680.見てきたこと
呪医が二人の疑問を解す。
「店長さんは縫製職人なので【編む葦切】の術を含む祭衣裳などの作り方……服飾関連の術を記した聖典をお持ちです」
「えっと、店長さんからお預かりした聖典を持って来てます」
フィアールカが食べ終えた皿を重ねたので、ファーキルもその上に重ねる。
サロートカもそれに倣い、食卓に空きを作って席を立った。背負ってきた荷物を探り、分厚い革表紙の本を食卓に置く。
針子の少女がページを開いてみせると、三人は身を乗り出して衣装作りの解説を読んだ。
……ホントだ。これ……えっと【魔除け】だ。
すっかり見慣れた図が目に飛び込んだ。薬師アウェッラーナのコートと、工員クルィーロのマントに入っていたのと同じ呪文と呪印が、刺繍の図案として載っている。
フィアールカが、大きく息を吐いて背もたれに身を預け、水を一息に飲み干した。
「えっと、あの、それで、私……何が正しいのかわかんなくなって、ホントに魔法全部が“悪しき業”で魔法使いの人がみんな邪悪な人なのか、自分で見て確かめたくって、センセイに無理言って、連れて来てもらったんです」
針子のサロートカは、震える声で言い切った。
運び屋フィアールカが背もたれから身を起こし、空のグラスを置いて、肩に掛かった緑色の髪を片手で払った。
「ふーん……で、どうだった?」
「えっと……どう……って……」
「ここに着くまでも、色々見たんでしょ?」
サロートカはこくりと頷いて、運び屋の緑の瞳をしっかり見詰め返して言った。
「えっと、どの街も……小さな村もみんな、自治区よりずっとキレイで立派で、ちゃんとした人が多くて……」
リストヴァー自治区出身のキルクルス教徒の少女は、旅路を後戻りするように視線を動かしてポツリポツリと語る。
「でも、時々、意地悪な人が居たり、今日もアンケートのとこでケンカしてる人とか居て、ラジオのニュースで泥棒の事件とか言ってて……えっと……」
「いいとこと悪いとこ、両方ちゃんと見て来たのね」
運び屋フィアールカが微笑む。
「えっと、あの、ちょっと通っただけなんで、全部は見てませんけど、魔法が使えたら色々便利だけど、そのせいで困るコトがあったり、魔法使いの人も、できるコトとできないコトがあって、えっと……何て言うか……」
キルクルス教徒の少女は、言葉を探そうとしたのか、聖典に視線を落とした。
衣裳製作の指南書から目を上げ、湖の民の運び屋に答える。
「えーっと、上手く言えないんですけど……」
自分の言葉に自信がないのか、納得がゆかないのか、途中で消えた言葉の行方を探すような目で考える。
三人は急かさず、自治区民のサロートカが言葉を発するのを待った。
「何て言うか……こう……普通?」
サロートカは自分の言葉に首を傾げたが、フィアールカの瞳から視線を逸らさずに続けた。
「えっと、行く先々でいい人に会えて、親切にしてもらえましたけど、そうじゃなさそうな人もちょっとだけ見かけたし……それで、『あ、魔法使いの人も普通なんだな』って……」
「そうよ。私たちは、魔力を持ってるだけで、タダの人間よ。いい人も居れば、悪い人も居るの」
呪医セプテントリオーが、元聖職者の言葉に首肯する。
キルクルス教徒のサロートカは、隣が頷くのを見て聖典に視線を向けた。
ファーキルは、口の中のものを急いで飲み下して言った。
「魔力を持たないキルクルス教徒だって、“無原罪の清き魂”なんかじゃない。犯罪者とか悪い人だっていっぱい居るし、いい人も居るんだ」
フィアールカが、元聖職者らしいことを言う。
「ちょっと考えればわかるじゃない。魔力の有無だけで人を善悪に分けて、ひとまとめになんて、できるワケないでしょ」
サロートカは雷に打たれたように、湖の民の運び屋を見た。
改めて言葉にされ、ファーキルも少なからず衝撃を受けた。
……ずっと、思ってた。
キルクルス教の聖職者は、“無原罪の魂”が聖なる星の道から少し迷っただけだから、と加害者を庇うばかりだ。それどころか、被害者に「誰でも過ちを犯すから、他者を責めてはならない」「弱さで道に迷った彼らを憎んではならない」と泣き寝入りを強要する。
……力なき民が全て善良なんだったら、そもそも犯罪なんて起きるハズないのに。
迷子のしでかしたことは、どんなに酷いことでも全て赦さなければならないなどと、暴論もいいところだ。
今回の戦争でアーテル軍は、戦えない人々、ネモラリス人の力なき陸の民……同じ“無原罪の清き魂”の持ち主まで空襲で無差別に焼き払った。
あれさえも、キルクルス教の教義に適う行いだと言うのか。
……そう言えば、音楽家の団体……えーっと、何だっけ? 無差別爆撃に反対して、軍に抗議声明を出してたよな。
アーテル人も、一枚岩ではない。
キルクルス教徒の中にも、この戦争に反対する人々が居る。
ランテルナ島の拠点で聞いたラジオのニュースを思い出し、ファーキルはポケットの中でタブレット端末を握った。
「あ、そうだ。呪医、あの別荘の人たちって今、どうしてるんですか?」
「わかりません。みなさんが出て行った後、私も数日で出て、一度も戻っていないので……」
呪医セプテントリオーが申し訳なさそうに言う。
先程出たスニェーグの名は、諜報員ラゾールニクから聞いたことがある。
ネモラリス島東部のリャビーナ市のピアニストだ。慈善コンサートの収益で国内の避難者を支援する傍ら、情報収集も行っているらしい。
……スニェーグさんって、呪医に何を頼むつもりなんだろう?
フィアールカが食卓に肘を突いて身を乗り出す。
「どうする? ここまで来たついでだし、明日、私たちと一緒に王都ラクリマリス……フラクシヌス教の聖地にも行ってみる?」
「えっ? あ、あのっわっわた……私っいいんですか?」
サロートカがフィアールカの申し出に狼狽える。
呪医セプテントリオーが、連れに頷いてみせた。
☆魔法が使えたら色々便利だけど、そのせいで困るコト……「631.刺さった小骨」「632.ベッドは一台」参照
☆ずっと、思ってた……「182.ザカート隧道」「183.ただ真実の為」参照
☆音楽家の団体……「328.あちらの様子」参照




