず、首都のクーデターも遠い国の出来事のように平和そのものだ。ガソリンスタンドも普通に営業している。
「リャビーナまでもう少しだよ」
「島の西の端から東の端まで、こんな遠かったんですね」
ロークは、リムジンの後部座席に身を沈める男性に当たり障りのない返事をした。
日の出と共にレーチカ市を発って、そろそろ日が傾こうとしていた。二人の運転手が交代でハンドルを握り、東へ飛ばす。途中の街で昼にして、一時間ばかり休んだだけだ。
「山裾の森にはウーガリ古道と言うものがあるけどね。北と南一本ずつ、島を横切る近道」
「ウーガリ古道……」
首都クレーヴェルから脱出した後、父が渋滞を避けて通った道だ。
隣に座る倉庫会社の社長は、ロークを横目で見てすぐ正面を向いた。
「魔術で守られているが、東側は内乱中に破壊された。未だに修復されてないんだよ。山脈の北側の道はもっと寸断されている」
……それで、遠回りの湖岸沿いを走ってるのか。
ロークは近道を通らない理由に納得したが、敢えて難しい顔をしてみせた。
「魔法の道なんてダメですよ。父は首都からレーチカまで南西の古道を通ってましたけど……」
「ローク君、あんまりお父さんを責めないでおあげ。君を守る為だったんだからね」
「でも……」
「街の至る所にウーガリ古道と同じ術が掛かっていて、避けて通れるものではないんだよ。君だって、街に居る間は同じ術の中に居たんだ」
ロークが顔を伏せ、矛盾を突かれて困ったフリをすると、倉庫会社の社長はロークの肩に手を置いた。
「だが、その純粋な信仰心は素晴らしいものだ。これからもしっかり守って、星の道義勇軍みたいにならないように気を付けるんだよ」
複雑な思いが絡まって返事をできずにいると、社長は穏やかな声で少年を励ました。
「君の父上たちの支援を悪く言うつもりはない。あれはあれで必要なことだった。でも、やはりと言うか、星の道義勇軍は魔法の道具を使っていたからね」
「魔法の道具……」
運転席と助手席の二人は、後部座席の会話が耳に入らないかのように前方を注視している。
社長の運転手たちはどこまで知っているのだろう、とロークはバックミラーに映る目許に目を凝らした。
「魔力を吸収して魔法を使えなくする石盤や、魔法をひとつだけ打ち消す呪符だよ」
「そんなものがあるんですか」
……隊長さんがジェリェーゾ港で言ってたあれか。
最初の空襲の翌朝、運河沿いを東へ歩いて港に出た。あの時、アウェッラーナが【操水】が使えないと驚いていたのが、昨日のことのように甦った。
「だが、魔術は魔術だ。正義を行う為ならどんな手段でも許される訳ではないのが証明された。きちんと手段を択ばなければ、聖者様の助力は得られないんだよ」
ロークは、キルクルス教原理主義者の発言の矛盾に反論しそうになるのを下唇を噛んで堪えた。肯定するフリすらイヤだが、何も言わないのは不自然だと思い、質問を絞り出す。
「……星の道義勇軍の作戦は、失敗したんですね?」
「そうだ。だから、空襲が前倒しになったんだ」
どの時点で、誰が判断して、アーテル軍に連絡したのか気になったが、不自然にならない質問を思いつけなかった。
無事に逃げ果せてのうのうと暮らすロークの家族なら何か知っているかもしれないが、今はまた遠く離れてしまった。
「アーテルはこの三十年間、魔術を排除してもやっていけてる。ラニスタはもっと前からそうだ」
「魔法なしでも魔物や魔獣から身を守れるんですね」
社長は目尻に皺を寄せてロークを見た。
「そうだ。去年、内戦が終わったディケアも、キルクルス教徒が勝利を収めた。昔ならいざ知らず、今は武器の性能も上がっている。封印の地に近くても、銃に銀の素材を使うなど工夫すれば、悪しき業に頼らなくてもよくなったんだよ」
恍惚として語る社長にロークは同意を示した。
「これから、ディケアとアーテルで、信仰の勝利を確かめられるんですね」
「そうだよ。私はディケアの空港でお別れになるけど、ルフス空港には司祭様が迎えに来て下さるからね」
……飛行機に乗った後は、星の標の連中から離れられるんだな。
ロークの身元保証人としてキルクルス教の聖職者を付けられるが、教団は国際テロ組織に指定された星の標からは距離を置く。気詰まりなのは変わらないが、人殺しの手伝いをさせられる心配がない分、気楽だ。
