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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第四章 印歴二一九一年二月四日
72/3486

0072.夜明けの湖岸

 空と湖の境が白み、今日の光が広がってゆく。

 湖上の小島では(カラス)が鳴き交わし、雀が(さえず)る。

 濃紺の空が下から薄くなり、星々が姿を消す。夜に属する輝きと同時に、地上で生まれた雑妖が溶け崩れて消えた。


 ロークは今ようやく、「助かった」と思えた。全身から力が抜け、そのまま倒れそうになる。足に力を入れ、何とか身体を支えた。


 ニェフリート運河の東端。

 見渡す限り焼け跡で、生きて動く人の姿はない。

 湖面は、何事もなかったかのように穏やかだが、一隻の船もない。


 テロリストの破壊活動の上に空襲を受けた街は、焼け焦げた更地(さらち)と化した。

 所々煙を(くすぶ)らせるが、可燃物は粗方(あらかた)燃え尽きた。

 (わず)かに残った基礎は黒く(すす)け、家や会社にはたくさんの家財や備品があった筈だが、何ひとつ残らなかった。


 幾つもの家族の暮らしも、多くの企業や商店の仕事も、何もかもが失われた。


 この辺りは先のテロで住民が避難した分、人的被害はまだマシだろう。

 避難先で生き延びれば、いつか戻って再建できる日が来るかもしれない。



 ロークは、ニェフリート運河の北岸へ視線を転じた。

 この辺りは確か、倉庫街だった筈だ。

 今は、何もない。

 何か大きな建物があったらしき痕跡があるだけだ。



 ロークたちは夜通し歩いて、ここに辿(たど)り着いた。

 乱闘で結界が切れた直後、魔法使いの工員に誘導された。

 他に頼れる者はなく、彼に命を預けるつもりでついて行った。【魔除け】の護符で雑妖を蹴散らした。背後から、薬師(くすし)が何か呪文を唱える声が聞こえる。


 どのくらい歩いた頃か、【水晶】の魔力が尽き、行く手の雑妖が逃げずに襲いかかって来た。

 「貸して」

 工員に言われるまま護符を渡した。

 魔法使いの工員の手に触れると、護符は力を取り戻した。

 ロークは代わりに工員の妹を抱き、彼のすぐ後ろについて歩いた。


 星明かりと所々に残る火災の炎、そして【魔除け】の護符が放つ真珠色の光を頼りに、どこをどう歩いたのか、東の空が(しら)む頃、河口に出た。



 ここまで辿(たど)り着けたのは、たった十人。

 ローク、工員、工員の妹、湖の民の薬師(くすし)、ピナと呼ばれた少女、ピナの兄と妹、テロリストの隊長、年配のテロリスト、テロリストの少年兵。


 警官もバスの運転手も、飴を配ったおばさんも、中学生たちも居ない。

 よりによって、テロリストがついてくるとは思わなかったが、ロークにはどうすることもできなかった。


 明るくなって、雑妖の脅威は去ったが、再び空襲の懸念が持ち上がった。

 どこの国の軍が、何の目的で空襲を行ったのかわからない。

 上空から見れば、こうして固まった生存者は恰好(かっこう)の標的だろう。だが、身を隠せる場所は、どこにもなかった。

 ここも橋が破壊され、北岸のセリェブロー区に渡れない。

 渡ったところで、セリェブロー区も焼け野原だ。

 ロークは途方に暮れた。



 誰からともなく、ぞろぞろ歩いて漁港に出た。

 ここも、人の気配のない廃墟だ。

 一隻の船もない。

 全て避難したのか、空襲で沈められたのか。


 風で吹き寄せられた波が、破損した岸壁を静かに洗う。魚の加工場や魚市場だった場所は、焼け残った鉄柱が飴のように曲がっていた。


 湖の民の薬師(くすし)が、小声で力ある言葉を唱える。

 何度か聞いたことのある呪文だが、ロークには何の術かわからない。

 「えっ? あれっ? どうして?」

 薬師が、破損した岸壁から身を乗り出し、湖面を覗き込んだ。

 「どうしたんです?」

 工員と手を繋いだ妹が、近付きながら聞く。


 振り向いた湖の民の顔は蒼白だった。

 「水が……起ち上がらないんです」

 「えっ? 【操水】できない?」


 テロリストの隊長が、三人の(かたわ)らに立ち、湖を指差した。

 「初日に別働隊が【消魔(しょうま)石盤(せきばん)】を沈めた。この辺りでは、一切の魔術が無効化される。石盤の力を上回る強い魔力があれば、別だがな」


 「キルクルス教徒なのに、魔法の道具は使うんだ? それってアリなの?」

 工員が苦笑する。

 憎しみも敵意もない。純粋に呆れた顔だ。


 隊長も笑顔で答える。

 「君だって、魔法使いなのに、機械を作る工場で働いていたのだろう?」

 「ん? あ、あぁ、そっか……ははっ。そう言うことか」

 妹が兄を見上げて首を(かし)げた。


 工員が妹の手を引いて湖岸から離れる。諦めた湖の民の薬師(くすし)と、テロリストの隊長も離れた。

 歩きながら、工員が誰にともなく言葉を発する。

 「この辺は何もかも焼けたし、ここでこうしてても、どうにもならない」

 「うん。そうだな」

 エプロン姿の青年が相槌を打つ。

 「運河沿いに歩いて、橋が残ってる所を探さないか?」


 「少し休めば、術で渡れますよ」

 薬師(くすし)の一言で、みんなの顔が明るくなる。だが、安全に休める場所が思い当たらず、すぐに(うつむ)いた。


 行く(あて)はないが、何となく国道に出る。

 瓦礫と灰が道を塞ぎ、車は一台もない。

 濃い茶髪の少女が、ポツリと呟いた。

 「地下室は?」

 「それだ! 地下室だ! どっかの店か会社の地下に行ってみよう」

 手を繋ぐエプロンの青年が、少女の髪を撫でる。

 少女は少し誇らしげな顔で兄に笑顔を向け、もう一方の手を繋ぐ姉にも、同じ笑顔を向けた。


 挿絵(By みてみん)

☆乱闘で結界が切れた……「0071.夜に属すモノ」参照

☆初日に別働隊が【消魔の石盤】を沈めた……「0025.軍の初動対応」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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