709.脱出を決める
「……会社の引越しを待たないで、ここを出よう」
クルィーロの父が、同じニュースを繰り返すラジオを見詰めて言った。
「えっ? でも、行くアテは?」
「ない」
彼は息子にきっぱり告げ、今にも泣き出しそうな娘のアマナにやさしく声を掛けた。
「でも、生きていれば、仕事や住む所は案外なんとかなるもんだ。だから、みんなはゼルノー市からここまで来られたんじゃないか。……そうだろ?」
小学生のアマナがコクリと頷いて兄を見る。クルィーロは納得と言うより諦めた顔で父に聞いた。
「で、ここを出て、どこ行くつもり?」
「アミトスチグマの難民キャンプへ行こうと思うんだ。……まぁ、聞いてくれ。会社の人も社宅に置き手紙をして辞める人が増えてるんだ」
「置き手紙? 何で退職届出さないんだ?」
クルィーロがみんなの疑問を代弁した。
「引き留めて、退職の手続きをしてくれないんだよ。それに、こんな状況じゃ退職金も出ないだろう。お前たちには言わなかったが、春頃から給料が元の半分くらいしか出てないんだ」
みんなを心配させまいと思って黙っていてくれたのだ。
……でも、それを言ったってコトは、本格的に会社が潰れそうってコトなんだろうなぁ。
倒産が先か、終戦が先か。
会社勤めの経験がなく、国際政治に疎いレノにでもわかる。会社と心中する気のない人たちが損切りしても、誰にもそれを咎める資格なんてない状況だ。
誰からも反対意見は出なかった。
……星の標が首都に入り込んで自爆テロ始めたし、今、通れる門が、いつ、ダメになるかわかんないもんな。
「おじさん、アミトスチグマ行きの船って、どこから出てるんですか?」
レノの質問にクルィーロの父はよくぞ聞いてくれたと食いついた。
「レーチカで、ラクリマリス行きの船がまだあるか調べて……」
「ありませんでした」
薬師アウェッラーナが申し訳なさそうに口を挟んだ。ほんの数日前、家族の船を探しに行ったばかりの者の言葉に場の空気が重くなる。
「……ありがとうございます。余計な手間が省けて助かりました」
「じゃあ、どうするの?」
アマナが、努めて明るい声で言った父をせっつく。
ラジオの臨時ニュースは、同じ内容を繰り返していた。星の標が首都クレーヴェルで起こした自爆テロ、各門は徒歩でなら通行できること、残る者は建物の護りを固めること、レーチカは避難民が溢れていること、国外へ逃れた難民へのアンケート……
「ギアツィントで、漁師さんにトポリ港へ連れて行ってくれないか頼む。断られたら、リャビーナに行って、アミトスチグマ行きの船を探そう」
「トポリ?」
アマナが父の計画に首を傾げる。
「最近、空港が復旧したんだ。湖上封鎖の迂回ルートがまだ決まらんらしいが、何か仕事はありそうだしな」
……それに、クーデターも関係ないもんな。
同じネーニア島だ。戦争が終われば、ゼルノー市に帰りやすいのもいい。
レノは、クルィーロの父の気持ちが痛い程わかった。
「えっと、それなんですけど……」
薬師アウェッラーナの遠慮がちな声に、みんなの注目が集まる。
「知り合いの運び屋さんが、もし、徒歩で首都を出ることになったら、ウーガリ古道へ行きなさいって……」
「フィアールカさんが? ネモラリス島には土地勘がないって言ってませんでした?」
レノが思わず聞くと、アウェッラーナは弱々しく微笑んだ。
「葬儀屋さんたちが、古道の休憩所に泊まってるそうです。レーチカに泊まれるとこがないから……」
「そうなんだ?」
クルィーロがやや喜びの勝る複雑な顔をすると、彼の父が何者なのか聞いた。兄妹が葬儀屋アゴーニに何度も世話になったことを説明する。
「まさか葬儀屋さんに葬式以外で世話んなるとは思わなかったけどさ」
「そうか。もし、会えたら、父さんからもよくお礼言っとかなきゃな」
父子が笑い、何となく空気が軽くなる。
みんな思い出したように朝食を再開し、食べながらこれからどうするか相談した。
「王都まで行けたら、運び屋さんがアミトスチグマに渡る手配をして下さるそうです。私じゃ【魔力の水晶】をいっぱい使っても、一度に連れてけるの二人くらいなんで、時間……えっと、休憩しながらじゃないと無理なんで、安全な場所に行ってからじゃないと【跳躍】で王都に行くのも、ちょっと……」
