693.各勢力の情報
「取敢えず、今は我々が得た情報のすり合わせと、今後の方針について話し合いましょう」
アサコール党首が仕切り直し、場の空気が変わった。
両輪の軸党トップの視線を受け、諜報員ラゾールニクがタブレット端末を手に改まった口調で話す。
「まずは、各勢力の方針を確認しましょう。ネモラリス政府と正規軍は、魔哮砲を諦めきれないみたいで、血眼になって探して回収の準備をしてますね」
「居場所は把握しておるのかね?」
「さぁ……そこまではちょっと。ツマーンの森のどこかだってとこまではわかってるんですけど、腥風樹の件もあって、捜索は難しいんじゃないんですかね? 異界の樹だけじゃなくって、ラクリマリス軍の討伐隊の目もあったりとかで……」
「ふむ……」
ラゾールニクの言うことは尤もだ。
ツマーンの森はラクリマリス王国領で、ネモラリスの正規軍は大っぴらには動けない。先にラクリマリス軍がみつけるかもしれないが、民間人に任せる訳には行かなかった。
ラゾールニクが続きを読み上げる。
「ネモラリスの現政権は、共和制……民主主義を維持しようと、レーチカ市に中枢機能を移して臨時政府を建てましたけど、議員や高官の多くは、まだクレーヴェルに取り残されてるみたいですよ」
「一応、今のところは世間の大部分が、臨時政府を“正統な統治機関”だと思ってるけど、この先どうなるかわからないわね。湖の民や長命人種を中心に神政復古を望む声が広がって来てるから」
湖の民で長命人種の運び屋フィアールカが一同を見回す。
元は湖の女神に仕える神官だった彼女自身は、どう思っているのか。その緑の瞳からは窺い知れなかった。
「現政権は、第一党の秦皮の枝党と第二党の湖水の光党の連立政権だけど、対アーテルに関してはどっちも弱腰。魔物や魔獣から国民を守るには、兵力を国内に留めなきゃいけないってのが理由のひとつ」
「もうひとつは、政権内部に紛れこんだキルクルス教徒による誘導……だな?」
ラクエウス議員は先日、協力者からもたらされたリストの件を口にした。老議員はリストヴァー自治区に住み、堂々と信仰を守っているが、自治区外で秘かに信仰を守る者も居る。リストには、隠れキルクルス教徒とも繋がりを持つ彼が知らない者も含まれていた。
アサコール党首が頷く。
「彼らの言葉に同調すると言うことは、与党の中でも、力なき民を中心にアーテル領に親戚や友人知人が居るからでもあるでしょう」
「それもあるでしょうね。私の一族も、ランテルナ島に別荘が残っています」
ピアノ奏者のスニェーグが、フィアールカが広げた地図を見た。
アミトスチグマのジュバーメン議員が頭を振る。
「しかし、アーテルは、情け容赦なく無差別爆撃でネモラリスの都市を焼き払いましたよね」
「力ある民も力なき民も、街に紛れたキルクルス教徒もお構いなし。それだけ、魔哮砲の存在と……それを容認するネモラリスを敵視してるんでしょうね」
ラゾールニクが、金の髪をくしゃくしゃ掻いて話を続ける。
「で、そのアーテルは、ラニスタやキルクルス教圏の国から武器とかの供給を受けてて、折れる気配はなし。絶対ネモラリスを潰せ! みたいな世論が盛り上がってるけど、ラクリマリスとは事を構えたくないみたいです」
「あんなことをしておきながら、ですか?」
ジュバーメン議員が失笑すると、ラゾールニクは端末を指先で撫でて言った。
「腥風樹の件ではミサイルで脅して、アーテル陸軍に手出しさせないようにはしてるけど、それ以上の動きは、今んとこなさそうです」
アーテル軍は、対魔獣の特殊部隊をネーニア島南部に派遣し、ラクリマリス領のモースト市で状況の監視を続けている。
フラクシヌス教の聖地を擁するラクリマリス王国が起てば、ラキュス湖周辺地域全体を巻き込む全面戦争に発展してしまう。現状でも、周辺国はアーテルに経済的な圧力をかけていた。
ピアノ奏者のスニェーグが、ラゾールニクの言葉が終わるのを待って調査結果を語る。
