678.終戦の要件は
やっと配り終え、ファーキルがグロム市の北神殿に戻った時には、とっぷり日が暮れていた。神官たちが庭に出してくれた椅子や机は片付けられ、人の姿も【灯】もない。
タブレット端末を見ると、着信があった。
フィアールカからで、神官用の談話室で待っている、と神殿の案内図が添付されている。三十分程前だが、全く気付かなかった。
「遅くなってすみません」
「いいのよ。お疲れ様」
運び屋フィアールカと呪医セプテントリオー、神官の湖の民三人に加え、先程の陸の民の少女も、回答用紙をクリップで束ねる作業をしている。机の上は粗方片付いていた。
「どうだった?」
「何軒か断られましたけど、全部配れました。食堂とかにも置いたらどうかって、協力してくれるお店を紹介してもらえたんで……えーっと、後で配布先のリスト送ります」
「ありがとね」
フィアールカは紙束を傍らの段ボール箱に詰めながら言った。
ショッピングカートに荷造りを終え、神官に礼を言って宿へ向かう。
フィアールカは運び屋だけあって、本人を含めて大荷物の四人を一度に【跳躍】で運んだ。ファーキルは全く気にしていなかったが、神殿近くの広場と、宿の近くの小さな公園が【跳躍】許可地点だった。
宿の門まで、人通りの絶えた夜道を急ぐ。
ショッピングカートの車輪が石畳を走る音がカラカラ響いた。
「ここ……なんですか?」
呪医セプテントリオーが息を呑んだ。
陸の民の少女は言葉もなく、立派な庭園の向こうに聳える巨大なホテルを見ている。
「あら、ご存知なの?」
「ここは確か、シクールス家の……」
「今は人手に渡ってホテルよ」
元軍医のセプテントリオーに皆まで言わせず、元聖職者のフィアールカは通用口から門番に声を掛け、さっさと中に入った。
ホテルマンの制服は、この四人の誰よりも立派だ。陸の民の少女は小さくなってついてくる。貴族の館を居抜きで使ったホテルに圧倒され、場違いな自分に気後れしたのだろう。ファーキルも同感だった。
「どうぞ、ごゆっくりお食事をお楽しみ下さい」
係員は恭しく一礼して出て行った。
案内された個室には、夕食の用意が整っている。用があれば、卓上の呼び鈴を鳴らすらしい。
呪医セプテントリオーが窓のない部屋を見回す。
この部屋は、ファーキルも初めてだ。呪文と呪印を折り込んだふかふかの絨緞、神話の一場面を描いたタペストリー、食卓と椅子などの調度品の全てがドーシチ市商業組合長の屋敷に負けず劣らず豪華だ。
「折角のお料理、冷めないうちに食べちゃいましょ」
運び屋フィアールカが、段ボールを積んだカートを扉の脇に置いて席に着く。ファーキルもその隣に荷物を置いて座った。呪医と少女も遠慮がちに二人の向かいに腰を降ろした。
元々知り合いだった三人の視線が交わる。
二人の意を汲んで、呪医セプテントリオーが口を開いた。
「こちらは、リストヴァー自治区の縫製職人見習いのサロートカさんです」
陸の民の少女の顔から血の気が引き、蒼白な唇を震わせて湖の民の呪医を見詰めた。
湖の民の運び屋が軽い口調で微笑んでみせる。
「私の家は、アーテル領のランテルナ島にあって、キルクルス教徒の知り合いも居るから、心配しなくていいわよ」
「俺も、自治区出身のお針子さんや、星の道義勇軍の生き残りと一緒に旅してたんで、全然、気にしませんよ」
サロートカは三人に信じられないものを見る目を向けていた。
何故、呪医セプテントリオーが自治区民の少女と一緒に居るのか気になったが、まずは怯えた目で三人を見る彼女を落ち着かせる。
「私はフィアールカ。この戦争が始まる前は、アーテル領で生まれた力ある民を外国に逃がす運び屋をしてたの。今は……色々運んでるわ」
サロートカの目が、呪医と運び屋の間で彷徨う。
「フィアールカさんとそちらのファーキルさんは、武力を使わずに平和を取り戻す活動に参加しているのですよ」
「武力を使わずに……? 戦争なのに、戦って敵をやっつけないで平和にできるんですか?」
「人間同士の戦争は、敵国の人間を全滅させるまで終わらないワケじゃないのよ」
運び屋フィアールカの言葉にサロートカはハッとして俯いた。
「戦争が終わる理由はふたつあるわ。ひとつは、どちらかが戦闘を続けられなくなること。国力が疲弊して、資源や武力の調達が難しくなったり、紛争当事国以外の国や国際機関の仲裁や圧力で政府が戦闘終了の判断をしたり、世論に厭戦感が満ちて……えーっと、戦いたくないって言う人が多数派になったり……まぁ、色々ね」
フィアールカは呪医の視線を受け、難しい言葉を言い変えた。
自治区民の少女が小さく頷くのを見て話を続ける。
「理論上は、敵国人の殲滅も“戦闘不能”で終戦だけど、現実的じゃないわね。半世紀の内乱だって国が分かれて終わったでしょう」
「そう……ですね」
「もうひとつは、争いの元になった利害の調整がつくこと。少なくとも、アーテルの目的は、宣戦布告で言ってた自治区民の救済と……もうひとつ、後から何度も言ってた魔哮砲の破壊だと思うのよね」
「ネモラリス側には、元々、アーテルと戦う理由がありませんでしたが、空襲被害からの復興費用と戦費、遺族への弔慰金などが回収できなければ、国民感情が収まらないでしょうね」
湖の民二人の言葉にじっと耳を傾け、キルクルス教徒の少女は顔を上げた。




