687.都の疑心暗鬼
港に近い道は空いていたが、門に続く太い道に合流すると、車列がのろのろとしか動かなくなった。
「こんな時間なのに混んでるなんて……」
薬師アウェッラーナが呟くと、父はバックミラー越しに頷いた。
「報道されていませんが、爆弾テロがあったんですよ」
「えっ……えぇッ?」
三人が同時に声を上げると、父はカーラジオを点けた。停戦時間を過ぎた今は、どこも同じ古典音楽を流している。FMクレーヴェルだけが天気予報だったが、それが終わるとネミュス解放軍が占拠する局とは別の古典音楽を流し始めた。
父は固く目を閉じて深い息を吐くと、ラジオを切って周囲を見回した。前後と右隣はずっと同じ車、左には歩道沿いに民家と小さな店が並ぶ。店はどこもシャッターを下ろし、人っ子一人歩いていない。
父がバックミラー越しに湖の民の薬師を見た。
「停戦時間中に首都を脱出しようとする車は多いんです」
……まぁ、見りゃわかるよな。
クルィーロは口には出さず、フロントガラスの向こうに伸びる車列を見た。先頭は見えないが、信号が赤にならない限り、ゆるゆる動いている。車近距離はギリギリだ。
昼食時でもこれなら、停戦時間中はかなり早出しなければ、渋滞に捕まって全く動けないような気がした。
……ローク君、無事にレーチカに着いたかな?
「三日前……渋滞の車列で爆発があったそうなんです」
「父さん、それ、どこ情報? どこで……」
「まぁ、聞け。順番に言うから」
父はクルィーロに苦笑を向け、すぐ前を向いた。車は人が歩くような速度でしか動かない。
「父さんの同僚が出勤途中に見たんだ」
三人は息を呑んだ。
「その人は【跳躍】できるから、許可地点でたまたま見ただけで、無事だ。国道……東地区から北西の門へ向かう道だ」
レノが荷物から地図帳を取り出した。アウェッラーナと二人でページをめくり、それらしき場所に指を這わせる。
「レノ君、地図帳持って来たのか。用意がいいな」
「あ、これはアウェッラーナさんがレーチカで買ってきてくれたんです」
父は肩越しに薬師を見た。
「レーチカに避難なさらなかったんですか? まさか、ウチの子たちの為に……」
「あ、あの、えっと、泊まるとこありませんし、実家が漁師なんで、ウチの船を捜して港とかをあちこち……」
「そうなんですか。……確かに、レーチカは今、人がいっぱいで宿も家賃が安いアパートなども空きがないそうで、無料の駐車場で車中泊する人も多いそうですから……ご実家の船が早くみつかりますよう、水の縁を信じています」
「ありがとうございます。えっと、それで、テロって……?」
気を遣わせないように誤魔化してくれたらしい。アウェッラーナが話を戻すと、父は前を向いて続きを語った。
「現場はここからも社宅からも遠いところです」
それで安心できるハズもなく、車内の空気が張り詰める。父は気マズさを紛らわすように咳払いした。
「渋滞の車列で自動車が爆発したんだそうです。大量の爆薬と釘を積んだ上での自爆で……犯行声明が出たかどうかもわからないんですが、この手口は、星の標の犯行ではないか……と噂になっています」
「キルクルス教徒の……原理主義団体……」
クルィーロは呻いた。
ソルニャーク隊長たちの星の道義勇軍もゼルノー市を襲撃したテロ集団だが、星の標は全く異質な集団だ。
ファーキルが見せてくれたインターネットのニュースや、フィアールカに教えられたカルダフストヴォー市へのテロ攻撃だけでなく、星の標が起こしたテロ事件は以前からしょっちゅう、ネモラリス共和国の新聞やラジオでも報道されていた。
世界の多くの国が国際テロ組織に指定している。
星の標を容認しているのは、本部のあるラニスタ共和国と隣国のアーテル共和国だけだった。
……あれっ? テロ支援国家だって知っててアーテルに無人機とか渡してたのか?
