703.同じ光を宿す
「これ、店長さんから預かってきました」
針子見習いのサロートカが、キルクルス教の分厚い聖典を開いた。
ラクエウス議員が飲みかけたカップを置いて身を乗り出す。
「えっと、何から言えばいいのかな……えっと、星の標の人たちは、悪しき業だから魔法は絶対ダメって言ってますけど、星道の職人用の聖典には、魔法が載ってるんです」
「えぇッ?」
アミエーラとラクエウス議員だけでなく、ファーキルも驚きの声を上げた。
諜報員ラゾールニクがタブレット端末をつつき、作業机の中央に置いてアミエーラに向ける。画面には見たこともない立派な教会の写真が表示されていた。
「これ、バンクシア共和国の大聖堂」
「これが……」
アミエーラは、初めて目にしたキルクルス教総本山の威容に複雑な思いがしたが、表情を押し殺してラゾールニクを見た。
「画面、よく見て」
諜報員が画面を摘まんで弾くように撫でると、写真の一部が拡大された。繰り返す度に大きくなる。手を止めると、偉大な聖職者たちの石像に刻まれた顔の皺まではっきり見えた。
今度は指一本で画面を撫でる。視点が移動して、石像の襟が表示された。
「この服の装飾がそれ」
「私の白衣にも同じ物があります」
「えっ?」
呪医セプテントリオーが机を回り込んでアミエーラの横に立ち、白衣の裾を摘まんで机に上げた。白衣の刺繍を指でなぞり、聖典を指で辿る。
「白地に白糸でわかり難いでしょうが、【魔除け】の呪文と魔力を巡らせる呪印です」
「……あッ!」
確かに、同じだ。アミエーラの記憶が繋がる。
「この印、アウェッラーナさんのコートとクルィーロさんのマントにもありました」
「これは【編む葦切】学派の呪印です」
「服や呪符、魔法の道具とかを作る職人さんの学派なんだよ」
ラゾールニクの説明に頷く。
「クロエーニィエ店長さんの……ですよね? そう言えば、縫製を手伝ったメンズベストにも、これ、ありました」
……でも、どうして聖典に? 大聖堂に?
ラゾールニクが、アミエーラの困惑を見透かしたように苦笑する。
「何でって思うよね? 元々、聖者キルクルス・ラクテウスは、【深淵の雲雀】学派やスゲー破壊力のある魔法は、もう使っちゃダメだって言っただけなんじゃないかな?」
「魔法生物を製造する【深淵の雲雀】学派を放置すれば、三界の魔物の再来になりかねませんし、三界の魔物に対抗する為に、凄まじい破壊力の魔法が開発されたそうですから、気持ちはわかります」
呪医セプテントリオーが補足する間、ラゾールニクが端末をつつく。向けられた画面には、地図が表示されていた。
画面を撫でてアルトン・ガザ大陸を拡大する。
「不自然に大穴あいてんの、魔法で吹っ飛ばした痕だよ」
「えぇッ?」
今日は驚くことばかりだ。
学校で地図を見た時、どうして、こんなキレイに丸い地形なのか気になったが、先生は誰も教えてくれなかった。
「今は禁呪だし、膨大な魔力が必要だから、誰も使えないけどね」
「魔法文明圏の国々も、三界の魔物の再来を防ぐ為、魔法生物の製造に厳しい制約を設けました。私が生まれる前に【深淵の雲雀】学派を修得した最後の一人が亡くなり、今では使える人がいないそうです」
アミエーラは魔法使いたちの説明を噛みしめ、クフシーンカ店長の聖典を見た。店長の弟ラクエウス議員も、聖典に厳しい視線を注ぐ。
……もし、本当にそうなんだったら、魔法使いの国の対策と、聖者様の戒めは同じってこと……?