「いえいえ、そんな……俺はまだ王都に跳べないし、ほら、あの、新鮮な野菜と果物分けてくれたし……」
クルィーロが恐縮すると、みんなの目が食卓に残ったオレンジに向いた。ここ数日で少しずつ食べて残り三つだ。
……それ言ったら、魔法の使えない俺たちって完全にお荷物なんだよな。
勿論、二人がそんなつもりで言ったのではないことは、レノにもよくわかっているが、何となく心の隅に暗いものが澱んだ。
出勤時間が迫るが、クルィーロの父はまだ堅パンを齧っている。
「じゃあ、ここを出た後、ひとまずウーガリ古道を目指そう」
「いつ行くの?」
クルィーロの父が話をまとめるとアマナが聞いた。
レノの妹たちは一言も喋らず、成り行きを見守る。
「今日、出よう。実はもう退職届と会社宛の置き手紙は書いてあるんだ」
「アウェッラーナさん、アゴーニさんが居るとこまでの道順ってわかりますか?」
クルィーロが聞くと、アウェッラーナは頷いた。
「フィアールカさんに端末で見せてもらいました。古道に入れば後は一本道なんですけど、食べ終わったら地図描きます」
急な話だったが、みんな、本当は一刻も早くクーデターの戦闘とテロの不安、疑心暗鬼が渦巻く場所から出て行きたかったらしい。
臨時ニュースをBGMに大急ぎで朝食を詰め込む。
……行くアテがあるんあら、一秒だってこんなこと居たくないんだ。
食器と地図以外の荷物は鞄から出してない。
クルィーロが【操水】で洗って水気を切り、テーブルに残っていたオレンジと一緒に鞄に詰める。アウェッラーナは、地図帳を見ながらコピー用紙に目的地までの略地図を描いた。
「ティスちゃん、アマナちゃん、リボン、手首に結ぶからじっとして」
ピナが【耐衝撃】の【護りのリボン】を結ぶ。レノとピナも手首に結びあい、アマナが父の手首に巻く。
クルィーロが、テーブルに並べたリボンを見て唸った。
「これ……【耐熱】が三本しかないんだな」
「ないよりマシだし、暑いの防ぐリボン付けとこうよ」
ティスが言うと、クルィーロとアウェッラーナが難しい顔をした。
「みんなは【魔力の水晶】で使うから、余分に付けたらその分、効力が弱くなるんだ」
「それより怖いのは、魔力切れでリボンの防禦が失効することです」
クルィーロの父が、呪文を刺繍された色とりどりのリボンを見て子供たちに聞いた。
「その……【魔力の水晶】は幾つあるんだ?」
「作用力を補うタイプじゃないと、リボンの術を発動できないから……まぁ、ちょっとだよ」
クルィーロの言い方が気になり、レノは小袋の口を開けた。一人二個ずつ両手に握ってもまだ余る。数は充分だ。
アウェッラーナが気付いて説明した。
「あの……数じゃなくって、出力と持続時間が……でも、何もないよりマシなんで、落とさないように手袋の中に入れて握り込めば……まぁ、その……」
「俺とアウェッラーナさんには、マントとコートがあるから、五人で分けてくれよ」
「わかった。じゃあ、まず【耐衝撃】は一人一本。残り三本は女の子たちにもう一本ずつ……レノ君、いいかな?」
「はい」
……流石、おじさん。決断早いよな。
レノが幼馴染の父を頼もしく思っていると、袖を引かれた。
「お兄ちゃんは?」
「ん? 俺は大丈夫だよ。ティスより強いし」
妹が唇を白くなる程、強く結んで涙を堪える。運河やあの拠点でのことを思えば、妹たちが不安がるのも無理はない。
レノは【耐熱】を二本取り、一本をクルィーロの父に渡しながら言った。
「じゃあ、これも」
ティスは少し表情を緩め、レノの手首にリボンを結んだ。
みんな、夏物の上からコートを着て、マフラーを巻き、手袋をしている。その上から更に毛布を被った。クルィーロとアウェッラーナは魔法の服で軽装だが、多分、この中では一番身を守る力が強いだろう。
ラジオの電源を切り、クルィーロが鞄に押し込んだ。
「よし、忘れ物ないな?」
「うん。早く行こ」
アマナがクルィーロの腕を引いてせっつく。
テーブルには、置き手紙と退職届の封筒だけがぽつんと残された。
☆最近、空港が復旧した……「634.銀行の手続き」参照
☆【護りのリボン】……「413.飛び道具の案」「532.出発の荷造り」参照
☆運河やあの拠点でのこと……運河→「082.よくない報せ」~「086.名前も知らぬ」、あの拠点→「470.食堂での争い」参照




