0073.なにもない街
「地下室は日が当たらないので、魔物や雑妖の巣になっているかもしれません。慎重に行きましょう」
薬師が言葉を選んで発した警告に、明るくなった空気が再び萎んだ。
だが、他に宛はない。
取敢えず、中を見てから決めることにして、ニェフリート運河沿いの道を歩いた。
火事場泥棒の一人も居ない。
街路樹は炭化して幹が折れ、路上には自動車の残骸や瓦礫が散乱する。
地下室を備えた住宅や商店は、何軒も見つかった。
どれも床が崩落して使い物にならない。陥没したから、存在がわかったようなものだ。そうでない所は瓦礫が邪魔で、地下室の入口さえわからなかった。
何度も落胆しながら、運河沿いの遊歩道を行く。
「この橋、上がってるだけだな。下ろせば渡れるんじゃないか?」
工員が弾んだ声で言い、橋の袂で立ち止まった。
橋は大型船を通す為、中央で割って上げてある。
「操作盤は……」
辺りを見回し、十人は肩を落とした。
操作盤の番小屋は、焼け落ちていた。
名称を記した金属板が焼け焦げ、捻じ曲がって冬の風に揺れる。
小さな溜め息が、白く曇って風に流れた。
一行は、再び歩みを進める。
影が短くなる頃、辛うじて支柱にぶら下がる案内板で、鉄鋼公園の近くまで来たことがわかった。
案内板がなければ、ここがどこか全くわからない。
街はすっかり変わってしまった。
「最悪でも、土の地面なら、棒切れで線引いて【簡易結界】は敷ける」
「じゃあ、公園に行く?」
工員の言葉に、エプロンの青年が答えた。
その言葉を待っていたのか、工員は力強く頷いた。
「あぁ、これだけやられてりゃ、当分、空襲なんてなさそうだよなぁ」
エプロンの青年と頷き合い、それぞれの妹を見る。女の子三人に反対の理由はなかった。
誰も何も言わず、とぼとぼ鉄鋼公園へ向かった。
昨日の午後、出発したばかりの場所に一晩掛けて戻ってしまった。
「酷ぇ……」
年配のテロリストが声を上げる。ロークは呆れて中年男性を見た。
……自分たちのテロを棚に上げて、何言ってんだよ。
だが、公園の様子にロークも同じ感想を漏らした。
青年二人が自分たちの妹を抱き寄せ、視界を遮る。
ここも空襲を受け、酷い有様だ。
軍用車の残骸と、性別もわからぬ程焼け焦げた遺体が、グラウンドに散らばる。
遠目には、公園に黒いマネキンが放置されたように見えた。炭化した遺体は魔物も食わないのか、断末魔の苦悶を留める。
「市民病院に行ってみましょう。中庭は土の地面でしたよ」
薬師が公園に背を向けると、他も黙ってついて行く。
誰も建物には期待しなかった。
中央市民病院もやはり破壊し尽くされ、煤に塗れた瓦礫がまだ煙を燻らせる。
生きて動く人の姿はない。
植込みの木々や花壇も無残に焼け爛れ、見る影もなかった。
隣の警察署も同様だ。
「ここは、放棄された後で空襲を受けたようだな」
テロリストの隊長が、焼け跡を回って戻って来た。
少年兵がみんなの疑問を代弁する。
「なんでっスか?」
「死体がない。我々の作戦による死者は、葬儀屋が灰にするのを見ただろう」
少年兵は頷いて周囲を見回した。
焼け落ちた廃墟には、人影はおろか、雑妖も居ない。
見渡す限り破壊の限りを尽くされ、原形を留めた人工物は何ひとつなかった。
二月の冷たい風が吹き抜け、灰を吹き上げて散らす。
ロークはひとつ溜め息を吐いて提案した。
「運河沿いに戻って、さっきの続きをしませんか?」
「そうだな。住民が避難済みなら、民家の跡地で身を寄せ合えば、少しはマシかもしれん」
「死体がないなら大丈夫だろ。ここは寒くてかなわん」
隊長の言葉を受け、年配のテロリストが肩をさすりながら言った。
少し歩くと、丁度よさそうな商店の跡地が見つかった。
店舗奥の壁が少し残り、ざっと見たところ雑妖なども居ないようだ。
「俺、掃除しますんで、薬師さん、また、魚、お願いできますか?」
「えーっと……十人分、ですね」
運河へ向かう薬師と工員に小学生の女の子もついて行った。少しでも兄と離れるのが不安なのだろう。
ロークは、これから休息する場所をじっくり見た。
直角に残った壁は大人の身長くらいの高さで、幅はロークが両手を広げるよりも僅かに広い。
店の隅に商品はなく、瓦礫の隙間から金属製の棚の残骸が覗く。倉庫だったのかもしれない。
ここが店だと思ったのは、前の道路に真っ黒になった看板らしき物が落ちているからだ。
ロークは瓦礫を踏み越え、店の隅に足を踏み入れた。
人頭大の瓦礫を手に取り、車道に近い所へ移動する。
それを見たエプロン姿の青年と妹たちが、手近の瓦礫を持ち上げる。テロリストたちも自主的に手伝ってくれた。
残った壁の横に瓦礫を積み上げ、休息場所を囲む。高さは腰くらいまでにして、全員が身体を伸ばして横になれるように空間を作る。
三人が戻る頃には、直角の壁でГ字型に挟まれた床から、手で拾える大きさの瓦礫は、ほぼ除けられた。
床のコンクリートが露わになる。人数に対して狭い気はするが、仕方がない。
工員が【操水】の術で、床に積もった灰や砂塵を洗い流した。
「レノ、竈っぽいの作ってくれないか? 術用の奴」
「いいよ」
レノと呼ばれたエプロン姿の青年が、気楽な声で応じる。
ロークは、コンクリートの床に荷物を置いて聞いた。
「どうするんですか?」
「寝るとこからはちょっと離して、円形に組むんだ。この辺かな?」
レノは、先に片付けた場所から十歩離れて、手頃な瓦礫を手に取った。ロークと妹たち、テロリストがそれに倣い、調理の為に手早く場所を空ける。
レノが瓦礫を円形に積むと、工員は即席の竈とその周辺も洗い流した。
水が生物のように這い回り、埃と灰、煤をその身に取り込んでアスファルトのような色に染まる。
それだけでかなり消耗したらしい。
工員は、汚水を道路に捨てると肩で息をした。小さな妹が、心配そうに兄を見上げる。
工員は、妹を安心させるように頭を撫でて笑顔を見せた。
「もうすぐ休憩だから、大丈夫だ」
風は冷たいが、天気がよく、日当たりがいいのは幸いだ。
だが、この乾燥した空気のせいで被害が大きくなったことを思うと、ロークは複雑な気持ちになった。
☆薬師さん、また、魚……「0045.美味しい焼魚」参照




