0007.陸の民の後輩
このネモラリス共和国には、湖の民……魔法使いの方が多い。
……テロリストがどんな武器を持ってるか知らないけど、軍隊が出たんなら、すぐに鎮圧されるわ。
治安部隊、自治区民の双方に死傷者がでることは、避けられないだろう。
これは戦争ではないから、鎮圧作戦が完了すれば、負傷者は分け隔てなく治療される。
ゼルノー市内の病院では、中央市民病院に【青き片翼】の呪医がいるだけで、他は全て近代科学の医師だ。
魔法使いの薬師は、アウェッラーナを含め、十八人いる。
ゼルノー市の全十地区の民間病院に各一人ずつ。市内四カ所にある国立・市立の公立病院で二人ずつ勤務する。
薬師が作る魔法薬は、医療系の魔法には及ばないが、普通の薬よりも遥かに強力だ。科学的に合成した劇薬とは、仕組みが根本的に異なる。
例えば、【思考する梟】の術で作る【傷薬】は、浅い傷なら朝早くに塗れば、昼には痕も残さず治る。重傷者を助けるには、必需品だった。
……家は、大丈夫。自治区から遠いし、お兄ちゃんたちも居るし。
自宅と中央市民病院があるジェリェーゾ区は、リストヴァー自治区から少し距離がある。自治区とジェリェーゾ区との間には、スカラー区とグリャージ区が挟まっていた。
甥っ子たちも、もう子供ではない。
なるべく余計なことを考えないように、目の前の作業に集中する。
用意した壺が全て緑色の軟膏で満ちると、横から声を掛けられた。
「あ、あの、先輩……ふ、蓋……僕がします」
薬科大を卒業したばかりの青年が、おずおずと言った。
フラクシヌス教徒の力なき民。不安もあるが、同族として肩身が狭いのだろう。
完全に、作業と考えごとに没入していた。力なき民の後輩が、いつの間に調剤室へ入って来たのか、全く気付かなかった。
「ありがとう。じゃあ、お願いするね」
アウェッラーナは意識的に、いつも通りの口調で言った。
後輩は元気よく頷き、手際良く、小さな素焼きの壺に油紙で封をする作業に取り掛かった。
その間、アウェッラーナは空になった薬草の包みを捨て、次の包みを開封する。
自分では、落ち着いているつもりだったが、手が震えてなかなか新品を開けられない。何とか、中身をこぼさないように開けられたのは、壺の封が半分以上済んだ頃だった。
調剤室の静けさが、却って不安を呼ぶのかと思い、後輩に話し掛ける。
「ねぇ、他のみんなは帰っちゃったの?」
「そうみたいですね」
……この病院、グリャージ区の人って、そんなに多かったっけ?
会話が続かない。
後輩も気マズいのか、何も言わない。
油がなくなるまで、黙々と作業をした。
アウェッラーナの予測通り、壺三十七個分の傷薬ができた。壺ひとつ分に標準的な使用量十回分入る。
壁の時計を見ると、二時間近く経っていた。
後片付けを後輩に任せ、アウェッラーナは事務室へ行った。
相変わらず、ラジオは臨時ニュースを繰り返している。鎮圧はまだ、完了していないらしい。
事務室には、係長の他に若い事務員も一人、戻っていた。
待合室は無人だ。
「終わったか。ご苦労さん。入院患者で、動ける人には帰宅してもらった。住人は内陸の地区へ避難している」
「あ、あの……テロリストって、まだ……」
「傷薬は幾つできた?」
「壺三十七個分です。あの……」
「ありがとう。君たちも一度、帰宅した方がいい。明日の朝、出勤できそうなら来てくれ。無理なら、何とかして電話だけよろしく」
係長は有無を言わせぬ口調で言い、自分の作業に戻った。
一方的な言葉に戸惑ったが、アウェッラーナは、ここに居てはいけないのではないか、と気付き、ロッカーからコートと鞄を出して、職場を後にした。
……何……これ……?
病院から通りに出て、アウェッラーナは息を呑んだ。