686.センター脱出
やっと通帳と身分証の再発行が終わった。
クルィーロは朝一番に窓口へ行ったが、受け取るだけでも一時間以上並んだ。事務室の奥に置かれたラジオが、朝の停戦時間について繰り返す。ネミュス解放軍が乗っ取った民放か国営放送を受信しているらしい。
「レノ、荷造り頼む」
「うん。任せてくれ」
クルィーロは臨時電話の列に並んだ。無料だが、通話時間は一件につき五分の制限があり、話の途中でも切れてしまう。それでもみんなギリギリまで話すので、列はなかなか進まなかった。
順番が来た時には、朝の停戦時間が終わってしまった。
……まぁ、今言っときゃ、夕方迎えに来てくれるだろ。
メモを見ながらダイヤルを回す。
ゼロの位置からコロコロと音を立ててダイヤルが戻るのを待つ間ももどかしく、戦闘で回線が切れていたら、との不安を押し殺して父の会社に掛けた。
交換台は、まだ機能していた。
政府軍、ネミュス解放軍ともに通信遮断の必要性を感じれば、すぐにでも電話局と交換局を占拠するだろう。命懸けで職務を果たす交換手にありったけの感謝を籠めて、その無事を祈った。
数コール後、父が仮に身を置く所に繋がる。
父の声が、事務的に社名と部署名を告げた。
初めて聞いた「仕事用の声」に戸惑う。時間がないのを思い出した。
「父さん、俺、クルィーロだよ。さっき通帳と身分証もらったから、夕方に……」
「わかった。すぐ行く。会社の人には言ってあるから大丈夫だ」
父は早口に言って一方的に切ってしまった。
面食らい、受話器を見詰めて呆然とする。
咳払いの音で、後が閊えていることに気付き、受話器を置く。ぺこぺこ謝りながら、急いで列を離れた。
部屋に飛び込み、レノと薬師アウェッラーナに叫ぶ。
「父さん、今から来るって!」
「えぇッ?」
二人が驚いて手を止める。
ヒビが入った腕時計に目を向け、湖の民の薬師が心配を口にした。
「でも、もう停戦時間は……大丈夫なんですか?」
「大丈夫であって欲しいですよ。でも、あの調子じゃ、もう会社を出たと思うんで、急ぎましょう」
「えっ? 私も行くんですか?」
アウェラーナが自分を指差す。
「今まですっごくお世話にって言うか、アウェッラーナさん、命の恩人じゃないですか。絶対、お礼したいんです」
「ここよりは、社宅の方が建物しっかりしてると思うんで、俺も賛成です」
レノも加勢すると、アウェッラーナは戸惑いがちに聞いた。
「いいんですか?」
「狭いと思いますけど……」
「それじゃあ、ご迷惑でなければ……」
「迷惑だなんてとんでもない!」
手許に残るのは僅かなものだ。
クルィーロの荷物は、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクで手に入れたスポーツバッグに詰めてある。底には、クロエーニィエ店長にもらった魔法の剣を隠していた。
王都を発つ時、魔道機船で手荷物検査がなかったのは意外だった。もしかすると、みんなニプトラ・ネウマエの歌に夢中で忘れていたのかもしれない。
三人は忘れ物がないか確認し、荷物を抱えて食堂に走った。
「今までありがとうございました。もうすぐ父が迎えに来るんで……」
「よかったなぁ。達者でな」
「三人とも、気を付けてね」
「こっちこそ、ありがとね」
厨房に声を掛けると、調理師と手伝いの帰還難民たちが口々に別れを告げた。名残惜しいが、彼らは昼食の準備で手が離せず、こちらには時間がない。精いっぱいの感謝を伝え、ラジオの席に行く。
「親御さんと連絡ついたのかい。よかったなぁ」
「あの……それで、ラジオ……」
「あぁ、いいよ、いいよ。役所がやっと窓口んとこに置いてくれたから」
「君らのなんだし、遠慮なんかすんなよ」
「電池も持ってけ。サービスだ」
居合わせた人たちが、すっかり聞き飽きた古典音楽を流すラジオを切って、クルィーロに差し出す。彼らの手許には、たくさんの白地図があった。
年配の男性が、クルィーロの視線に気付く。
「ん? これか? 廊下に貼ってある地図を写してな、電話帳見て手分けして店に掛けて、どこが無事か調べてんだよ」
「客じゃねぇってわかった途端、物も言わねぇで切っちまうとこもあるけどな」
「電話が繋がって店のモンが生きてるってのも重要な情報だ」
コピー用紙に書き写された首都クレーヴェルの地図には、○△×の記号が書き込まれていた。
「ここのことは心配しないでいいからね」
「ラジオ、ありがとうございました」
別れと礼の言葉を交わし、三人は玄関に急いだ。
帰還難民センター前の通りは人通りが途絶え、ひっそりしていた。首都と外部を繋ぐ門から遠いからか、車も少ない。
会社と社宅は西門の近くだと言っていたが、帰還難民センターとの距離や、道の状態など、わからないことだらけだ。
社名入りの車が見えたのは、電話から一時間近く経ち、昼食が始まる直前だった。
父がエンジンを切らずにドアを開ける。
「さぁ、話は後だ! 乗って!」
「父さん、この人、アガート病院の薬師さん。命の恩人なんだ、一緒に……」
「それはもう聞いた! ……薬師さんもご一緒に! さぁ、早く!」
父に急かされ、クルィーロは荷物を抱えて助手席に、レノとアウェッラーナは後部座席に乗り込む。ドアを閉めた瞬間、父がアクセルを踏み込んだ。
☆みんなニプトラ・ネウマエの歌に夢中……「573.乗船券の確認」「574.みんなで歌う」参照
☆廊下に貼ってある地図……「642.夕方のラジオ」参照
☆それはもう聞いた!……「638.再発行を待つ」参照




