704.特殊部隊捕縛
深い緑が、ネーニア島の南半分を九割方覆う。クブルム山脈の裾野に広がるツマーンの森だ。広葉樹の森の南端に【索敵】の視線を飛ばす。
茶色の筋が、モースト市とプラーム市を隔てる一帯の森を無秩序に割っていた。腥風樹の毒気に中った木々が完全に枯死し、異界の樹木の這い跡を示す。
ラクリマリス王国軍が汚染の拡大を防ぐ為、動植物の死骸を撤去している筈だが、なかなか作業が進まないようだ。
……範囲が広いし、腥風樹を捕獲するのも大変だし、残り何本かもわからないし、元々魔獣とかいっぱい棲んでるし……そりゃそうだよな。
魔装兵ルベルはラクリマリス軍の兵士に同情した。
アーテル共和国がネモラリス共和国に戦争を吹っ掛けたせいで、間に挟まれたラクリマリス王国は巻き込まれた。アーテルの空襲を防ぐ為に湖上封鎖した結果、湖南地方の経済にも影響が出ている。【無尽袋】不足も、作業がなかなか進まない理由のひとつだろう。
アーテル共和国は、モースト市に侵入させた戦車部隊を退かず、ラクリマリス王国も、今はそれどころではないからか放置している。
「交代です」
声を掛けられ、魔装兵ルベルは【索敵】の術を解いた。
クブルム山脈の中央部、南側斜面。ネモラリス軍はラクリマリス領に監視所を設け、民間の魔獣駆除業者に偽装した兵を常駐させていた。
……俺たちも、アーテル軍のこと、とやかく言えないよな。
「広域監視、異状なし!」
「広域監視、異状なし、了解!」
人家からもクブルム街道からも遠い山中に報告の声が響く。
監視所は大木の周囲をロープで囲んで【簡易結界】を張っただけで、撤収時にはラクリマリス領内に痕跡を残さぬよう、厳命されていた。
五人一組の部隊は【索敵】による監視兵が三人、監視兵の護衛が二人だ。監視は、アシューグ大先輩が【流星陣】で閉じ込めた魔哮砲と、その地点を含む一帯の広域を一人ずつで行う。後の一人は護衛と監視の交代要員を兼ねて待機する。
本部からは三日に一度の交代で、監視と護衛が一人ずつ寄越される。
ルベルは、首都沖に停泊する旗艦でのアーテル空軍哨戒任務と、ここの魔哮砲監視任務を交互に担っていた。どちらか一方に集中した方がよさそうな気がするが、クーデター対応で哨戒兵が足りなくなったのだろう、と諦めて何も言わない。
肥大化した魔哮砲を容れられる【従魔の檻】はまだ完成しない。監視任務がいつまで続くのか、ルベルたちには知らされていなかった。
監視のルベルと護衛の一人が、ネモラリス島の本部前に【跳躍】する。
首都クレーヴェルでクーデターが発生し、レーチカに樹立した臨時政府は治安部隊を送り込んだが、まだ戦闘が続いていた。
「じゃ、お疲れさん」
「お疲れー」
護衛は所属部隊へ、ルベルは司令本部へ報告に行く。
陸軍大佐は魔装兵ルベルが口を開くより先に命令した。
「密議の間へ行け」
ここで用件を言われないことにすっかり慣れてしまった。ルベルは無言で敬礼し、本部の最奥へ急いだ。
以前にも増して警備と護りの術が厳重になった廊下を通り、扉の前で待ち構えていた軍幹部に招じ入れられる。
「ご苦労。座ってくれ」
アル・ジャディ将軍に敬礼し、魔装兵ルベルは末席に浅く腰掛けた。
将軍に促され、向かいの席でアシューグ大先輩が姿勢を正して報告を始める。
「サカリーハ近郊に侵入していたアーテル兵の捕縛任務、完了致しました」
魔装兵ルベルは驚きのあまり声も出なかった。見開いた目をアシューグ大先輩とアル・ジャディ将軍に向けるが、二人が冗談を言っている様子はない。
……アーテル兵がそんなとこまで入り込んだって? どうやって?
