695.別世界の人々
パドスニェージニク邸の大広間には、既に大勢の招待客が集まっていた。
着飾った男女が笑いさざめく様は到底、戦争とクーデターの最中とは思えない。パドスニェージニク議員と繋がる者とその家族。ざっと百人は居るだろうか。
祖父が司祭役を務めると言うことは、全員がキルクルス教徒だ。
……使用人もみんなそうなんだろうな。
壇上にモーニング姿のパドスニェージニク議員と祖父が上がると、潮が引くようにお喋りが止んだ。立食の準備を整えた使用人が壁際に整列するのを待って、主の国会議員が挨拶を述べる。
「聖なる星の道を歩む皆様。本日はお忙しい中、お運びいただきありがとうございます。お隣のアーテルとラニスタのみならず、世界中のキルクルス教国と教団のご支援により、悪しき業を用いる者共をここまで追い詰めることができました」
大人たちが拍手したので、ファーキルも怪しまれないよう、おざなりに手を叩く。
パドスニェージニク議員は満足げに見回して続けた。
「湖の民を主体とする極右勢力がクーデターを起こしましたが、却って我らの悲願達成の助けになっております。旧時代の圧政に回帰せんとすることこそが、悪しき業を用いる危険に気付かぬ愚かさでもあります」
……まぁ、戦争してるのに国内でも紛争が起きたら困るって、誰だってわかると思うんだけどなぁ。
政府軍とネミュス解放軍の潰し合いは、ネモラリス国内の隠れキルクルス教徒やアーテル共和国、ラニスタ共和国の有利に動く。
何百年も軍に居た長命人種のウヌク・エルハイア将軍が何故、子供にも分かる愚行に走ったのか、ロークにはわからなかった。何か下々の民には伏せられた重大な問題が起きているのだろうか。
「魔哮砲は魔法生物です。三界の魔物の再来になりかねません。この点に於いては、魔哮砲がラクリマリス軍と潰し合うように事態が進んでおります」
……魔哮砲はツマーンの森に居るってニュースでやってたけど、ネモラリス軍が回収に動かないように働き掛けたってコト?
事実がどうなのかわからないが、そこまで兵力を割ける状況ではなさそうだ。
ファーキルに見せてもらった動画で、アーテル軍はあの人たちをネモラリス軍だと言っていたが、魔法の道具を使って遺留品を調べたラクリマリス政府は、どこの誰だかわからないと発表した。
よく考えれば、ネモラリスの正規兵がラクリマリス領に侵入したのがバレたら、関係が冷え込んで難民支援を打ち切られてしまうかもしれない。
……アーテルの味方じゃないちゃんとした秦皮の枝党の人も、正規軍には回収させないだろうな。
アーテル軍が、ツマーンの森に蒔いた腥風樹の種子が全部で何粒だったか言わないのは、森にラクリマリス軍を展開させて、魔哮砲と遭遇するように仕向ける為だった可能性に気付いた。
魔法を使えないアーテル軍は魔哮砲と遭遇しても何もできない。ネモラリスの防空艦を一撃で沈めたミサイルでさえ、魔哮砲を倒せなかったのだ。
壇上の議員が祖父に場所を譲る。
「知の光を求める皆様。先日、クレーヴェル在住の星の標団員が、偉大な戦果を挙げてくれました。天に瞬く星の一員となった彼らの為、聖者様に祈りを捧げましょう」
……えっ? それって、自爆テロ……?