クルィーロは、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国や教団が、今回の戦争ではアーテルに与していることに何とも言えない気持ちになった。アーテル共和国は、開戦後と同時に国連を脱退したにも関わらず、だ。一方で、ネモラリス共和国のリストヴァー自治区にも手厚い人道支援をしている。
……バルバツムとかが支援しなきゃ、空襲でここまで酷いことになんなかったのに。
それだけ、アーテルが掴んだ「魔哮砲は魔法生物である」との情報に信憑性があり、キルクルス教諸国が三界の魔物の再来になり兼ねないとの危機感を抱いたのだ、と気付いた。
……でも、そんなの、俺たちだって知らなかったし、国の偉い人たちが勝手に……
父が重苦しい沈黙を破り、クルィーロの思考が中断する。
「だから、停戦時間を外して来たんだ。キルクルス教徒がどうやって首都に紛れ込んだのかわからないし、他にも居るのか、誰がそうなのか、みんな疑心暗鬼になってるんだ」
「えぇッ?」
さっきから驚くことばかり聞かされ、クルィーロは頭が痛くなってきた。
「おじさん、それって、力なき民がみんな疑われてるってコト?」
「……残念ながらな」
父は苦り切った顔でレノに答え、クルィーロに弱々しく微笑んだ。
「ウチはクルィーロが居るし、レノ君たちもピナちゃんとティスちゃんが魔法のリボンを結んで【魔力の水晶】を持ってるから、大丈夫だ」
「でも、そう言うの手に入らなかった人たちは、ピリピリしてるんでしょう?」
「まぁ……それだけじゃないんだが……」
父は言葉を切り、車を細い道に入れた。
一方通行で、他に車はなく、人の姿もない。慎重なハンドル捌きで何度か角を曲がり、二車線道路に出た。この道は門へ行く方向ではないらしく、民家が並ぶ通りを走る車は少ない。父は肩の力を抜いて速度を上げた。
「おじさん、それだけじゃないって、何が……?」
「うん。政府と解放軍とシェラタン当主……誰に従うかで分かれてしまったんだ」
クルィーロは帰還難民センターでネミュス解放軍の主張に賛成した若者と、彼に頷いた人々を思い出した。
あの時、それをよしとしない人々は苦々しい顔で彼らを見ただけで、口論などには発展しなかった。クルィーロたちも、厄介事を避ける為に何も言わなかった。
この状況が長引いて、逃げ場のない人々の意見がぶつかれば、どうなるか。
「今のところ、暴動や何かは起きてないが、いつそうなってもおかしくない。会社は、本社機能をギアツィントに移すと決めて、今は【跳躍】できる社員が少しずつ人と荷物を運んでるところなんだ」
「ギアツィントには空き物件があるんだ?」
クルィーロはホッとして聞いた。
「倉庫を一棟借りて、中にテントを張って事務所と社宅に兼用しているらしい」
「倉庫?」
「輸送が止まって、からっぽのところを安く借りられたらしい。目的外使用だから居心地はよくないだろうが、贅沢は言えんな」
車が角を曲がり、低層ビルやマンションが並ぶ通りに入る。
この通りも車は順調に流れ、右手に大きな公園が現れた。ブランコや滑り台のある児童公園の奥はフェンスで囲まれた球技場だ。子供は一人も遊んでいないが、大荷物の大人は何人も歩いていた。
「この公園は【跳躍】の許可地点なんだ。会社の引越し作業はここからしてる」
公園の向かいにはマンションが続き、少し行くとオフィスビルや商店に変わった。
「クルィーロ、【跳躍】はできるようになったのか?」
「うーん……呪文は覚えたけど、実際、跳ぶのはまだ練習中で……」
クルィーロは人差し指で頬を掻いた。
「もう少しでできそうか?」
「うーん……一応、目の前のはっきり見えてる近くは跳べるんだけど、走った方が早いくらい近いとこしか……」
「凄いじゃないか! いつの間にそんな練習してたんだ? 橋がなくても川とか渡れるじゃないか」
レノが食いついてきた。
言われてみれば、クルィーロにも【跳躍】できれば、ゼルノー市でもっと楽に運河を渡れただろう。
「拠点でアウェッラーナさんと呪医に教えてもらって、ヒマな時に」
「薬の素材が足りなかったので……」
ミラー越しに見た薬師アウェッラーナは弱々しく微笑んで、緑の目を遠くに向けていた。
「そんなことまでお世話になっていたんですか。ありがとうございます。狭いところで何のおもてなしもできませんが、ゆっくりして行って下さい」
父は三階建てのマンションの前で車を止めた。
入口は社名のプレートが付いていた。案内されたのは、二階の角部屋だ。
☆アーテル共和国は、開戦後と同時に国連を脱退した……「078.ラジオの報道」参照
☆リストヴァー自治区にも手厚い人道支援……「276.区画整理事業」参照
☆帰還難民センターでネミュス解放軍の主張に賛成した若者……「613.熱弁する若者」参照
☆橋がなくても川とか渡れる……「095.仮橋をかける」参照
☆拠点でアウェッラーナさんと呪医に教えてもらって……「354.盾の実践訓練」「391.孤独な物思い」参照