ルベルの疑問に答えるようにアシューグ先輩が順を追って説明する。
「先日、エージャ市の魔獣討伐隊が、付近の森でパラシュートを発見、回収しました」
兵の報告を受け、回収した物を本部で【鵠しき燭台】に掛けると全く予想もしなかったことが発覚した。
アーテル軍は湖西地方の湖岸すれすれを輸送機で移動し、ラクリマリス軍の湖上封鎖とネモラリス軍の防空網を突破した。エージャ近郊に舞台を降下させ、輸送機は同じルートで帰還したらしい。
「馬鹿な。自殺行為だ」
幹部の一人が吐き捨てたが、アル・ジャディ将軍と他の幹部三人は何も言わない。
……魔法が使えないのに、無防備な輸送機で?
ラキュス湖西地方は三界の魔物との戦いで、当時存在した国家が全て滅亡した。
封印後、何度か入植団が結成されたらしいが、全て、勢力を増した魔物や魔獣に襲われて壊滅。三界の魔物の封印から二千数百年を経た現在も、湖西地方には人間の集落がひとつもない。
一攫千金を狙う遺跡荒らしや、調査の学者、他地域で発掘された休眠状態の魔法生物を投棄する軍などが侵入することはあるが、いずれも一時的なものだ。
目的を果たせた者より、命を失った者、命だけを持って逃げ帰った者の方が多い。
地上は勿論、上空にも魔物などが多く、航空会社はルートから外していた。
「アーテル軍の対魔獣特殊作戦群の一部隊で、捕縛した全員が【魔力の水晶】を所持していました」
「キルクルス教徒の分際でか」
先程の幹部――シクールス陸軍将補が呆れる。
「機密扱いだそうですが、対魔獣特殊作戦群には、魔法の武器と防具が支給されているそうです。旧王国時代の物が大部分で、数は少ないそうですが……」
旧ラキュス・ラクリマリス王国時代に生まれたアシューグ大先輩は、淡々と説明を続けた。
「エージャ付近に降下したアーテルの部隊は、森にパラシュートを隠し、避難民に変装してネーニア島の北岸沿いを徒歩で移動、サカリーハ市で食糧などを補給して、同市南西の森林に侵入しました」
「森林に?」
魔装兵ルベルも幹部と同じ疑問を抱いた。
湖西地方程ではないが、ネーニア島の山林にも魔物や魔獣が棲息している。力なき民が足を踏み入れて生きて帰れる可能性は低い。
「この部隊は、五人全員が旧王国時代の制式装備の短剣を所持していました」
「ランテルナ島出身の……力ある民なのか?」
「いえ。【魔力の水晶】で使用する手筈だったそうです」
「本気で魔獣を狩るつもりだったのか?」
「剣は護身用です。旧王国時代の研究所に侵入を試みていました」
……研究所? 何の?
