717.傲慢と身勝手
二部屋抜けた先、レノがさっき覗いた通路に入った。雑貨屋のおばさんが、飲料水の瓶に【灯】を点して前を歩く。
「半世紀の内乱前から世間の雲行きが怪しくなってきたからね。その頃に地下で繋いでもらったんだよ」
「先見の明があったんですね」
赤毛のおばさんのすぐ後ろを歩く湖の民アウェッラーナが相槌を打つ。
「工事してくれた職人さんは、内乱中に殺されて、ウチの一族もかなりやられたけど、ここが残ったお陰でキルクルス教徒の連中は手出しできやしなかったし、店も建て直せたんだよ。ホント、有難いこった」
……このおばさん、長命人種なのか。
少年に見えたが、雑貨屋の息子もアウェッラーナと同じで、内乱時代生まれの長命人種かもしれない。
大人が二人並んでギリギリ通れるくらいの狭い通路だ。一本道で、呪文を刻んだ石材に覆われていた。三人の足音が反響し、幾重にも重なって聞こえる。
「やっと平和になったと思ったのに……今頃んなって何で、あの子がキルクルス教徒なんかにあんな目に……」
おばさんが声を震わせ、それきり何も言わなくなった。
レノとアウェッラーナは掛ける言葉がみつからず、無言でついて行く。
曲がりくねった通路をしばらく歩いて、おばさんはやっと口を開いた。
「もうすぐだよ。あの女の子も、助かるように祈ってるよ」
半開きの扉を抜けると、暗い部屋に【灯】の淡い光が広がった。
おばさんが棚に【灯】を点して振り向く。
「ちょっと待ってな。ワケを話してくるから」
「よろしくお願いします」
二人きりになり、レノはおばさんの足音が聞こえなくなるのを待って聞いた。
「俺たちはすごく有難いんですけど、アウェッラーナさんは、よかったんですか?」
「ほっとけませんから。それに、安全な場所で休ませてもらえるの、とても助かるんで……」
「そ……そうですか? 何か、いつもすみません」
アウェッラーナ一人なら、【跳躍】で王都ラクリマリスでもどこでも、安全な場所に逃げられる。レノたち力なき民と一緒に居ても足手纏いで危険なだけだ。
首都クレーヴェルを脱出した人々の大半は、臨時政府のある西のレーチカ市か、船での避難を考えて南の漁村を目指す。
アテのある少数だけが、北の農村地帯を目指すらしい。運び屋フィアールカに教えられた休憩所に続く道の様子はわからなかった。
「……私の方こそ、取り乱したりして……すみません」
「いっいえっ、そんな……そんなこと、気にしないで下さい。誰だってあんな目に遭ったら……」
レノは何を謝ることがあるのか困惑したが、薬師アウェッラーナは首を振った。
「みなさんが落ち着いて……ピナティフィダさんが香草を出してくれて、クルィーロさんがお湯を沸かしてくれて、レノさんが指示を出してくれたから、動けるようになったんです。アマナちゃんとクルィーロさんのお父さんも、適切に行動してくれたのに……私だけ……」
「アウェッラーナさん……」
湖の民の薬師が、首から提げた徽章を握って俯く。
レノにはアウェッラーナが何をそんなに気にするのかわからず、声を掛けられなかった。さっき、周囲には取り乱した人が大勢いたし、レノも落ち着いていたとは言い難い。
「は……半世紀の……内乱中に……」
薬師が声の震えを鎮めようと、ゆっくり深呼吸する。
雑貨屋のおばさんはまだ戻らない。
「……内乱中、色んな人からバラバラに少しずつ、癒しの術を教わりました。【思考する梟】が一番多くて、次は【青き片翼】、それから【飛翔する梟】と【白き片翼】……家族からは【漁る伽藍鳥】と【霊性の鳩】を……」
「色々教えてもらえたんですね」
平和な時代に生まれたクルィーロは、魔法の塾をサボって幼馴染のレノと遊び回っていた。
アウェッラーナが教わったのは、どれも生き延びる為の術だ。癒しの系統が多いのは、時代の要請と、近くに医療産業都市クルブニーカがあったからだろう。
「学派は色々でもホントにほんの少しずつで、子供だったからあんまり強力なのはなくて、魔法薬を作るのも空襲とかで焼けてしまって素材が全然ないのに……」
薬師が何故、あんなに取り乱したのか理解したレノは膝が震えた。ティスの靴を胸に抱き寄せ、長命人種の薬師に掛ける言葉を探す。
「欠損部位を再生させる術……ありますよ」
「えっ?」
レノは喜びそうになったが、薬師アウェッラーナは沈んだ顔を床に向けている。
「でも、術者はあんまり居ません」
「どうして……?」
「その……【有翼の蜥蜴】学派の【再生】の術は色々あるんですけど、どれも術者に厳しい身体的な条件があるので……」
「未婚であること……以外にもあるんですか?」
アウェッラーナは顔を上げ、棚が並ぶ奥で開け放たれた扉の先を見遣った。まだ、雑貨屋のおばさんは戻らない。
薬師の手が、枝に止まった梟の徽章から離れ、力なく垂れる。もう一方の手が二の腕をさすった。
「条件は未婚であることと、身体の一部を失くしたことがあること……」
「えッ……!」
レノは彼女が取り乱した本当の理由を知って絶句した。
「ずっと昔は……術者を増やす為にわざと指とか切り落として……元々呪医で【青き片翼】から転向した人ばかりだったそうですよ」
……素材もないのに「薬作って治せ」って無茶振りされたり、どう見ても無理だったのに助けられなかったら責められたり……そう言うアレじゃないのかよッ!
もっと酷い。
レノは「できない者」の傲慢と身勝手、特殊な技能を持つ者を同じ人間ではなく、便利な道具扱いする冷酷さに吐き気を催した。
大人のアウェッラーナは徽章を持っている。後で大学へ行って【思考する梟】学派をきちんと修め、正式な薬師になったのだろう。
今の状況を考えれば、内乱中、まともに勉強できたとは思えない。
本人も、必要に迫られてほんの少し教わっただけだと言っていた。
そんな子を「便利な道具に機能を増やす」ノリで傷付けようとした者が居た。
我知らず、妹の靴を抱える手に力が入る。
……何で……そんな酷いこと……!
アウェッラーナではティスの足を治せないと言っていた。彼女の家族が守り抜いたのだと気付き、レノの緊張が少し緩む。
足音が近付いてきた。一人ではない。
レノは、アウェッラーナの前に出た。
雑貨屋のおばさんが連れてきたのは小太りのおじさんだ。二人は雰囲気がよく似ている。おじさんの呪文入り前掛けは、ポケットに物を詰め込み過ぎてパンパンに膨らんでいた。俯く猛禽類を意匠化した彼の徽章は、レノもゼルノー市の商店街で見たことがある。【弔う禿鷲】学派だ。
「お待たせ。話はついたよ」
「あんたたちが薬師と助手か。ここじゃアレだ。とにかく来てくれ」
挨拶もそこそこに二人は元来た道を引き返す。レノが薬師アウェッラーナを見ると、小さく頷いて二人に続いた。
☆運び屋フィアールカに教えられた休憩所……「699.交換する情報」参照
☆内乱中、色んな人からバラバラに少しずつ癒しの術を教わりました……「066.内と外の境界」「192.医療産業都市」「266.初めての授業」参照
☆身体の一部を欠損したことがあること……「632.ベッドは一台」参照
☆アウェッラーナではティスの足を治せないと言っていた……「713.半狂乱の薬師」参照




