705.見張りの憂鬱
空の端が白んだ直後、四人がサカリーハ南西部の森へ跳ぶ。
先日、アーテル兵の捕獲任務で訪れたばかりのアシューグ大先輩は、狙い過たず、森に隠された研究所前に部隊を運んだ。
部隊は、魔法生物の研究資料回収で急遽編成された。
隊長はシクールス陸軍将補、見張りとして魔装兵ルベル、剣術に長けたアシューグ大先輩、衛生兵セカーチ。四人が修めた術の系統は、【渡る白鳥】、【飛翔する蜂角鷹】、【歌う鷦鷯】、【思考する梟】で、どう見ても魔獣駆除業者としては珍妙な組み合わせだ。四人は民生品の【鎧】の懐に徽章を捻じ込んで隠していた。
「ルベル、セカーチ、この門が見えるか?」
「はい。石の扉……ですよね?」
魔装兵ルベルの目には、固く閉ざされた石の扉とその両脇に伸びる石積みの高い塀が見えた。どちらも、ルベルの知らない呪文がびっしり刻まれている。
衛生兵セカーチも頷いて聞いた。
「この塀、【飛翔】で乗り越えるんですか?」
「いや。門以外の場所は越えられん。回収作業は私とアシューグでする。二人はここで見張りを頼む」
シクールス隊長が三人を退がらせ、門に手を触れて合言葉らしきものを囁く。石の扉が音もなく内側に向かって開き、見たことのない草が生い茂った前庭が現れた。蝶に似た青い花が一面に咲き、甘い香りが流れて“こちら側”の朝靄に混じる。
「門を開放しておかねば【花の耳】の声も届かん。閉まらぬよう、気を付けてくれ」
魔装兵ルベルと衛生兵セカーチが揃って敬礼すると、陸軍将補のシクールス隊長はアシューグ大先輩と二人で前庭を駆けて行く。ルベルは、回収係が研究所内部に足を踏み入れたのを見届け、森に向き直った。
目覚めたばかりの鳥たちが鳴き交わす。朝靄が晴れた。
木立の間に目を凝らすと、朝の光を返す明るい場所があちらにポツリ、こちらにポツンと見える。レサルーブの森の北西端に近いこの辺りは池や沼が点在し、湿地も多かった。蚊の大群がうるさく飛び回るが、【鎧】に阻まれ、血を吸えずに離れた。
水草に覆われた沼でも、木立に遮られずに日が届き、薮の下より雑妖が少ない。【索敵】の目には、水草の下で犇めく雑妖や水棲の魔物、虫や魚も見えるが、沼に入らなければ問題なかった。
……見張る対象は、魔物や魔獣、アーテル軍の増援、ネミュス解放軍の奴……か。
「もし、地元の猟師とか来たらどうしようか?」
「ん? あ、そう言えばそうだな。シクールス隊長も言っといてくれりゃいいのに」
魔装兵ルベルが話を振ると、衛生兵セカーチは困った顔で頭を掻いた。
シクールス隊長とアシューグ大先輩は、さっき入ったばかりだ。ルベルは【索敵】の目を研究所に向けたが、壁の向こうを見通せなかった。
術で遮断されている。
セカーチが襟に手をやった。民生品の【鎧】の襟には【花の耳】の花弁を着けている。本体部分は司令本部にあった。
「今の内に聞いとこう」
セカーチに連絡を任せて【索敵】に集中する。
木のうろにトカゲに似た魔獣が居た。かなり遠いので存在だけ憶えて視点を移動する。
沼の上を飛び交い、嘴いっぱいに羽虫を集める鳥、雛を飲んで巣から落ちる蛇、薮で兎を仕留めた狐が、膨らんだ蛇を跳び越えて駆けて行った。
首を巡らせた範囲に人の姿はない。
ルベルは振り返って後方に視線を這わせた。塀にも建物と同じ術が施され、向こうが見えない。
……あれっ? これって【索敵】の視線が通らないのが怪しまれて……場所……バレバレなんじゃないのか?
ネミュス解放軍の主力は退役軍人だ。共和制移行時に騎士団から共和国軍へ移らず辞めた者と、半世紀の内乱中に「国民とは戦えない」と命令を拒絶して自らの意思で辞めた者や、退役させられた者が大半らしい。
少数だが、ネミュス解放軍の主張に賛同し、寝返った現役兵も居ると聞いた。
民間人がどのくらい彼らの側についたか、調査中だ。
……哨戒兵が居たら、遠くからでも場所を確認できるよな?
