697.早朝の商店街
昨日は【魔力の水晶】を使い、岸に沿ってずっと跳び続けた。
首都クレーヴェルから西のレーチカ市の手前まで、全ての漁村を訪ね歩いたが、兄の光福三号どころか、ゼルノー漁協所属の船は一隻もみつからなかった。
薬師アウェッラーナが、居候中の社宅に戻ったのは、日没ギリギリだった。ロークに手紙を書くつもりだったが、疲れ切って早々に寝てしまった。
今朝は、早起きして雑魚寝の寝室をそっと抜け出し、台所で手紙を書く。
みんなが無事、クルィーロの父の社宅に移動したこと。
首都クレーヴェルで自爆テロがあって死傷者が出たこと。報道がなく、噂で聞いたので犯行声明の有無もわからないが、星の標の仕業らしいと言われていること。
首都にキルクルス教徒が紛れ込んでいる、と都民は疑心暗鬼で、力なき民が疑いの目で見られていること。移動販売のみんなは魔法の品を持っていて、クルィーロとアウェッラーナが一緒なので大丈夫なこと。
都民が、現政権派とネミュス解放軍派とシェラタン当主派に分かれてしまったこと。
クルィーロの父の会社がギアツィントに移転するので、みんなもそちらに行くが、日程がまだ決まっていないこと。
クルィーロが【跳躍】できるようになったこと……
書き終える前にみんなが起きてきた。
レノ店長が、袖まくりしながら聞く。
「おはようございます。ロークさん宛のお手紙ですか?」
「えぇ。昨日、疲れてすぐ寝てしまったんで……」
アウェッラーナはペンを置いて立った。
「ご飯の用意、俺とピナだけで大丈夫なんで、続き書いてて下さい」
「いいんですか? でも、【炉】が……」
「俺がしますよ。それとこれ、どうぞ」
クルィーロに【魔力の水晶】を差し出され、思わず受け取る。充填済みの【水晶】は淡い輝きを宿していた。
「これは……?」
「アウェッラーナさんのです。昨日、テーブルに置き忘れてたんで、魔力足しときました」
「あっ……すみません」
「あ、いえ、俺の方こそ、差し出がましいことを……」
お互いぺこぺこ頭を下げて席に着く。【魔力の水晶】を小袋に戻し、アウェッラーナは手紙の続きを書いた。
クルィーロの父が会社の作業服姿で玄関へ行き、テーブルに戻ってラジオを点けた。
録音の停戦時間のお知らせが繰り返される。どの局かわからないが、ネミュス解放軍が占拠した局のどこかだ。
……今日も、新聞配達がなかったのね。
「どこも一緒だし、電池、勿体ないから消すよ?」
クルィーロは父の返事を待たずに電源を切った。
エランティスが皿を並べ、アマナは社名入りの封筒三通と商店街のパンフレットをテーブルに置いた。
「今日、お父さんは会社で、お兄ちゃんはお店。アウェッラーナさん、何か欲しいものありますか?」
「ありがと。今のところは特にないから大丈夫よ。みんなはもう、お手紙書けたのね?」
アウェッラーナが手を止めて聞くと、アマナは頷いた。
「こっちは私とお兄ちゃん、こっちはティスちゃんたち三人で、お父さんはロークさん知らないから書いてなくて、これはアウェッラーナさんの分」
礼を言って封筒を受け取る。
三通とも、宛名と差出人は書いていない。元々印刷してある社名と所在地と電話番号だけだ。
……もうすぐ引越しだって言ってたし、社名だけでいいかな。
自分の手帳にメモして、せっせと手紙の続きを書く。
朝食ができるより先に書き上がり、封筒に入れた。
「ガムテープ、ひとつ借りて行きますね」
「どうぞどうぞ」
朝食を食べながら、今日の予定を話す。
「私は会社の引越し準備です。……レノ君、子供たちをよろしく頼むよ」
「任せて下さい。あの本で魔法の勉強して待ってます」
