699.交換する情報
「フィアールカ神官は、ホテルにいらっしゃいますよ」
顔見知りになった神官に教えられ、薬師アウェッラーナは王都ラクリマリスの西神殿が所有する豪華なホテルに急いだ。
……今から帰ったんじゃ、夕方の停戦時間には間に合わないわね。
腕時計を見て溜め息を吐いた。
貴族の館を居抜きで使ったあそこは、きっと料金が高いに違いない。日が暮れる前に安い宿を探さなくちゃとくたびれた足を急がせた。
「少々お待ち下さい」
フロントに声を掛けると、ややあって、支配人が出てきた。
「ようこそお越し下さいました。フィアールカ神官がお会いになるそうです。こちらへ……」
恭しく案内されたのは、ティーサロンの個室だ。
「あッ……!」
「まぁまぁ、座って。……彼女にもお茶とケーキを」
運び屋フィアールカは支配人を退がらせ、アウェッラーナの手を取って空いた席に座らせる。
窓のない部屋には、湖の民の運び屋フィアールカの他、ファーキルと呪医セプテントリオー、そして、見知らぬ陸の民の少女が居た。
「おうちの人、みつかったの?」
紅茶とケーキを置いて支配人が出て行くと、運び屋フィアールカが口火を切った。お互い言葉もなく見詰め会っていた四人の時が動きだす。
「いえ……でも、帰還難民センターの【明かし水鏡】で、父と姉以外は生きてるのがわかりましたし、レーチカで僚船の人に会えて、ネモラリス島に親戚が居ない人は、北のトポリとか南の王国領に行ったんじゃないかって……」
何から話せばいいのか考えがまとまらず、薬師アウェッラーナは自分でも何を言っているのかわからなくなって、語尾が消えた。何度も頷きながら耳を傾けていた呪医セプテントリオーが、明るい声で言う。
「私は先日、ゼルノー市の様子を見に行きました。徒歩で山を越えて……ノージ市内でゼルノー市の方にお会いしましたよ」
「私の家族のこと……何か……」
「船を繋留できる場所に限りがあるとのことで、他の港に分散して避難なさっているそうです」
呪医の説明に身を乗り出して聞き入る。
「ノージ港で他の港へ行った方々宛の手紙を預かって、幾つか、港町と漁村に立ち寄りましたが、残念ながら、そこには……」
「い、いえッ、ありがとうございます。それ以外のとこを探せばいいんで、助かります!」
コートのポケットから手帳とペンを取り出して聞く。
「呪医が寄ったとこ、教えて下さい」
「いいですよ。私が書きましょう」
呪医が書き始めると、運び屋フィアールカが聞いた。
「で、薬師さんが私に用事ってなぁに?」
「あっ……そうでした。ロークさんから手紙って言うか、ノートを預かって来たんです」
「ノート? 中身は?」
「急いで来たんで、私は見てないんですけど……」
ロークが集めた情報について言ったものかどうか迷う。その説明をするには、みんなに彼が何者かも説明しなければならなくなる。
鞄からビニールとガムテープで巻かれた塊を出してフィアールカに渡すと、ファーキルと目が合った。
……グロム市の親戚のおうちに行ったんじゃなかったの?
