711.門外から窺う
少年兵モーフは西門を出てすぐの道路脇に立っていた。「FMクレーヴェル 臨時ニュース放送中」の看板を掲げ、首都クレーヴェルを脱出するドライバーに受信を呼び掛ける。
看板と言っても、段ボールにコピー用紙を何枚も貼り合わせてマジックで大書しただけの粗末なものだ。
国営放送ゼルノー支局から拝借したイベントトラックが、北へ向かう細道を塞いで停まっている。荷台の屋根でソルニャーク隊長がアンテナを支えていた。
中の係員室では、国営放送アナウンサーのジョールチがニュースを読み上げる。内容は、首都に留まる者向けと脱出する者向け、両方だ。
DJレーフは昨日と今朝、早くから西門付近の街区を回って受信を呼び掛け、放送が始まって一時間ばかりして戻って来た。今は荷台で伸びている。
いつでも逃げられるようにメドヴェージがハンドルを握り、葬儀屋アゴーニは門の中で見張っていた。西門からは絶え間なく人と車が吐き出される。
……ピナたち、聴いてくれてるかな?
少年兵モーフは、首都を脱出する車列に知った顔がないか目を凝らす。
発電機はフル稼働しているが、魔法使いの工員クルィーロが使った時のような騒音はない。アナウンサーのジョールチが【消音】の術を掛けたからだ。そんな便利な魔法があるとは知らなかった。
……あの運び屋、折角ネモラリス島まで来たんだから、レーチカなんか行かねぇで、首都からピナたちを連れ出してくれりゃよかったのに。
王都で湖の民の薬師アウェッラーナと会って話した、と言っていた。あの薬師に案内させれば、ピナたちが身を寄せる社宅の場所もわかっただろう。
……薬師のねーちゃんも、何で運び屋に頼まねぇんだよ。
情報が届かず、テロとクーデターを知らないのだろうか。
数日前に葬儀屋のおっさんとニュースのおっちゃん、DJレーフが首都のあちこちにアミトスチグマの新聞を置いてきた。ピナたちは読んでいないのだろうか。
……いやいや……ラジオでやってなくても、新聞見てなくても、運び屋たちが会った時に絶対、教えてんだろ。
下がって来た腕を伸ばし、少し振ってドライバーにアピールする。
ニュースを読み上げるジョールチは、ホンモノの国営放送アナウンサーだ。ベテランで、国民の大半が彼の声を知っている。首都の国営放送と民放局はクーデター発生直後、ネミュス解放軍に制圧され、政府側が掌握できた放送局はFMクレーヴェルだけだ。
臨時放送を耳にした一般人は、何の疑問もなく政府の公式発表だと思うだろう。
少年兵モーフは荷台の屋根をチラ見した。
FMクレーヴェルのアンテナは型が合わず、係員室の天井にあるアンテナ用の穴から出せなかった。元々積んであったアンテナは国営放送ゼルノー支局に置いて来てしまった。
コードを係員室の小窓から運転席の窓に引っ張り出して、アンテナはソルニャーク隊長が荷台の上に登って支えている。
政府軍が来たらコードを外して、隊長は助手席、モーフは荷台に乗り、葬儀屋が荷台を閉めて【跳躍】で逃げる手筈だ。
放送局の二人は、魔法で追いかけられたら逃げられないようなことを言っていたが、そんなのは覚悟の上だ。
……ピナ……早くここから逃げてくれ……!
聖者キルクルスに祈っても助けてくれないのは嫌という程、思い知らされた。それでも、話を聞いた限り、あやふやな感じのフラクシヌス教の神々に祈るのも、何だか違う気がする。
モーフは他の何者でもないピナ自身に祈った。
ニュース原稿は、ソルニャーク隊長とジョールチが何度も練り直し、ネモラリス政府にとって不都合がないよう、当たり障りのない表現と内容にまとめたと言っていた。
モーフは、国民を苦しめる政府にそこまで気を使わなければならないことにイラついたが、隊長が言うからには、そうしなければならないのだろう。下手に刺激するような情報を出して、正規軍がすっ飛んで来る事態は避けた方がいい。言い回しひとつで誤魔化せるなら、それに越したことはなかった。
今のところ、交通整理の警官は何も言って来ない。
モーフは門内に駆け込んでピナを探したい衝動と戦い、看板を掲げて渋滞の車列と徒歩で脱出する人波に視線を注いだ。
久々に嗅いだ濃い排気ガスにむせそうになりながら、のろのろ進む自動車と大荷物の人々を見遣る。今朝の分だけでも、自治区の車をみんな足したより多いだろう。だが、どの車にもピナの姿はなく、歩きの人々の中にも居なかった。
門に一番近い街灯の下に時計があるのに気付いた。
リストヴァー自治区の小学校にも似たようなものがあったと思い出し、針を読む。朝の停戦時間と臨時放送は、残り一時間足らずだ。
……これ聞いて、すぐ出られるワケじゃねぇよな。荷物まとめたりとか色々あって、明日の朝イチに出んのかな?