アシューグ大先輩の目がルベルを一瞥して、アル・ジャディ将軍に向けられた。将軍が頷いて説明を引き継ぐ。
「旧王国時代から機密扱いで、存在を知る者はほんの一握り、常命人種ばかりのアーテル人が、どこでどうやって嗅ぎつけたのかは、別途調査中だ」
「何の研究所なのですか?」
シクールス陸軍将補が遠慮がちに質問した。アル・ジャディ将軍は決して口外せぬよう前置きして一同を見回す。
密議の間の会話は外部から盗聴できない。陸軍将補は【渡る白鳥】学派の術者だ。【制約】で口止めできる。
「魔法生物のの基礎研究を行う機関だった。共和制移行前に封鎖され、二百年以上放置されている」
「基礎研究……?」
それには別の幹部が答えた。
「遺跡で発掘された魔法生物の解析と倒し方の研究だ。一体ずつ仕様が異なる為、無理に殺処分するより、休眠状態で湖西地方に投棄した方が安全で確実だとの結論が出て、封鎖が決まった」
「研究所は万が一にも魔法生物を漏らさぬよう、物質界から僅かに位相をずらしたところにある。力なき民は勿論、魔力があっても作用力がない者や、魔力の弱い者には、侵入はおろか見ることもできん」
将軍が説明を付け足すと、アシューグ大先輩が報告した。
「アーテル兵が所持していた【魔力の水晶】は作用力を補うものでしたが、出力不足で研究所を発見できず、“こちら側”の森で探しているところを捕縛しました」
……殺さなかったんだな。
捕虜にしておけば、後で交渉の材料にできるから、最初から不殺の命令が出ていたのかもしれない。納得したルベルに将軍の視線が向けられた。
「当然、ウヌク・エルハイア元将軍もこの研究所を知っている。閉鎖の決定を下したのは彼だからな」
アル・ジャディ将軍はウヌク・エルハイア元将軍の親戚だ。どちらも湖の民の有力者ラキュス・ネーニア家の分家で、当時は権力の中枢に近い所に居た。
共同統治者のラクリマリス王家も、同じ情報を持っているが、そちらが動いた気配はないらしい。現在のラクリマリス王国内に当時の末端研究員の生き残りがいるからだろうか。
アル・ジャディ将軍が遠くを見る目で呟いた。
「ウーガリ山中に残る研究資料はこちらで回収済みだが、アーテル軍の動きで、元将軍がサカリーハの研究所を思い出したかもしれん」
「一体ずつ仕様が異なるとは言え、魔哮砲を仕留める手掛かりとなる情報を渡す訳にはゆかん」
「元より、研究を命じたラクリマリス王家には、存在を把握されているが、今からでも遅くはない」
将軍に続いて、軍幹部が何故か回りくどく説明をほのめかす。
……どうせ、研究資料の破棄か回収をしろってことなんだろ?
魔装兵ルベルは、苛立ちを押し殺して将軍の緑の瞳を見詰めた。
「製本済みの資料は護法が掛かって処分できん」
アル・ジャディ将軍がルベルから目を逸らし、先程から質問を繰り返していた【渡る白鳥】学派のシクールス陸軍将補を見遣る。
今、気付いたが、彼もルベル同様、軍服ではなく民間の魔獣駆除業者のような格好で階級章を着けていなかった。
「魔哮砲を収容可能な【従魔の檻】の完成にはまだ時間が掛かる。研究資料を回収せよ」
「資料はこれに。製本済みだけでなく、メモの一枚たりとも見落としませんよう」
将軍が命じると幕僚長は【無尽袋】を三枚、机上に並べた。
☆アーテルの空襲を防ぐ為に湖上封鎖した……「144.非番の一兵卒」「161.議員と外交官」参照
☆湖南地方の経済にも影響が出ている……「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「285.諜報員の負傷」「440.経済的な攻撃」「588.掌で踊る手駒」参照
☆アシューグ大先輩が【流星陣】で閉じ込めた魔哮砲……「607.魔哮砲を包囲」「608.四眼狼の始末」参照
☆肥大化した魔哮砲……「509.監視兵の報告」「618.捕獲任務失敗」参照
☆サカリーハ近郊に侵入していたアーテル兵……「518.いつもと違う」~「521.エージャ侵攻」参照
☆封印後、何度か入植団が結成されたらしい……「301.橋の上の一日」参照
☆発掘された休眠状態の魔法生物を投棄する……「457.問題点と影響」「509.監視兵の報告」参照
☆対魔獣特殊作戦群には、魔法の武器と防具が支給されている……「475.情報と食べ物」参照
☆ウーガリ山中に残る研究資料……「497.協力の呼掛け」「509.監視兵の報告」「581.清めの闇の姿」参照
☆現在のラクリマリス王国内に当時の末端研究員の生き残りがいる……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照