レノ店長が請け合うと、小中学生の女の子たちは神妙な顔で頷いた。
「レノ、俺からも頼んだぞ。……今日は商店街で宝石を換金できるか行ってみる。一軒一個で、一番高く買ってくれたとこに明日も持ってくつもり」
「それがいいな。クルィーロ、任せたぞ。店の人にあまりムリ言わないようにな」
「わかってるよ」
アウェッラーナは苦笑を交わす父子を羨ましく思いながら予定を告げる。
「私はレーチカ市に行って、ベンチの裏に手紙を貼ります。もし、ロークさんのお手紙があったら、レーチカ港で身内の船を捜した後、王都へ跳びます。遅くなるようならあっちで一晩泊まって、明日の朝、停戦時間中に戻ります」
「お姉ちゃん、気を付けてね」
「えぇ、ありがと。気を付けるわね」
エランティスに微笑んでみせ、アウェッラーナはぬるくなったスープの残りを急いで食べた。
薬師アウェッラーナは、クルィーロ父子と三人で大通りに出た。
西門に近いここは、首都を脱出する車列が途切れることなく流れる。数人の警官が交通整理して、首都に入る車を通していた。
商店街のあちこちに人集りがある。
「この辺は戦闘区域じゃないんですが、入荷が停戦時間に集中するせいで品薄で、売切れたら店を閉めるんですよ」
「そう……なんですね」
クルィーロの父に説明され、アウェッラーナは人集りを整理する店員の叫びに胸が痛んだ。
「それでは、私はこれで。薬師さん、ご安全に」
「父さんもな。腰、傷めないように気を付けて」
クルィーロの父が店の間の細道に消えた。
商店街のパンフレットを見ながら人垣を避けて歩く。
半分以上が閉まっていた。定休日なのか、早々に売切れたからなのか、店主たちが避難したからなのか。
現政権とウヌク・エルハイア将軍どちらが勝つにせよ、状況が落ち着かない限り、都民の暮らしは苦しくなる一方だ。
クルィーロが誰にともなくぼやく。
「フェリーとかが動いてれば、もうちょいマシなんだろうになぁ」
「そうですよね。ヒトもモノも、もっと移動しやすいでしょうに」
他地域から首都クレーヴェルへの輸送は、地図で見た限り、陸運ではなく水運が中心らしい。
王都ラクリマリスからクレーヴェル港に着いた時は、貨物船やアウェッラーナたちが乗って来た大型の魔道機船が、荷を下ろしていた。
……そう言えば、クーデターが起きてから、船が来なくなってる。どっちかが止めちゃったのかな?
双方にとって援軍を呼びやすく、敵軍を迎撃する為の重要施設は、陸上の防壁の設けられた各門よりも、港だ。
ネミュス解放軍の水軍力がどの程度なのか、アウェッラーナにはわからない。だが、湖の民のウヌク・エルハイア将軍は、かつてラクリマリス王家と共に国を治めたラキュス・ネーニア家の有力な分家だ。彼が声を掛ければ、湖の民の漁師たちも戦いに加わるかもしれなかった。
……まさか、兄さんたちも?
恐ろしいことに気付いて足が竦みそうになったが、今は立ち止まっていられる状況ではなかった。
クルィーロは看板を見て少し先を歩いている。歩調を上げて追い付くのと、彼が立ち止まったのは同時だった。
シャッターは上がっているが、客は一人も居ない。ガラス戸越しに覗くと、奥のカウンターで人影が動いた。
クルィーロがホッとした顔を向ける。
「じゃあ、俺はここで。アウェッラーナさん、気を付けて」
「クルィーロさんも、お気を付けて」
一人になったアウェッラーナは、小走りに商店街を抜けた。
☆薬師アウェッラーナが、居候中の社宅……「688.社宅の暮らし」参照
☆あの本で魔法の勉強……「641.地図を買いに」「688.社宅の暮らし」参照
☆レーチカ市に行って、ベンチの裏に手紙を貼ります……「654.父からの情報」参照