リムジンのトランクには、ロークの私物とパドスニェージニク議員が用意した着替え、スーベル理事長がくれた文房具と辞書、ベリョーザが拵えた刺繍入りのブックカバーが入っている。
スーツケースひとつ分の荷物が、今のロークの全財産だった。
「今はこんな状況で郵便は無理だけど、インターネットなら連絡できるから、週に一度はご家族に電子メールを送ってあげるんだよ」
「で……でんしめーる?」
社長に紙片を寄越され、ロークは知らないフリで聞き返した。
紙片は、パドスニェージニク議員とスーベル理事長の呼称に共通語の文字と数字、記号の羅列が添えられている。読み取ろうとしたが、暗号になっているのか、意味のある単語はひとつもみつけられなかった。
「それが二人のインターネット上の手紙の宛先だ。詳しい送り方は司祭様が教えて下さるし、必要な機器も用意して下さるから、失くさないように気を付けるんだよ」
小さな子供に言って聞かせる調子で言われ、ロークはムッとしたが、大人しく頷いた。
ファーキルが、タブレット端末で運び屋フィアールカや諜報員ラゾールニクと遣り取りするのは横で見ていたが、詳しい方法は教わっていない。
……やり方、ちゃんと覚えて間違いなくできるようになんないとな。
リムジンは日没の少し前にネモラリス島東部最大の都市リャビーナに入った。
あの夜、途切れたラジオを思い出す。
針子のアミエーラと一緒に歌ったのは大伯母のカリンドゥラ……歌手ニプトラ・ネウマエと、リャビーナの女性歌手だった。
……スタジオで歌ってたんじゃなくて、録音っぽかったけど、どこで収録したんだろ?
カリンドゥラの自宅は首都クレーヴェルとレーチカ市にあると言っていた。
難民支援活動でカリンドゥラはずっと王都ラクリマリスに居る。収録の為だけにわざわざ危険なネモラリス領に【跳躍】しないような気がした。
……じゃあ、リャビーナの歌手が王都に行ったのか。
ラジオから流れたのは、港公園で出会った赤毛の大男が歌ったのと同じ歌だった。まさか「すべて ひとしい ひとつの花」に別の歌詞があるとは思わなかった。
……あのお兄さんはウロ覚えだったけど、アミエーラさんたちは、ちゃんとわかったってコトだよな?
もしかすると、フィアールカかラゾールニクが、放送できなかった分をインターネットで公開したかもしれない。
……あ、でも、アーテル領からじゃ聞けないのか。
ファーキルは、政府の検閲があってアーテル人は外国の情報があまり手に入らないと言っていた。
やはり何としてでもランテルナ島に渡り、ファーキルが持っていた「検閲を突破できるヤミ端末」を手に入れなければ、ハナシにならない。司祭がくれる正規品では、フィアールカたちにも連絡できないような気がした。
だが、何もかも、アーテル共和国の首都ルフスに着いてからだ。
車窓を流れるリャビーナの黄昏は穏やかで、道行く人の足取りはゆったりしている。窓に映る社長と目が合った。
「こっちは避難民が少ないから、レーチカより落ち着いてるんだよ」
「遠いからですか?」
「それもあるが、初期の戦闘区域は中央、北、東の三地区が中心だったからね。そちら側の門から脱出するのは難しかったろう」
「あ……あぁ、そう言うことでしたか」
……で、停戦時間中に自爆テロで追い討ち掛けて東へ行き難くしたのか。
星の標の非道なやり口に寒気がしたが、表情を殺した顔を社長に向けた。
「今夜はウチに泊まって、天気が良ければ明後日の船でディケアに行くから、一日ゆっくり休んで英気を養うんだよ」
「はい。ありがとうございます」
ロークは模範的な態度で応えた。
☆首都クレーヴェルから脱出した後、父が渋滞を避けて通った道だ……「656.首都を抜ける」「657.ウーガリ古道」参照
☆星の道義勇軍は魔法の道具を使っていた/隊長さんがジェリェーゾ港で言ってたあれ……「072.夜明けの湖岸」参照
☆あの夜、途切れたラジオ……「599.政権奪取勃発」「600.放送局の占拠」参照
☆港公園で出会った赤毛の大男が歌った……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照