「クレーヴェルのラクリマリス大使館は、現在も大使を召還しておりません。守りが堅固だからでしょうか……」
「何と……!」
ラクエウス議員だけでなく、アミトスチグマのジュバーメン議員も驚く。
アミトスチグマ大使館は、クーデター発生直後に力なき民の職員を帰国させ、大使ら少数だけがレーチカ市の領事館に身を移していた。
「ラクリマリスとしては、王家に盾突く……ラキュス湖の存亡に関わらない限りは静観するようです」
「王国が下手に動きを見せれば、周辺国の大半を巻き込んでしまうでしょうからね」
アサコール党首はフラクシヌス教の少数派、岩山の神スツラーシの信者だ。圧倒的多数を占める主神派と女神派の動きを苦々しく思っているに違いない。
キルクルス教徒のラクエウス議員もそうだが、ネモラリス共和国内での少数派は、この紛争に於いて当事者扱いすらされず、事態の周辺に追いやられていた。
「ウヌク・エルハイア将軍のネミュス解放軍は、魔哮砲の存在を許していません。この一点に於いてのみ、アーテルとラクリマリスとも意見が一致しています」
「ん? じゃあ共通の敵をやっつければ、そこから和平の糸口を掴めたりとか?」
スニェーグは白髪頭を振り、金髪の若者に悲しげな目を向けた。
「ネミュス解放軍はアーテル共和国……キルクルス教徒に対してかなり強い敵意を表明しています」
「でも、どっちかが全滅するまでヤるなんて、ムリっぽいですよね?」
「彼らの力をもってすれば、儂ら自治区民程度は容易く殲滅できよう。例の大火で住民の多くが失われた。しかも、半世紀の内乱当時と違って、今は武器も手に入らんだろうからな」
ラクエウス議員は、姉がまとめた資料に皺深い手を置き、呻くような声で言った。
まだ目次にしか目を通していないが、これだけでも、ネミュス解放軍がリストヴァー自治区に進軍すれば、星の標と激しい戦闘になるだろうと予想がつく。解放軍の本隊でなくとも、同調した力ある民に攻められる可能性もあった。
元聖職者のフィアールカが、フラクシヌス教団の意向を語る。
「フラクシヌス神殿とパニセア・ユニ・フローラ神殿は勿論、魔哮砲の存在を容認する気はないわ。本音を言えば、神政に戻したいんでしょうけど、それを公式に表明すると世俗の争いを煽っちゃうから、沈黙を守ってるわ」
「神政とのことですが、かつてのようにラクリマリス王家とラキュス・ネーニア家の共同統治に戻すと言うことですか? そうなれば、少なくともネモラリス共和国はラクリマリス王国と合併することになりますが、国民はそれを望んでいるのですか?」
アミトスチグマのジュバーメン議員が、ネモラリス人の五人を見回す。
ほんの三十年前に半世紀の内乱が終結し、和平交渉の末、ラキュス・ラクリマリス共和国を三分割したばかりだ。
「人による……としか言いようがありませんね。現時点では、その意思確認を行うこと自体が危ういので……」
「どう言うことですか?」
言葉を濁したアサコール党首にジュバーメン議員が食い下がった。
「質問そのものが、選択を迫るからですよ。『どちらとも言えない』と言う選択肢を設けても、他の明確な選択肢に意識が向いてしまうのが、人情です」
「私たちはラクリマリス領へ逃れた難民にアンケートを配りました。……とてもじゃないけど、そんなコト聞ける状態じゃなかったわ」
運び屋フィアールカが声を落とす。
ラクエウスも、難民キャンプ分のアンケート用紙の配布と回答の仕分けをした。
……同感だ。
今、帰属の決定に意識を向けさせれば、ネモラリス人の中に新たな対立を生みかねない。ネミュス解放軍がラジオで垂れ流すプロパガンダで、国内に留まる民衆の尖鋭化がどこまで進んだのか……頭の痛い問題だ。
いずれ、向き合わねばならないが、今はその時ではなかった。
「神政とは言っても、当主のシェラタン様は、ウヌク・エルハイア将軍に従う気はありませんよ」
「何故、言い切れるのです?」
ジュバーメン議員が、湖の民フィアールカに聞いた。
……行方不明になっていたのではないのか?