アミエーラはキルクルス教の信仰を捨てたつもりでいたが、改めて言われて愕然としたことに、自分の気持ちがわからなくなった。
「祈りの詞は【魔除け】とか身を守る呪文の共通語訳だったりするし」
……それは、橋の上で旗を作った時に聞いたけど、まさか、力ある言葉でそのまま載ってるなんて。
「いつの時代、どこの地域から、一般の信者に伏せられるようになったのか不明です。このことを周知すれば、信仰の違いが争いの原因ではなくなるのではないかと思うのですが……」
呪医セプテントリオーが控え目に言うと、ファーキルが首を横に振った。
「大聖堂が公式発表するんじゃない限り……いや、あの、何て言うか、フラクシヌス教徒がそれ言っちゃったら、火に油っていうか……星の標の人とか、都合の悪いこと言う人たちを黙らせようとして、余計に暴れるんじゃないかなって思うんですけど……」
「そう……よね。市民病院で治してもらった人が殺されたりしてるのに、聖典に魔法が載ってるなんて言ったら、同じのを持ってる人が殺されちゃうかも……」
アミエーラは自分の肩を抱いて俯いた。
一般信者向けの聖典はこれよりずっと薄い。少なくとも、リストヴァー自治区ではそうだった。
「信仰のことはひとまず措くとして、まずは共通の敵の排除だ」
「共通の敵……?」
老議員の声で、アミエーラは顔を上げた。
「左様。先日、各勢力の主張などを比較したのだが、魔哮砲を容認しておるのはネモラリス政府……現政権の一握りの議員と軍人の一部だけなのだよ」
「対魔哮砲でアーテルに共闘を呼び掛けるなんて、できるんですか?」
ファーキルが、アミエーラと同じ疑問を口にした。
ラクエウス議員は悲しい目で首を振り、少年と諜報員を見る。
「儂も、そこまでは期待しておらんよ。ただ、ネモラリス人すべてが魔哮砲を肯定しておるのではない……いや、ほんの一握りの者が極秘裏に開発を行い、国民の目を欺いて使用していた、と言う事実は、国内外に発信し続けねばならん」
「でも、アーテル人が信じてくれるんでしょうか?」
アミエーラはクフシーンカ店長の弟に懸念を告げた。ランテルナ島に隔離されている魔法使いたちなら、信じてくれるかもしれないが、本土のキルクルス教徒たちには難しいだろう。逆の立場なら、アミエーラにも信じられない。
仕立屋で数回会ったことがある老議員が、姉の親友の孫と言う微妙な立場のアミエーラに頷いてみせる。
「アーテルとて、一枚岩ではない。音楽家の平和団体“安らぎの光”は、抗議声明を出しておる」
アミエーラは、アーテル領ランテルナ島にあるゲリラの拠点で、ラジオのニュースを聞いたことを思い出した。
「イグニカーンスの空軍基地の近くで、一般市民が戦争反対のデモをして捕まったって、ネットのニュースで見ましたよ」
ファーキルが言うと、後輩のサロートカも頷いた。
「私、アーテルのことは知りませんけど、自治区の人も、色々です。星の標の人たちが怖くてみんな黙ってますけど、怪我とか治したり魔物から守ったりする人助けの魔法は“悪しき業”じゃなさそうだし、別にいいんじゃないかって人も割と居るんです」
「だからこそ、ラクエウス先生がゼルノー市に働き掛けて、救命の協定を結べたんですよ」
呪医セプテントリオーが言うと、老議員は深く頷いたが、針子の後輩は複雑な顔で聖典に視線を落とした。
「私、ここに来て、戦争を終わらせたいと思ってる人が大勢いるのがわかりました」
アミエーラは部屋に居る六人を見回した。
リストヴァー自治区で生まれ育ったキルクルス教徒だが力ある民だとわかった自分、半世紀の内乱前を知る自治区選出のラクエウス議員、自治区で生まれ育った少女サロートカ、湖の民の長命人種で魔法使いの呪医セプテントリオー、ラクリマリス人の力なき陸の民の少年ファーキル、諜報員として各地を飛び回る陸の民の魔法使いラゾールニク……
そう言えば、アミエーラは、ラゾールニクがどこの国の人か知らなかったことに気付いた。
「信仰とか国籍とか人種……違う部分の方が多いし、ひとりひとりができることは小さいけど、みんなで力を合わせたら実現できるんじゃないかなって……」
アミエーラの言葉にみんなは異口同音に賛成してくれた。
ラゾールニクが力強く言う。
「できるんじゃないかな、じゃなくて、するんだよ」
今はまだ遠くても、諦めずに一歩ずつ前に進んでゆけば、平和に近付ける。
アミエーラは、仲間たちの異なる色の瞳に宿る同じ光を見て、必ず実現できると確信した。
☆アウェッラーナさんのコート……「005.通勤の上り坂」「056.最終バスの客」参照
☆クルィーロさんのマント……「283.トラック出発」「288.どの道を選ぶ」「446.職人とマント」参照
☆縫製を手伝ったメンズベスト……「503.待つ間の仕事」「521.エージャ侵攻」「522.魔法で作る物」参照
☆三界の魔物の再来を防ぐ為、魔法生物の製造に厳しい制約を設けました……「365.眠れない夜に」参照
☆祈りの詞は【魔除け】とか身を守る呪文の共通語訳だったりする……「374.四人のお針子」参照
☆橋の上で旗を作った時に聞いた……「308.祈りの言葉を」参照
☆先日、各勢力の主張などを比較した……「693.各勢力の情報」参照
☆音楽家の平和団体“安らぎの光”は、抗議声明を出しておる/ラジオのニュース……「328.あちらの様子」参照
☆イグニカーンスの空軍基地の近くで、一般市民が戦争反対のデモをして捕まった……「162.アーテルの子」参照
☆ラクエウス先生がゼルノー市に働き掛けて、救命の協定を結べた……「529.引継ぎがない」「551.癒しを望む者」「552.古新聞を乞う」参照
☆針子の後輩は複雑な顔で聖典に視線を落とした……「560.分断の皺寄せ」参照