淡い希望が轟音で消し飛んだ。
歩行者が一斉に振り返り、ゆるゆる進む車列からドライバーが顔を出す。
少年兵モーフは西門に駆け寄って精いっぱい背伸びしたが、爆心地がどこかわからなかった。ソルニャーク隊長の叫びがクラクションに掻き消される。
黒煙が上がり、現場は門に繋がる国道ではなさそうだとわかったが、それだけだ。
一台の乗用車が国道の縁石を乗り越え、アスファルトも防護の魔法も何もない草地に出た。その後を我も我もとたくさんの車が速度を上げて続く。踏み潰された草が青臭い匂いを立てたが、排気ガスと風に乗って来た焦げ臭さに紛れた。
交通整理の警官が懸命に笛を鳴らすが、車は止まらない。
徒歩で脱出する人々が、荷物を抱え直して駆け足になる。
再び爆発音が轟いた。今度はこの国道だ。
遠くで破片が飛び散り、黒煙が上がった。
「ピナッ!」
少年兵モーフは人の流れに逆らって門をくぐった。
「どけッ! 通してくれ」
「待って! 子供が……」
「テロだ! 逃げろッ!」
「痛い! 早く通して!」
怒号と悲鳴、子供の泣き声が、幾重にも重なる。
人の流れがひとつの意志を持って門に殺到した。
モーフと同じ看板が人波を流されて来る。葬儀屋のおっさんだ。
「坊主、戻れッ! 爆弾テロだ!」
「ピナがッ!」
「社宅に居りゃ大丈夫だ! いいから戻れ! 門を出るんだ!」
おっさんに腕を掴まれ、人の流れにもみくちゃにされる。モーフ一人の力では逆らえず、門外に押し出されてしまった。
「見てねぇのに何で大丈夫だって言うんだよ!」
振り解こうともがくが、葬儀屋のおっさんは手首をがっちり捕えて放そうとしない。星の道義勇軍の訓練通り、足の甲を力いっぱい踏んで逃れようとしたが、あっさり躱され、逆に腕を捻じりあげられてしまった。
葬儀屋が、ムリな体勢で呪文を唱え始める。
「おい! 待て! ちょっとコラ! やめろッ!」
おっさんはビクともせず、もがけばもがく程、モーフの肩が悲鳴を上げる。術が完成し、目の前の風景が一変した。
さっきの喧騒とイヤな臭いが嘘のように、静かで草の匂いしかしない。
放送機材を抜いて食糧を満載したFMクレーヴェルのワゴン車は、見張りをつけずに放置していたが、手つかずで同じ場所にあった。
葬儀屋のおっさんがいきなり手を放し、少年兵モーフは草地に突っ伏した。鼻先で潰れた香草が清冽な芳香を放つ。モーフは息を止めて跳ね起きた。
「何、余計なコトしてんだよ! 戻せッ!」
おっさんの胸倉を掴んで揺さぶるが、湖の民は落ち着き払って言う。
「気持ちはわからんでもねぇが、パン屋の嬢ちゃんたちの居場所もわかんねぇのに、お前さん一人で突っ込んだってどうにもならんだろ」
「いいから戻せよ!」
「まぁ、いいから落ち着けって」
葬儀屋は、自分の腕を上からモーフの腕に絡ませ、あっさり捻って振り解いた。懲りずに掴みかかったモーフの腕を捕え、逆さに捻じる。流れるような動作でモーフの足を払い、草地に押さえ込んだ。
少年兵モーフは生い茂った香草に顔を埋め、歯を食いしばった。
……何でこんなどんくさそうな魔法使いに勝てねぇんだよッ!
訓練通りに起き上がろうとうするが、背骨におっさんの体重を乗せた膝が置かれ、身動きとれない。
「クソッ! 放せッ、この野郎ッ!」
「坊主、ちったぁ頭冷やせ。そんなんで首都に入ったって無駄死にするだけだ」
どう足掻いてもピナを助けに行けない。悔しさと情けなさに涙が滲む。急に気力が萎え、立ち上がる気力もなくなってしまった。葬儀屋に悟られまいと嗚咽を堪える。
おっさんが手を放し、背から降りても、少年兵モーフは動けなかった。
☆王都で湖の民の薬師アウェッラーナと会って話した、と言っていた……「699.交換する情報」「700.最終チェック」参照
☆元々積んであったアンテナは国営放送ゼルノー支局に置いて来てしまった……「158.トラック内部」「159.荷物の搬入出」参照
☆放送局の二人は魔法で追いかけられたら逃げられないようなことを言っていた……「690.報道人の使命」参照