「シェラタン様も魔哮砲には否定的な考えをお持ちですが、民が争うことは望んでおられません。かつてのような民族融和が実現するなら、神政でも民主制でも……もっと言えば、ネモラリスの独立が守られようと、ラクリマリスに併合されようと構わ……」
「ご存命なのか?」
ラクエウス議員が思わず口を挟む。
フィアールカの口ぶりは、まるで直接会って意思を確めたかのようだ。元聖職者は困ったような笑顔を向けて言った。
「私が直接、お会いしたワケじゃありませんけど、安全な所にいらっしゃるわ。どこからどう秘密が漏れるかわからないから、ここでは言えませんけど」
「まぁ要は、シェラタン様もラクリマリス王家と同じで、何もしないで見守るってコトだよな? 教団に難民や罹災者を保護するようにって指示は出してくれてるけど、そんだけだ」
ラゾールニクがタブレット端末を指先で撫で、ちらちら見ながら話を続けた。
「ちょっと前まで、アーテルへの復讐に燃える連中や、政府の弱腰と当主の無策に業を煮やした連中が、個人でアーテルに行ってテロとか泥棒とかやってたのは知ってますよね?」
諜報員ラゾールニクは、全員が頷くのを待って続けた。
「最近になって、その中でも強い勢力が『ネモラリス憂撃隊』を名乗るようになって、ソロでテロしてた奴らを取り込み始めました」
「お恥ずかしい話、その拠点はランテルナ島にある私の親戚の別荘なのです。元はそんな目的の為に貸したのではないようですが、もうどうにもできず……」
ラゾールニクが真っ白な頭を垂れ、机に話しかけるような調子で言う。
「親戚のシルヴァが、ゲリラへの参加を呼び掛け、絶望に囚われた人々を死地へ送っているのです。ネモラリス、ラクリマリス、アーテル、アミトスチグマやその周辺国も含めて各地を転々としていて、今、どこでどうしているのかわかりません」
「ゲリラがネモラリス憂撃隊を名乗る前に協力してて、今は抜けた人が居るんだけど……」
フィアールカがバッグからよれよれの手帳を取り出した。
「その人が、シルヴァさんの足取りを追ってくれて、これがその記録。……まぁ、ぶっちゃけ、彼女一人を止めたところで、もうどうにもならない段階まで来ちゃてるみたいね」
「名称が決まって、明確な主張を打ち出したってのも、人が集まる要因になるもんなぁ」
諜報員ラゾールニクが嘆息する。
彼らの主張はつい先日、聞いたばかりだ。
政治的な主張はない。
ネモラリスとラクリマリスの国土を踏みにじったアーテルを……キルクルス教徒を決して許さない。無辜の民が失われぬよう、キルクルス教徒の無差別攻撃を止めさせる為に戦う、との宣言だった。
魔哮砲には比較的肯定的なことを言っていたが、無人機による無差別爆撃による大量虐殺と比較しての話だ。
「アーテル人の中にも、アイドルのコたちみたいに、こんなのヤダって人も居る。安らぎの光とかは、大した力は持ってないみたいだけど、教義に反する戦いはやめろって、アーテル政府と社会に向かって反戦の意思表示をしてる」
ラゾールニクが「安らぎの光」をアーテル共和国の音楽家で構成された平和団体だと説明する。
アーテルの世論が、その主張にどれだけ耳を傾けるか、全くわからなかった。
☆協力者からもたらされたリスト……「624.隠れ教徒一覧」参照
☆あんなこと……「449.アーテル陸軍」「455.正規軍の動き」「490.避難の呼掛け」「498.災厄の種蒔き」参照
☆ミサイルで脅して……「490.避難の呼掛け」参照
☆対魔獣の特殊部隊をネーニア島南部に派遣……「475.情報と食べ物」参照
☆周辺国はアーテルに経済的な圧力……「285.諜報員の負傷」参照
☆和平交渉の末、ラキュス・ラクリマリス共和国を三分割した……「001.半世紀の内乱」参照
☆ネミュス解放軍がラジオで垂れ流すプロパガンダで、国内に留まる民衆の尖鋭化がどこまで進んだのか……「612.国外情報到達」「613.熱弁する若者」参照
☆ネモラリス共和国内での少数派は、この紛争に於いて当事者扱いすらされず、事態の周辺に追いやられていた……「240.呪医の思い出」参照
☆(シェラタン当主が)行方不明になっていた……「653.難民から聞く」参照
☆その拠点はランテルナ島にある私の親戚の別荘……「216.説得を重ねる」「285.諜報員の負傷」参照
☆彼らの主張/魔哮砲には比較的肯定的なことを言っていた……「618.捕獲任務失敗」参照
☆アーテル政府と社会に向かって反戦の意思表示/安らぎの光……「328.あちらの様子」参照
▼各勢力の意向まとめ▼




