691.議員のお屋敷
レーチカ市選出の国会議員宅は、ロークの想像以上に大きかった。
ドーシチ市商業組合長の屋敷や王都のホテル並みの豪華さだが、貴族の館とは別の意味で居心地が悪そうだ。
「ローク君、よくぞ無事でここまで辿り着いたね。自分の家だと思ってゆっくりくつろいでくれていいからね」
「ありがとうございます、パドスニェージニク先生」
館の主であるパドスニェージニク議員が、当たり障りのない挨拶に続いて「レーチカ市は半世紀の内乱で壊滅したから、貴族の館がないんだよ」と満面の笑みを浮かべる。新築の豪邸を遠回しに自慢されたロークは、適当に愛想笑いして誤魔化した。
長い金髪をなびかせた少女が、頬を上気させて駆け寄る。
「ローク君、無事でよかった! ねぇ、サンドイッチ食べてくれた? 私が作ったんだけど」
「髪の毛挟まってた」
ベリョーザが壁にぶつかったように足を止め、ロークの父を上目遣いで見た。父は苦笑してロークの肩を叩く。
「ローク、正直なのは結構だが、こんな時は黙っててあげるもんだ」
「でもそれじゃ、また同じ失敗を繰り返すよ」
ロークは素っ気なく言い、玄関で二人を出迎えた人々が苦笑するのに構わず、荷物を持って中に入った。
母は荷物を運ぼうとするメイドを押し退け、ロークに割り当てられた部屋までついてきた。
「荷物のお片付け、手伝うわね」
「触るな!」
母が鞄に伸ばした手を熱い物に触れたように引っ込める。
ロークは扉に鍵を掛け、荷物を机の前に運んだ。プラ容器をひとつ取り出し、ファスナーを素早く閉める。小さく手招きして扉の前で立ち竦む母を呼んだ。
「……魔法の傷薬」
ロークが蓋を開け、緑色の軟膏を見せると母は息を呑んだ。魔法薬から目を逸らさず、動揺を押し殺した声で聞く。
「どうしたの、これ?」
「薬師の……魔法使いの手伝いをして、もらったんだ。バイト代」
母はずっと以前、揚げ物の最中に鍋の把手に袖を引っ掛けて大火傷した。
父は仕事中、祖父は寄り合いで、家には母子二人きり。ロークが救急車を呼ぼうとするのを止め、母は自分で運転して市民病院に行った。
受付の人に救急外来へ回るよう言われ、ロークは母に付き添った。
……あ、そう言えば、あの時の呪医、湖の民だったからセプテントリオー呪医だったのかな?
まだ幼く、動転していて顔までは覚えていない。水が生き物のように動いて母を包んだ光景なら鮮明に覚えている。水が離れた時には、すっかり治っていた。
「お父さんとお祖父ちゃんには絶対、内緒よ。心配するでしょ?」
「でも、もう治ったよね?」
「痕が残るとイヤだもの。いい? 絶対に内緒。お父さんにもお祖父ちゃんにも、ベリョーザちゃんにも誰にも言っちゃダメよ。お母さんとロークだけの秘密」
当時はよくわからなかったが、何故か怖い顔で約束させられ、ロークは一度も口外しなかった。
あの頃より小皺が増えた母は、引き攣った笑みを浮かべてロークを見ている。
「ここに仕舞っとくから、もし、何かあったら使っていいよ。使い方、わかる?」
「知るワケないでしょ」
「傷に刺さった物を抜いて、よく洗ってから傷口に塗るんだ。あ、止血してからね。そしたら、半日くらいで痕を残さないでキレイに治るよ」
母の唇が横に広がり、仮面劇の“笑い”そっくりの表情を作る。
ロークは、母の目に押さえきれない喜びをみつけて言った。
「お祖父ちゃんたちにこんなの持ってるってバレたら捨てられちゃうからね。俺と母さんだけの秘密にしよう。……あの時みたいに」
「わかったわ。いい子ね、ローク」
抱きしめようとする母を押し返し、荷物くらい自分で片付けられるから、と追い出した。
鍵を掛けて一人になってようやく一息つく。
ロークはポケットを探った。財布にはヴィユノークが作ってくれた護符と【魔力の水晶】、千年茸の分け前でもらった作用力を補うタイプの【魔力の水晶】一個。ウェストポーチには薬師候補生がくれた【不可視の盾】の革手袋の片方が入っている。
他の魔法の品は、全てレノ店長たちに譲った。
護符はヴィユノークの形見のようなものだ。手放せる筈がない。後のふたつは念の為に持って来た。傷薬を囮にしたが、これで誤魔化し通せるか、限りなく不安だ。
……首から提げる袋、持ってくればよかったな。
針子のアミエーラが作ってくれた小袋は、作用力を補う【魔力の水晶】を入るだけ詰め込んでいたので、そのままレノ店長に渡してしまった。
……いや、膨らんじゃうから服の上から見て不自然だし、バレるな。
宝石の小袋を取り出し、中身を確認する。
小粒のキャッツアイが十二個。財布に七個入れ、ウェストポーチに仕舞って肌身離さず持ち歩くことにした。
五個だけ小袋に戻し、両親に割り当てられた部屋へ行く。
廊下でメイド長と掃除用具を持った若いメイドと鉢合わせした。
「お客様、ご機嫌よう。お部屋のお掃除をさせていただきます」
「えっ? あ、はい……?」
鍵を掛けて出たが、二人は一礼してさっさとローク用の部屋へ向かう。ロークが我に返って開けに戻ろうとした時には、メイド長がマスターキーで開けていた。
……やっべー……。持ち出しといてよかった……!
