698.手掛かりの人
首都クレーヴェルと外部を繋ぐ西門の外は平地だ。よく見ると、北のウーガリ山脈からの続きで、なだらかな傾斜がついていた。
防壁の周囲は公有地で草が生い茂り、西と北、南の三方向に【魔除け】などの石柱が並んだアスファルトの道が伸びる。北から降りてくる車と西と南へ行く車は多いが、逆の流れは少なかった。
四車線道路の両脇の歩道を大荷物の人が歩いてゆく。子供の手を引き、ベビーカーを押し、自転車に老いた親を座らせて推して歩く人々は、みんな疲れ切った顔で、言葉もなく西へ流れて行った。
人と車の列は、畑の間の道を休まず進む。
薬師アウェッラーナはビニール袋一杯分だけ薬草を摘んで、レーチカに【跳躍】した。
東門付近は、調理師のおばさんに連れて来てもらった時以上に混雑している。人混みを縫って野菜彫刻の広場へ急いだ。
灌木に囲まれた【跳躍】許可地点の広場で休む人はおらず、次々と呪文を唱えて姿を消す。アウェッラーナは、ロークと約束したベンチに腰掛け、さっき摘んだ薬草を【操水】で水抜きした。座面の裏側に水を這わせて砂埃などを洗い流す。
……あッ!
異質な手応えに思わず周囲を見回した。広場に入った人々は術に集中して、誰もベンチで休む湖の民に注意を向けない。生垣に遮られ、通りからはベンチが見えなかった。
ホッとして座面の裏に手をやる。ビニールとガムテープの手触りに高鳴る胸を抑えて一気に剥がした。
封筒に入った手紙ではなく、細く切ったノートだ。アウェッラーナは薬草の袋と一緒に鞄へ押し込み、手紙の束を出した。雨に濡れないよう、ビニールで包んだものをガムテープで貼り付ける。
ノートの中身は気になるが、今は時間がない。
地図を広げて漁港の位置を確める。レーチカ港の北西端だ。ここからでは細長い市域をほぼ横断することになる。
……一旦、外に出て、防壁沿いに【跳躍】して西門から入り直した方が早いわね。
レーチカ市の東端から西端まで、着地点がはっきり分かる距離を【跳躍】で繋ぐ。防壁の外側をギアツィントに向かう道も、車が多かった。
車列を横目に【跳躍】を繰り返し、レーチカ市内の漁港に着いたのは昼時だった。漁師向けの定食屋に入り、カウンターに落ち着く。
「女の子が一人で、珍しいね」
おかみさんにジロジロ見られ、居心地の悪さを感じたが、思い切って言う。
「人を探してるんです。ゼルノー市から避難した漁船の乗組員……」
「ちょいとーッ!」
おかみさんはアウェッラーナにみなまで言わせず、ほぼ満席の店内に声を張り上げた。
「あんたたちの中に、ゼルノー市から来た奴、居るかーいッ?」
しんと静まり、食事の手を止めた漁師たちの目が集まる。
大半が湖の民だ。知った顔がないか見回すと奥のテーブル席で手が挙がった。
立ち上がったのは、赤毛の男だ。
アウェッラーナも立ち上がった。
「ピオンさんッ!」
テーブルの間を小走りに駆け寄る。
「ラーナちゃん、アビさんたちもこっち来たのか?」
「いえ……あの、じゃあ、ウチの船は……光福三号はここには居ないんですね」
アウェッラーナが肩を落とすと、僚船の船長はひとしきり気の毒がった後、同じテーブルの者たちに紹介した。
「近所のコだ。……時間、大丈夫だろ? ここは奢るから、食べながら話そう」
八人掛けの席に居た六人は、みんな赤毛で雰囲気が似ている。
アウェッラーナは、ピオンの言葉に甘えさせてもらうことに決め、自己紹介した。
「ゼルノー漁協所属、光福三号の船長アビエースの妹、アウェッラーナです。私はあの時、陸で仕事してて、ウチの船がどこに行ったのか、全然……」
涙が滲んで続きが言葉にならない。
食事を再開した漁師たちが再び手を止め、気の毒そうな目を向けた。
「親父さんはどうしたね? 確か、市民病院に入院してたろ?」
「……亡くなりました。姉さんが看病で居ると思ったけど、居なくて……この間、役所で調べてもらったら姉さんもダメで……」
大粒の涙が落ちる。
ピオンと親戚たちがお悔やみを言ったところへ、おかみさんが定食を持って来た。
「ダメじゃないか、あんたたち。女の子泣かして……」
「い、いえ……違うんです。そう言うんじゃ……」
アウェッラーナが涙を拭って言うと、おかみさんは肩を軽く叩いて励ました。
「まぁ、これ食べて元気だしなよ。ひもじいと余計に辛くなるからね」
別の席に呼ばれ、おかみさんは慌ただしく離れた。
アウェッラーナが定食に手を付けると、テーブルの空気が緩んだ。半分くらい食べ進めたところで、ピオンが励ましとも慰めともつかないことを言った。
「ウチは親戚が居るからまっすぐこっち来たんだ。他の連中は、北のマスリーナか、南のノージに行ったみてぇだな」
「マスリーナは……壊滅してました。街区ひとつ分くらいある大きい魔獣が居て……」
「えぇッ?」
「私、トラックに乗せてもらってたんです。運転手さんが上手に逃げてくれたんで助かりましたけど……」
ピオンの身内の一人が、思い出した、と呟いて明るい顔を向ける。
「その化け物なら大丈夫だ。軍が新兵器でやっつけたって、随分前に新聞とラジオでやってた」
「あぁ、あれかぁ。航空写真も載ってたけど、たまげた大きさだったよなぁ」
「あいつを地上から見たのか。怖かったろうに」
同情を口にした漁師たちが、今度は明るい可能性を語る。
「でも、あのでかいのは陸に居たからな」
「船なら、とっとと北か南へ逃げるよな」
「キパリースか、トポリか……」
「魔法が使えるんだ。空襲に遭ってねぇ王国領へ逃げる方がいいだろ」
「陸なら山を越えにゃならんが、船ならすぐそこだ。ノージかどっか居るさ」
……じゃあ、王都から船でグロム市に渡って、そこから岸に沿って跳んで……何日も掛かりそうね。
帰還難民センターの【明かし水鏡】で兄たちが生きているのはわかっていたが、こうしてゼルノー市の生き残りと会えて、ようやく実感が持てた。
何度も礼を言って別れ、アウェッラーナは王都ラクリマリスに【跳躍】した。
☆調理師のおばさんに連れて来てもらった時……「640.脱出する車列」参照
☆街区ひとつ分くらいある大きい魔獣……「184. 地図にない街」「185.立塞がるモノ」参照
☆軍が新兵器でやっつけたって、随分前に新聞とラジオでやってた……「220.追憶の琴の音」「221.新しい討伐隊」「227.魔獣の討伐隊」「234.老議員の休日」参照
☆ノージかどっか居るさ……「633.生き残りたち」参照