ウヌク・エルハイア将軍がおよその場所を示せば、すぐにみつかるだろう。
「口封じしろってさ」
暗い声で【索敵】が解けた。
衛生兵セカーチは、枝葉の隙間から空を見上げて言う。
「機密なんだから当たり前だ、いちいちそんなコト聞くなって怒られた」
「……ごめん」
「謝るなよ。俺だってまさかそんな……全然、思ってなかったし」
クーデターを起こして国民の暮らしを脅かすネミュス解放軍ならともかく、通りすがりの狩人まで始末せよと命じられるとは思わなかった。
……聞かなきゃよかった。
苦い後悔を胸に【索敵】を掛け直した。
森に立ち入る狩人や魔獣駆除業者は、それなりの装備を整え【急降下する鷲】学派などを修めている。自力で身を守り、戦える者ばかりだ。
不意討ちできなければ、こちらも無傷では済まない。
治安部隊として、犯罪者やテロリストを鎮圧するのではなく、罪もない通りすがりの国民を殺せとの命令が、魔装兵ルベルの肩に重くのしかかった。
ルベルたちは、魔獣駆除業者のフリをしている。
ネミュス解放軍も、そうしない保証はなかった。
そもそも彼らの武器や防具は、民生品か旧王国軍の払い下げだ。一般人と見分けがつかないことに気付き、ルベルは命令の意味を反芻した。
後から来た仲間や、行方不明者の捜索に来た警察官などが【鵠しき燭台】を使い、死者が何をして、誰に殺されたのか、暴かないとは限らない。
シクールス隊長の【制約】で、誰にも伝えないよう口止めするのでは不充分。遺体と遺品を残さず灰にし、撒き散らして回収を阻止。目撃者の存在を完全に抹消しなければならないのだ。
……誰を守る為の命令なんだ?
既に魔哮砲の存在とあれが魔法生物であることは、インターネットで世界中に広まってしまった。
研究資料の一部と当時の末端研究者はラクリマリス政府が握り、アーテル政府も、どこでどうやって入手したのか、かなり正確な情報を掴んでいる。
若い魔装兵の胸にアル・ジャディ将軍の言葉が甦った。
――我が国は既に情報戦で敗北している
……バレても、魔哮砲を回収して、また使いたいから……なんだろうな。
国際的な批難を浴びて、それでも手放せない理由はわからない。
アーテル共和国政府は、リストヴァー自治区の人権侵害を口実に戦争を吹っ掛け、魔哮砲を実戦投入させた。自国の兵を犠牲にしてまで魔哮砲を白日の許に晒し、破壊する為にラクリマリス王国領へも進攻した。
……王国軍がアーテル軍を追っ払わないのって、魔哮砲が共通の敵だから……だったりしてな。
取りとめもなく考えを巡らせながら、森にも【索敵】を巡らせる。日が高くなってきた森はこの世の生き物が活き活きとして、雑妖は視えなくなっていた。
人の姿も、前方数キロ圏内にはない。
……国民を守る為の軍隊なのに、なんで……?
ルベルが軍に入ったのは、故郷の山村を出て広い世の中を見たかったからだ。
家族や村の人たち、分校の先生から色々な系統の術を少しずつ教わった。学費が無料だから兵学校に進学し、初めて系統立ててきちんと魔術を教えられた。
それが、【飛翔する蜂角鷹】学派だった。父から教わった術も幾つかあったが、兵学校の教官からは父が知らない使い方を教えられた。
入試で適性を調べられ、哨戒兵のクラスに振り分けられただけで、ルベル自身は軍の中にどんな仕事があって、自分が何をしたいのか考えていなかった。
……こんなことになるんなら、もっとよく考えて就職先を決めればよかった。
しっかり「国民を守りたい」と思って軍人になったのではなく、勤めてほんの数年だが、それでもルベルは人間を相手に戦いたくなかった。
もし、兵学校に行かず、あのまま故郷のアサエート村で畑の世話をして、時々狩りに出掛ける暮らしをしていたら、村の誰かと結婚して、今頃は子供の一人も生まれていただろうか、などと夢想する。
……でも、もう何もかも遅いんだ。
機密情報と魔哮砲に関する作戦にどっぷり漬かってしまった。アル・ジャディ将軍に夕飯を奢られ、しっかり顔を覚えられてしまった。
軍を辞めたいなどと言えば、目撃者同様、始末されて、ルベルの存在自体なかったことにされるだろう。
既に命令は下された。
……どうか、誰も来ませんように。
魔装兵ルベルは、主神フラクシヌスに祈って森に目を凝らした。
☆アル・ジャディ将軍の言葉……「411.情報戦の敗北」参照
☆故郷のアサエート村……「506.アサエート村」~「508.夏至祭の里謡」参照
☆アル・ジャディ将軍に夕飯を奢られ……「410.ネットの普及」参照