客の荷物を漁るとは思えないが、万が一ということもある。それに、祖父と父が何か理由をつけて開けさせて、荷物を調べないとも限らなかった。
部屋には父一人だった。
「母さんは?」
「何だ、用か? ベリョーザちゃんに裁縫を教えに行ったぞ」
「ふーん。留守でよかったよ。父さんだけに知らせたかったから」
父は扉に鍵を掛け、ロークをソファに座らせた。ローテーブルを挟んで腰を下ろし、膝に肘をついて身を乗り出す。
「で、父さんに話とは何だ?」
ロークは宝石の小袋をポケットから出し、逆さに振って中身を掌にあけた。
「どうしたんだ、それは?」
「バイト代。ラクリマリス領を通過する時に、あの人とは別の手伝いをしてもらったんだ」
「魔法使いの手伝いをしたのか」
父は眉間に皺を刻んだが、目は宝石に釘付けだ。
「うん。だって、そうしなきゃ旅費も生活費もなかったし……もうこれしか残ってないけど、父さんに預けるよ。高校の学費とか議員の先生に……」
「パドスニェージニク先生だ。憶えたんじゃなかったのか?」
「憶えてるよ。長いから略しただけ。それで、パドスニェージニク先生に、これでって……」
袋に戻して父に差し出す。
父は袋から出してローテーブルに並べ、一粒ずつ目を眇めて品定めを始めた。
「キャッツアイか。小粒だが、質はいいな。……パドスニェージニク先生にとっては端金だろう。父さんが預かろう」
「えっ? でも、学費……」
ロークが慌てて言うと、父は笑った。
「知らなかったのか? 自治区やアーテル……いや、キルクルス教圏の学校は、国や教団が費用を賄うから、学ぶ本人は一切払わなくていいんだ」
「えっ?」
「当然だろう。聖者様の教え通り、知の光を得るには教育が全てだ。貧しい人々が学べないなどと言うことがあってはならないからな」
……でも、モーフ君は生活費を稼ぐ為に小さい頃から働き通しで、小学校もあんまり行けなかったって言ってたよな。
放送局と図書館の廃墟で学ぶ少年兵モーフの姿を思い出し、教団の言い分は幻同然のキレイ事でしかない、と拳を握る。学費だけタダになっても、本当に貧しい人たちは生活の糧を得る為、学校に行く暇などないのだ。
「だから、パドスニェージニク先生も、お前の教育の件では費用を云々することはないよ。……いや、払ったりしたら、却って失礼になる」
「そうなんだ? でも、ここの生活費とかは?」
「うん、まぁ、そうだな。いい所に気が付いた。折を見て父さんがパドスニェージニク先生に渡す」
「頼んだよ。それと、このことはベリョーザさんには内緒にして欲しいんだ。魔法使いの手伝いをしたなんて知られたら、軽蔑されるから」
父が笑みを含んだ声で応じる。
「わかった。内緒にしよう。お祖父ちゃんと母さんにも……他の誰にもな。男の約束だ」
……あのお喋りが知ったら、あっという間に街中に知れ渡るからな。
ロークは、父とも秘密を作ってがっしり握手を交わし、部屋に戻った。
☆髪の毛挟まってた……「656.首都を抜ける」参照
☆薬師候補生がくれた【不可視の盾】の革手袋が片方……「283.トラック出発」参照
☆護符はヴィユノークの形見のようなもの……「131.知らぬも同然」参照
☆放送局と図書館の廃墟で学ぶ少年兵モーフの……「138.嵐のお勉強会」「168.図書館で勉強」「169.得られる知識」参照




