685.分家の端くれ
「二人の将軍とわたくし、一族の者でさえ、意見が割れているのです」
シェラタン当主の声が、幾重にも重なる水音と共にスツラーシの洞窟に反響した。セプテントリオーは、当主と同じ色の瞳に精いっぱいの批難を籠めて言葉を待つ。
「神政復古と共和制の維持、魔哮砲を容認するか否か、アーテルの……キルクルス教徒の仕打ちを許せるか否か……わたくしのように、ただ、平和を望む者も居ます」
現当主も長命人種だが、ウヌク・エルハイア将軍とアル・ジャディ将軍の半分以下の若さで、セプテントリオーとも百歳以上離れている。
彼女が修めた【贄刺す百舌】学派の術は、他の術者を補佐するものが多く、強大な魔力を持っていてもひとりでは事を成せない。
……当主の力を欲する両軍から身を隠す為、フラクシヌス教団に庇護を求めたのか。
彼女が味方につけば、次の一手で勝敗は決まる。
神政でも民主制でもいいなら、いっそどちらかに力を貸して内紛に決着をつけさせ、一息にアーテルを叩けばよさそうなものだ。勿論、そんなことをすれば多くの血が流れるが、半世紀の内乱のように長引くより、ずっと少ない犠牲で済む筈だ。
「ラキュス・ネーニア家の中で、そんなに意見が割れているなどと、私は初めて知りました」
セプテントリオーは自分の声に生えた棘に驚いたが、言わずにおれなかった。
「私の一族は血筋が薄く、分家の端くれとは言っても他人同然の扱いではありませんか。何を今更……」
「いいえ。わたくしは、あなたを他人だなどと思ったことは……」
「では、何故、私の一族を助けて下さらなかったのですか」
強い語気が水音を圧して響き渡り、年若い当主は目を伏せた。
「半世紀の内乱中、西島がキルクルス教徒の空襲に晒されましたが……ウヌク・エルハイア将軍も、アル・ジャディ将軍も、あなたも! ……誰も……誰も守ってくれなかったではありませんか」
三百歳足らずのシェラタン当主は内乱当時、ラキュス・ネーニア家の当主になったばかりだった。
共和制移行から百年余りが過ぎ、常命人種……とりわけ、陸の民の心はラキュス・ネーニア家から離れていた。権力の中枢近くに身を置く親戚は多かったが、前当主の言いつけを守り、職権以上の権勢を揮うことを固く戒めていた。
ラクリマリス王家との共同統治者であった日々を知る長命人種や、湖の女神派の信者以外からは、最早、権威とは看做されていなかった。
当時も今も、彼女を責めたところで仕方がないことはわかっている。
「力ある陸の民が放った魔獣からも! 力なき民の銃や毒ガスからも! ……助けてくれなかったじゃありませんか」
当時、セプテントリオーは呪医として、ネーニア島の医療産業都市クルブニーカに住んでいた。報せを受けてフナリス群島の西島へ跳んだ時には、神殿は毒ガスで汚染され、近付くことさえできなかった。
顔見知りたちの断片的な話を繋ぎ合せると、キルクルス教徒の大規模な空襲から逃げ遅れた者は焼かれた。
火勢が衰えてからは、キルクルス教徒と力ある陸の民、湖の民とフラクシヌス教徒の力なき民たちが、宗派や望む政体の違いなどに分かれて地上戦を繰り広げたらしい。
焼死した人々の【魔道士の涙】を巡る争いも熾烈を極めた。空襲で灰にされた者、術で召喚された魔獣などに食われた者は、遺体さえ残らない。
そこまでは、当時ありふれた光景だった。
セプテントリオーの身内が、どこの誰にどんな殺され方をしたのか、敵が多過ぎてわからない。「女神を篤く信仰する湖の民で神政を望む魔法使い」以外の全てが、ラキュス・ネーニア家とその分家を敵とし、末端の分家である彼の一族も例外ではなかった。
先代当主が民に権力の座を譲ったことも、ラキュス・ネーニア家の意思や立場も、神政復古を望む人々や、共和制を維持せんとする人々にとって関係のないことだった。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラの血を引く者。
ただその一点によって、憎悪と崇拝の的になった。
空襲後、西島のパニセア・ユニ・フローラ神殿には、多数の住民が炎から逃れて身を寄せていた。そこに、毒ガス兵器が使われたのだと言う。
聖職者も警備兵も、炎や銃からは信者を守れるが、初めての兵器を前に為す術もなく命を落とした。敵の目を掻い潜って数日掛かりで除染を終え、ようやく足を踏み入れると、セプテントリオーの身内の半数近くは神殿内で事切れていた。
「将軍たちも、あなたも……女神の血が薄い私の一族の誰よりも、強い魔力を持っているのに……」
あの日の光景がまざまざと蘇り、セプテントリオーの頬を滴が伝う。
とうの昔に涸れ果てたと思った涙が、足下の水とひとつになる。小さな水溜まりを他人事のように眺め、止まらない涙を不思議に思った。
「あなた方は……権力も、戦う力も、強い魔力も……全部持っているのに……助けてくれなかったじゃありませんか」
涙も言葉も止まらなかった。
若い女当主は何も言わない。
「生き残ったのは、呪医の私一人で……分家の……私の家系はもう終わりです」
拳を握り、俯いたまま続ける。
「私は……本家のあなたや、ウチよりもずっと女神に親い分家の将軍たちとは、比べ物にならないくらい……弱いんですよ」
涙は止まらないが、セプテントリオーには自分が何故、今になって涙を流すのかわからなかった。悲しんでいるにしては、己の声は震えもせず、他人事のように静かだ。
溢れる涙を拭うことさえ思いつかず、青琩のように滴を落としながら顔を上げ、感情のない声で告げる。
「私は、あなた方の誰にも与しません」
シェラタン当主が小さく息を呑み、言問いたげにセプテントリオーを見詰めた。
傷を癒す呪医の証【青き片翼】の徽章を握り、ひとつ大きく息を吐いて答える。
「……個人的に手の届く範囲の人を助けるだけです」
……女神の御前でする話ではないな。
内心、自嘲して俯いたが、堰を切った涙は止め処なく溢れる。
顔を上げると、顎を伝う滴が胸元を濡らした。当主が、セプテントリオーの視線から逃れるように項垂れる。
「あの日……ラキュス・ネーニアの家名は捨てました。これまでと同じように、放っておいて下さい」
面を伏せた当主に背を向け、歩きだす。
嗚咽混じりに詫びの言葉が聞こえたような気がしたが、水音に紛れて消えた。
☆西島がキルクルス教徒の空襲に晒されました……「611.報道最後の砦」「629.自治区の号外」参照
☆あの日、報せを受けたセプテントリオーがフナリス群島の西島へ跳んだ時……「240.呪医の思い出」「279.悲しい誓いに」「359.歴史の教科書」参照
☆生き残ったのは、呪医の私一人で……分家の……私の家系はもう終わり……「632.ベッドは一台」参照




