692.手に渡る情報
アンケートの回答が続々と集まって来る。
ラクエウス議員らが難民キャンプとアミトスチグマの各所で配布し、ラクリマリス王国領でも同士が同じ物を配っていると言う。用紙は裏側にまで切々と苦境を訴える言葉を綴ったものが多かった。
支援者宅の一室を借り、ネモラリス建設業協会の有志と“瞬く星っ娘”改め“平和の花束”の少女たちが、回答者の属性別に仕分けする作業に忙殺されていた。
ラクリマリス配布分の一部は取り急ぎ、フィアールカが協力企業にコピーしてもらったらしいが、他は印刷所に発注し、なるべく多くの手に渡るよう手配した。
……できる支援は限られておるが、聞かれもしないのでは、見捨てられたと感じて心が荒んでしまうからな。
全ての難民への調査が不可能なのは承知している。
大切なのは、人々に「自分たちは見捨てられていない」と実感してもらうことだ。
難民キャンプの生活がどれだけ改善しようと、仮住まいであることは変わらない。紛争が解消し、帰郷が叶うその日まで、希望を維持しなければならなかった。
別室では集計用の機器の準備が進められている。かなり複雑なことができるそうだが、ネモラリス人の有志には操作が難しくて扱えない代物だ。技能を持つ者の手配は、元神官の運び屋フィアールカがしている。
ノックの音で皆が顔を上げた。
返事も待たず、諜報員ラゾールニクがひょいと顔を出す。
「ラクエウス先生、アサコール党首が戻ってきました。あちらへ……」
「わかった。みんな、後は頼んだよ」
ラクエウス議員が紙束を置いて戸の前で振り向くと、少女たちは声を揃えてイイ返事をした。つられて建設業協会の面々も笑顔で二人を見送った。
「アンケートの方、どうですか?」
「まだ全く内容に手を付けられておらんのだが、回答率は高いな。最終的にどのくらい集まるかわからんが、今の手応えでは七割か八割ありそうだ」
「そんなに……」
ラゾールニクが露草色の瞳を翳らせる。諜報員の反応に不安を覚え、何が気になるのか質問したが、部屋で話します、と答えなかった。
ラクエウス議員は仕方なく、老いた足で廊下を急いだ。
別室には、アサコール党首の他、ピアノ奏者スニェーグ、運び屋フィアールカ、アミトスチグマの国会議員ジュバーメンと、見知らぬ男性が一人居た。
背広をきっちり着込んだ陸の民は、黒髪を七三に分け、見るからに「会社員」と言った風貌だ。歳の頃は四十代半ばだろうか。眼鏡の奥に愛想笑いを浮かべて立ち上がった。
「ラクエウス先生、お初にお目に掛かります。私、湖南経済新聞、国際部のシレンティウムと申します」
「既にご存知のようなので、儂の自己紹介は省略させてもらいますよ。新聞記者のあなたが、何故ここに?」
彼の呼称に失笑しそうになるのを堪えて聞いた。
……記者なのに沈黙とはな。
「私がお呼びしたんです。情報交換の為に」
運び屋フィアールカの前には、分厚い大型封筒が積んである。三人が席に着くと、アサコール党首が改めて会議の始まりを告げた。
フィアールカが封筒を抱えて席を立ち、ラクエウス議員とシレンティウム記者にひとつずつ渡す。
……厚みが違う。
中身が異なることに気付いた二人に、運び屋は意味ありげな笑みを向けて席に戻った。
「ラクエウス先生にはお姉様がまとめた資料、シレンティウム記者には、ネモラリス国営放送のアナウンサーがまとめた首都の状況です」
記者が紐を解くのももどかしそうに封筒を開ける。
フィアールカは手許に残った封筒に手を置いて言った。
「先生のは原本ですが、コピーを取らせていただいています。記者さんのはコピーで、原本はこちらに」
「これを紙面に……」
記者がレポートに目を走らせながら運び屋に聞く。ラクエウス議員は、久し振りに見た姉の筆跡から目を上げ、記者と他の者たちを窺った。
この封筒をいつ入手したのか不明だ。他の面々は落ち着いてラクエウス議員とシレンティウム記者の反応を待っている。
……中身を知っておるのか。
封蝋を破られた封筒に目を遣ると、フィアールカが目ざとく気付いた。
「先生宛ではありますが、アサコール党首にも読んで欲しいとのことで、先にコピーを取らせていただきました。事後承諾で恐れ入ります」
姉の手でも、セプテントリオーと言うゼルノー市立中央市民病院の呪医と針子のサロートカにこれを託して自治区から送り出すこと、ラキュス湖周辺地域の平和と自治区に暮らすキルクルス教徒の安全に資する情報であるから、アサコール党首ら、共に活動する者と共有するように、との旨が認められていた。
アミエーラではなく、サロートカと言う見知らぬ名に引っ掛かったが、今は個人的なことに割ける時間はない。
「これを託けられた二人はどうしたね?」
「王都で休憩しています。後日、集計係と一緒にこちらへお連れしますので、詳しいお話はその時にお願いします」
「ふむ。そうかね。では後日……」
姉のクフシーンカは、二枚目に目次を用意してくれていた。
リストヴァー自治区内の星の標団員一覧、アーテル共和国、ラニスタ共和国との繋がり、自治区内での派閥。
一部の有力者がタブレット端末を所有している件。星の道義勇軍を使ったゼルノー市襲撃事件の目的と作戦の詳細。自治区を襲った大火の真相。議員宿舎襲撃事件後に形成された自治区内の新派閥。自治区外で暮らすキルクルス教徒との繋がりなど、いずれの項目も詳細に記されているらしい。
分厚い紙束をざっとめくると、事務所に置いていた名簿に手を加えたものが目に入った。
湖の民の極右勢力がクーデターを起こした今、自治区内外のキルクルス教徒がどう出るか。ラクエウス議員には、悪い予想しかできなかった。
隣を見ると、シレンティウム記者は貪るように目を走らせていた。頬には抑えきれない喜色が浮かぶ。相当な特ダネらしい。
「状況が許せば、後日、それを書いたアナウンサーをここに連れて来られるかもしれません」
運び屋の言葉に記者がレポートから目を上げた。
「これは、記事化していいんですよね?」
「勿論ですとも。条件を飲んでいただけるのでしたら、ネットへの全文掲載も構いませんよ」
アサコール党首が鷹揚に言うと、記者は条件をせっついた。
それには、運び屋フィアールカが答える。
「御社が把握した各勢力の動向の情報。紙幅の都合で全ては載っていませんよね? 開戦直後から、最新のものまで」
「持ち帰って、上と相談させて下さい」
シレンティウム記者の顔から表情が消えた。
ファイアールカが、紙束を封筒に戻す記者に釘を刺す。
「フライングで発表すればどうなるか、ご存知ですわね? あ、それと、命懸けで情報収集したアナウンサーに常識の範囲内で報酬も」
記者は硬い表情で振り向き、無言で頷いて出て行った。
☆先生宛ではありますが、アサコール党首にも読んで欲しい……「582.命懸けの決意」参照
☆集計係と一緒にこちらへお連れします……「681.情報の価値は」参照




