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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二十七章 混迷

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707.奪われたもの

 剣戟の音が遠ざかる。

 足を上げる度、地に降ろす度に胸部を激痛が襲い、細い息が止まる。

 歯を食いしばり、咳を(こら)えてまた一歩。銀の糸が結ばれた大木へ、剣を杖に足を踏み出す。額を伝う汗が左目に入ったが、(ぬぐ)う余裕はなく、足だけを前に出す。


 魔力を圧縮して放つ【光の槍】は、魔法に無防備なアーテル軍の爆撃機を一撃で葬り去る。魔装兵ルベルは、至近距離から背中を撃たれたが、【鎧】に守られ、辛うじて一命を取り留めた。


 ……呪文は唱えられない、剣で戦うのも無理。でも、【流星陣】の糸を切るくらいは……!


 這うような歩みで、何ものも通さない結界の端に近付く。

 背後で悲鳴が上がったが、振り向かずに前へ。


 倒れかけた身体が見えない壁に当たって止まる。敵――恐らくネミュス解放軍の兵が建てた【(さえ)の壁】に身を預け、背を丸めて激しく咳込む。細かい血飛沫が宙に留まり、不可視の壁の範囲を教える。

 咳の反動で大きく換気されるが、肋骨が刺さったらしい肺は、勝手に抜けてゆく空気を更に欲した。


 荒い息を吐き、一瞬止めて足に力を入れる。上体を起こし、不可視の壁に手をついて歩みを進めた。引きずられた血が宙に刷毛(はけ)で刷いたような赤い痕を残す。


 数歩進んだところで不意に支えを失い、木の根で(したた)か右肩を打った。身体を丸めて咳込む。喉の奥に粘りついた血が、呼吸に雑音を混ぜる。

 左手を伸ばして剣を拾い、根に沿って重い身体をずり上げた。


 幹にもたれて座り、息を細く吐いて整える。

 顔の横に【流星陣】を張る銀の糸が見えた。


 剣に魔力を行き渡らせ、呼吸を止めて振り抜く。確かな手応えと同時に風が通り、木々がざわめいた。


 「鵬程(ほうてい)を越え、此地(このち)から彼地(かのち)へ……」


 知らない声が呪文を唱える。魔装兵ルベルは首を巡らせた。

 衛生兵セカーチが腹を押さえて(うずくま)り、少し離れた所にアシューグ先輩が倒れている。湖の民の一人が先輩に手を触れて【跳躍】を唱え、もう一人がシクールス隊長と剣を交える。


 「……この身を其処(そこ)に!」


 術が完成し、二人の姿が掻き消えた。取り残された湖の民がシクールス隊長を力任せに蹴りつけ、木々の間を縫って走り去る。

 隊長は追わず、研究所の門へ走った。


 戻った隊長の手にはセカーチの荷物があった。

 「どれだ?」

 袋の中身をぶちまけ、セカーチに魔法薬を選ばせる間に【操水】で灌木から水を抜き、彼の傷を洗う。衛生兵が自らを癒す間、シクールス隊長は湖の民四人の死体を【無尽袋】に回収した。


 ……身元の確認と、どうやってここを知ったのか、いや、こんな狙いすまして来られたのか……の確認か。


 敵兵を丁重に弔う為ではない。

 何ひとつ遺族の手に渡ることはなく、彼らは“行方不明”になる。

 アシューグ先輩もまた、同様に扱われるだろう。先輩を悼むより先に重大なことに気付き、ルベルは目の前が暗くなった気がした。


 ……魔哮砲の制御符号。


 ネミュス解放軍が首都の裁判所を制圧して【(ただ)しき燭台(しょくだい)】を接収すれば、何もかもわかってしまう。


 「よくやった。危うく全滅するところだった」

 顔を上げることもできないルベルの肩にシクールス隊長がそっと手を触れる。

 「命あらばこそ、善後策を立てられるのだ」

 耳元で囁かれ、ルベルが辛うじて首を縦に振ると、隊長と衛生兵セカーチは同時に【跳躍】を唱えた。



 魔装兵ルベルと衛生兵セカーチは、基地で軍医の手当てを受け、すぐに密議の間へ呼ばれた。重苦しい空気の中、報告する。

 ルベルは一般人の狩人だと思って見逃そうとしたことを伏せ、ただ、見落とした不首尾と任務を全うできず、おめおめと逃げ帰った醜態を詫びた。


 アル・ジャディ将軍が溜め息を()いて眉を下げる。

 「そう気を落とすな。【姿隠し】を使われたのであれば、【索敵】の目にも見えぬ」

 「資料の一部は奪われたが、最も重要な部分は回収できた」

 水軍将補が二人を(ねぎら)う。

 陸軍将補シクールスの姿はなかった。【(ただ)しき燭台(しょくだい)】で湖の民の死体を調べているのだろう。

 魔哮砲の制御符号を知る歌い手アシューグの遺体を奪われたことには、一言も触れられなかった。シクールス隊長の言う通り、今は失態を(とが)める時間を惜しんで、善後策を考えねばならないのだ。



 ルベルは宿舎の自室に戻るなり、ベッドに倒れ込んで胸板を撫でた。

 疲れ切った身体はすっかり傷が癒され、森の出来事が嘘のように痛みがない。目を閉じたが、気が(たか)ぶって眠れなかった。


 あの時、どうしてもっと早くに知らせなかったのか。発見直後に妨害していれば【流星陣】は完成せず、全員無事に【跳躍】で逃げられた。

 湖の民を斬ることを躊躇しなければ、シクールス隊長の手を煩わせずに済んだ。アシューグ先輩は死なず、資料も奪われずに済んだ。


 判断の甘さを嘆くが、涙は出なかった。

 真実を告げず、保身を図った浅ましさに自己嫌悪の沼が口を開ける。

 シクールス隊長とアシューグ先輩の迷いのない太刀筋が怖かった。


 ……俺には、国民に刃を向けるなんて無理だ。


 魔哮砲を手放せば、ネミュス解放軍と手を結んでアーテル軍から民を守る為に共闘できる筈だ。今は、ネモラリス人同士で血を流し合っている場合ではないのに、何故そうしないのか。

 多くの機密に触れても、一兵卒に過ぎない魔装兵ルベルには、アル・ジャディ将軍の考えもネモラリス政府の思惑もわからなかった。

☆魔哮砲の制御符号……「486.急造の捕獲隊」「509.監視兵の報告」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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