疑問が顔に出ていたのか、ファーキルは決意に満ちた目でアウェッラーナを見詰め、はっきり言った。
「俺、平和を実現する為に働くって決めたんです。今は難民の人たちに困ってるコトと欲しい支援のアンケートを取ってて、もう二、三日したらアミトスチグマに集計しに行くんです」
「そ……そうなんですか。えっと、あの、ご安全に……」
少年の意外な言葉に驚いたが、どうにかそれだけ言えた。
呪医セプテントリオーが手帳を返しながら言う。
「私たちとアミエーラさんも、その活動を手伝いにアミトスチグマに行きます」
「紹介が遅れちゃたわね。この人はゼルノー市の薬師さん。そのコはアミエーラさんの後輩よ」
フィアールカの雑な説明にアウェッラーナは手帳を片付ける手が止まった。
「えっ? じゃあ、自治区の?」
「は、はい。サロートカって言います。あの、自治区でも信仰の考え方が色々で何がホントかわかんなくなって、店長さんとセンセイはずっと昔、キルクルス教徒とフラクシヌス教徒が一緒に暮らしてても平和だったって言ってて、それで、魔法使いの人がホントに“悪しき者”なのか、そうじゃないのか、確めようと思って旅に出ました」
早口に捲し立てられ、アウェッラーナは困惑した。
さっきから驚くことばかりで、頭がついて行かない。取敢えず、自己紹介した。
「アウェッラーナです。少し前まで、ファーキルさんやアミエーラさんたちと一緒に旅をしていました。今は、首都クレーヴェルでクルィーロさんのお父さんの社宅に居候させてもらってます」
「あ、じゃあ、クルィーロさんとアマナちゃんは、おうちの人と会えたんですね」
喜ぶファーキルの目にうっすら涙が浮かぶ。
「えぇ。……お母さんは、残念だったそうなんですけど、店長さんたちも帰還難民センターを出て、一緒に居ますよ」
呪医もホッとした様子だが、表情を改めて聞いた。
「クーデター……首都の戦闘は終息したのですか?」
……そっか。首都の中でも何がどうなってるかわかんないんだもの。外国じゃもっとわかんないわよね。
「いえ。朝と夕方に停戦時間は設けられましたけど、まだ終わってません。あ、社宅の辺りは今のところ戦闘区域外なんで大丈夫です」
みんなの顔は曇ったままだが、幾分か明るくなった。
フィアールカが紅茶とケーキを勧めて言う。
「今朝はアゴーニさんも来てたのよ」
「葬儀屋さん、お元気でした?」
「えぇ。今は隊長さんたち三人と一緒にウーガリ古道の休憩所に居るそうよ」
「どうしてそんな所に……?」
「街の無料駐車場がいっぱいだからですって。私は明日の朝、葬儀屋さんとあっちに行くけど、どうする?」
……星の道義勇軍の三人と会うかってことよね?
彼らが無事なのは嬉しく思うが、会ったところでお互いの困り事が解決するワケではない。それどころか、却って彼らに心配を増やしてしまうだろう。
もし、「首都に居るみんなをトラックで迎えに行く」と言われたら……
首都では星の標――キルクルス教原理主義団体のテロが起こったと噂になり、力なき民に疑いの目が向けられている。ロークの告白通りなら、首都クレーヴェルやレーチカ市にもキルクルス教徒が居る。星の道義勇軍は星の標とは違うが、キルクルス教徒の元テロリストだ。万が一、潜伏する星の標に彼らを知る者が居たら、どうなるのか。
みつからずに済んでも、渋滞に捕まっている時にテロに遭うかもしれない。
今は渋滞で身動きとれなくなる車より、徒歩で避難した方がマシかも知れなかった。
……気持ちは嬉しいけど、あの人たちが首都に行くのは色んな意味で危ないものね。
薬師アウェッラーナが小さく首を振ると、フィアールカは話題を戻した。
「首都の様子をもう少し教えて欲しいんだけど、時間、いいかしら?」
「えぇ。今夜は王都に泊まって、明日の朝、停戦時間中に戻るんで……」
「あぁ、それで彼らの所へ寄る時間がないのね。例のお釣がまだあるから、今夜はここに泊まってじっくり聞かせてね」
ファーキルたちも交えて互いの情報を交換する。
テロの件はクルィーロの父から聞いた話より、葬儀屋アゴーニが持って来た情報の方がずっと詳しい。情報源が国営放送のアナウンサーだと教えられて納得した。