思わず隣を見た。父は唇に人差し指を当てて小さく顎を引く。ロークは後で聞き出そうと、壇上に向き直った。
祖父が厳かな声で祈りの詞を唱える。
「日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
……これ、【魔除け】の呪文の共通語訳なんだよな。
ロークも周囲に合わせて唱和し、暴露してしまいたい衝動を抑える。共通語に続いて湖南語でも同じ詞を唱え、祖父がパドスニェージニク議員と交代した。
「それでは皆様、ごゆるりとご歓談下さい」
ひとしきり拍手が起こり、人々が壁際のビュッフェに散る。
椅子とテーブルが運び込まれ、ワイングラス片手に立ち話に興じる塊があちこちにできた。
「さっきの星の標の戦果って……」
「おなか空いただろ。食べながら話そう」
「ローク君の分、取ってあげるね」
ベリョーザがまとわりつくのを両家の親たちは笑って見ている。祖父の周囲には人集りができ、話し掛けられそうもなかった。
「自分でするからいいよ。こぼしてドレス汚しちゃ悪いし」
ロークは大股で歩いてベリョーザを振り切った。
分厚い肉料理や生野菜のサラダ、温野菜、ポタージュスープや具がたっぷり入ったチャウダーなど、手の込んだ立派な料理がずらりと並ぶ。
パンと薄いスープだけでも有難かった帰還難民センターの食事とは比べ物にならない。
「ロー……」
「ベリョーザちゃん、久し振りー。あなたもこっち来てたんだー。私たち、今はギアツィントに居てー」
少女の朗らかな声がベリョーザを捕まえ、女性陣の他愛ないお喋りが始まった。声の主に感謝して、ロークは料理を盛った皿を手に父と二人でテーブルへ向かう。
父は、ロークに食べるよう促して話し始めた。
「お前は知らないだろうが、クレーヴェルにも多くの同志が居る」
「何人くらい?」
「そうだなぁ……団員の家族も入れたら三千……いや、そんなには居ないか。うん、まぁ、二千何百人か住んでるな」
「えっ? スゴイ! そんな大勢なんだ!」
ロークが喜んでみせると、父は苦笑した。
「クレーヴェルは首都だけあって、百万人以上住んでるんだぞ? たかだか三千人足らず……」
「でも、何かの作戦を成功させたんでしょ?」
何とかしてテロの詳細を聞き出そうと、小さな子供のような無邪気さを装う。
父が周囲をそっと窺った。みんな食事とお喋りに夢中で、父子の席に注意を払う者はない。ベリョーザと母二人は赤毛の少女に捕まっていた。
「ラニスタやアーテルの魔法使い居住地に自動車爆弾で攻撃……新聞やラジオでよくやってるだろ?」
「うん」
「渋滞の車列で爆発させた。停戦時間帯で通行人も居たからな。たっぷり積んだ釘でかなり始末できたらしい。今頃はラニスタの本部が発表しているだろう」
「近くの建物とかも壊せたの?」
父は首を横に振った。
「いや。何せ、魔法で守られてるからな。見届けた人の話では、窓が割れた程度らしい。道路には穴が開いたから、車の通行はできなくなったけどな」
「俺たちが通った道は無事だったよね?」
「国道八号線……って言ってもわからんな。東地区から北西の門の方へ行く道だ。北や東の門の近くは戦闘で道が壊れて、車が通れなくなった所が増えてる」
……でも、力ある民だったら停戦時間中に壊れた道を歩いて門を出て、【跳躍】でどっか行くよなぁ。
犠牲になるのはフラクシヌス教徒でも、力なき民ばかりだろう。ネモラリス島は湖の民が多いとは言え、今はネーニア島から焼け出された陸の民が大勢身を寄せている。
キルクルス教の教義では、力なき民は“悪しき業”の源となる魔力を持たない“無原罪の清い魂”とされている。
……フラクシヌス教徒だったら、力なき民も殺すのかよ。
「星の標の人たちは首都を脱出しないの?」
「あぁ。戦闘以外の役割を持つ者や、戦力になりそうもない者は、他の街に逃がし終わった。……ここにもそんな人たちが居る」
父が大広間を見回し、ロークも着飾った人々に目を遣る。この中に星の標の家族が居ると思うと複雑だった。彼ら彼女らは、自爆テロの為に首都に残る家族をどう思っているのだろう。
あちこちから笑いが起こる。
ロークの目には到底、会の趣旨が「自爆テロ実行犯の追悼」には見えなかった。
☆アーテル軍はあの人たちをネモラリス軍だと言っていた……「499.動画ニュース」参照
☆魔法の道具を使って遺留品を調べたラクリマリス政府……「500.過去を映す鏡」参照
☆ネモラリスの防空艦を一撃で沈めたミサイル……「274.失われた兵器」参照
☆これ、【魔除け】の呪文の共通語訳なんだ……「118.ひとりぼっち」「308.祈りの言葉を」参照
☆渋滞の車列で爆発/国道八号線……「690.報道人の使命」参照