アウェッラーナは商店街が半分くらい営業していること、小学校が休校しているので、アマナたちはギアツィントに着いてから転校の手続きをすること、西門の近くではそれなりに仕事ができている人が居て、西門は警察官が交通整理して入荷のトラックなどを首都に入れていることなどを話す。
ファーキルからは、王都やグロム市に逃れたネモラリス難民のこと、呪医セプテントリオーには、ゼルノー市の様子とリストヴァー自治区の復興状況、ノージ市からグロム市までの街や漁村の様子を教えてもらえた。
「ごめんなさい、こんなことくらいしか……」
「こんなことなんかじゃないわ。首都に身内や知り合いが居る人は、そう言う都民の生活情報を欲しがってるんだから」
運び屋の言葉を意外に思い、アウェッラーナは小さく首を傾げた。
「少なくとも、西地区のお巡りさんは“都民の暮らしを守る仕事”ができてるコトとか、安心できる情報もあったし」
「あぁ、そう言う……」
アウェッラーナが納得すると、運び屋フィアールカは葬儀屋アゴーニとアナウンサー、ソルニャーク隊長から得た情報を掻い摘んで説明した。
絶望的な話もあったが、レーチカ市まで行けば何とかなる、と希望も得られた。
「アウェッラーナさんは、店長さんたちと首都に留まるのですか?」
「留まるって言うか、クルィーロさんのお父さんの会社がギアツィントに引越すので、それが終わるまでは一緒に居ようかと……」
呪医に心配され、アウェッラーナは努めて明るく言った。
……早いとこ出て行った方がいいのはわかってるし、兄さんたちを探しに行きたいけど、このまま別れたら、見殺しにするみたいじゃない。
あれからもう半年以上過ぎた。
兄たちは漁船の落ち着き先が決まって、そこの漁協に頼んで仕事させてもらっている筈だ。その港を離れれば、またイチから信頼関係を築かねばならなくなる。居着いた港を離れることはないだろう。
……兄さんたちを探すのは、ゆっくりでいい。
生きているのはわかっている。
きっと向こうも、通帳や身分証の再発行でアウェッラーナの無事を知っただろう。レノ店長たちが安全な街に移ったのを見届けてからでも遅くはない。
……順番を間違えたら、一生後悔しそうだもの。
運び屋フィアールカがタブレット端末をつつきながら言う。
「あちこちから集まった情報を総合すると、なるべく早く首都を出た方がよさそうよ。会社の車で行けるならそれが一番いいけど……」
「けど……?」
「もし、徒歩で出る羽目になったら、【跳躍】でここに来るか、北へ逃れてウーガリ古道を通るのがいいでしょうね」
向けられた画面には、地図が表示されていた。
赤色で、首都クレーヴェルからウーガリ古道までの道順が表示され、その上を矢印が移動する。アウェッラーナは矢印を目で追い、古道に入ったところで頷いた。
「ここだったら、お釣で七人が半年以上暮らせるし、アミトスチグマに行くのがイヤでなければ、そっちも手配できるわ」
「ありがとうございます。みんなと相談します」
薬師アウェッラーナは翌日の朝市で、バターとラード、生野菜と果物を持てるだけ買って、王都ラクリマリスを発った。
☆ゼルノー市の様子を見に行きました……「526.この程度の絆」~「530.隔てる高い壁」「537.ゾーラタ区民」「538.クブルム街道」「550.山道の出会い」~「562.遠回りな連絡」参照
☆徒歩で山を越えて……「582.命懸けの決意」~「585.峠道の訪問者」参照
☆ノージ市内でゼルノー市の方にお会いしました……「633.生き残りたち」参照
☆他の港へ行った方々宛の手紙を預かって、幾つか、港町と漁村に立ち寄りました……「669.預かった手紙」参照
☆グロム市の親戚のおうちに行ったんじゃなかったの?……「198.親切な人たち」「545.確認と信用と」参照(アウェッラーナはまだ騙されています)
☆ウーガリ古道の休憩所に居る……「657.ウーガリ古道」~「663.ない智恵絞る」参照
☆例のお釣……「564.行き先別分配」「565.欲のない人々」参照
☆通帳や身分証の再発行で……「596.安否を確める」~「598.この先の生活」参照




