677.駆け足の再会
「あぁ、彼はこれから、近くの宿などに用紙を配りに行くところなのですよ」
神官の説明で我に帰り、ファーキルは湖の民に駆け寄った。
「呪医、どうしてここに……?」
「ファーキルさんこそ……他のみなさんも、ここにいらっしゃるんですか?」
「お知り合いでしたか」
横で顔を綻ばせる神官に、湖の民の呪医セプテントリオーが頷いた。
「はい。……あ、この手紙の受取人は、私の知らない方なんです」
「では、私が責任を持ってお渡ししましょう」
「ありがとうございます。お願いします」
神官は紙束を抱え直し、空いた手で封筒を受け取った。受取人の呼称を呼びながら、人混みに入って行く。
その姿が見えなくなるのを待って、ファーキルは早口に説明した。
「今、この神殿に居るのは俺とフィアールカさんだけです。他のみんなとは王都で別れました。話すと長くなるし、今ちょっと忙しくて……えーっと……」
「アンケート用紙を配るんですよね? お手伝いしましょう」
呪医セプテントリオーが言うと、傍にいた陸の民の少女が驚いた顔で呪医を見上げた。古びた安物の服を着て、重そうなリュックを背負っている。
……クレーヴェルから逃げてきたコなのかな?
ファーキルは少女が気になったが、今は触れないでおいた。
「えっと、神殿じゃなくて避難所になってる公民館とか、料金が安い宿とか、市内のあちこちに配りに行くんですけど……」
「む……お手伝いは難しそうですね。新しくなったグロム市は、今日が初めてなんですよ」
「あぁ、いいです、いいです。手伝ってくれる人、いっぱい居るんで! ……えっと、晩ごはんの時間には終わるんで、あの、時間、大丈夫だったらここに来てもらってもいいですか?」
紙束を布の手提げ袋に詰めながら言う。
葬儀屋アゴーニは一緒ではないのか、武闘派ゲリラのオリョールたちがどうなったのか。聞きたいことは山程あるが、こんな人の多い所では聞けない。
呪医は隣の少女を見た。その横顔には気遣いが窺える。
少女がコクリと頷いた。
「私は大丈夫ですよ。全然、急ぎませんから」
「そうですか。……では、ここで治療のお手伝いをして待たせてもらいます」
呪医セプテントリオーはファーキルにやわらかな微笑を向けた。
「じゃあ、すみませんけど、待ってて下さい。晩ごはんは俺たちが泊まってる宿で一緒に食べましょう」
三千枚程の紙束を詰めた袋を肩に掛けると、把手がずっしり食い込んだ。
立ち去りかけて、慌てて振り向く。
「あッ! 呪医たちって、どこに泊まってるんですか?」
「先程、着いたばかりで、まだ決まってないんですよ」
「えーっと、じゃあ、後でフィアールカさんに宿の手配も頼んでみます」
「しかし、私は宿賃の持ち合せが……」
「大丈夫です。それは心配しないで下さい。じゃ、行ってきます」
ファーキルは呪医にそれ以上言わせず、駆け足でその場を離れた。
神殿の敷地を出て、地図アプリで散々見た街並を現実の視界に収めて走る。細道に入って足を緩め、呼吸を整えながら宿の看板を探した。
「すみません。三日間だけ、アンケート用紙を置いていただきたいんですけど、お願いできませんか?」
「アンケート? 坊や、どこの子? 面倒事は御免だよ」
フロントの老婆が皺くちゃの顔を窄める。
想定内の反応だ。
「俺は配るのを頼まれただけなんです。ネモラリスの政治家や聖職者、建設業協会、歌手のニプトラ・ネウマエさんとか大勢の人が協力して難民支援をしてるんです」
「ウチはカネのない難民は泊めてないよ」
「そうですか……お邪魔しました」
長居せず、他を当たる。
その合間にメールを送り、フィアールカに呪医セプテントリオーの件を頼んだ。返事を待たず、小さな店が軒を連ねる細い通りを急ぐ。
数件に断られたが、長期滞在のネモラリス人が居る宿は引き受けてくれるところの方が多かった。
「あぁ、それと、大衆食堂でも聞いてみなよ。なるべく安いとこ。近所の箆魚食堂さんだったら、あたしの名前出しゃ置いてくれると思うよ」
「いいんですか?」
思い掛けない提案に頬が緩む。
安宿のおかみさんは、複雑な顔で苦笑して溜め息混じりに答えた。
「こんなに長引くと思ってなかったからね。気の毒に思ってちょいと負けちまったんだよ。今更、普通の宿賃寄越せとは言えないし。厄介事が減って地元に帰れるようになるんなら、タダでできる手伝いくらい、幾らでもするよ」
「えぇっと、あの、すみません。ありがとうございます」
「あぁ、坊やを責めてるワケじゃないんだよ」
しょんぼりしたファーキルに、おかみさんが早口に付け足した。
「戦争と腥風樹のせいで行商や観光客がめっきり減ってて、泊まってくれるのは有難いんだからね」
儲けが少なく、経営を圧迫するから手放しでは歓迎できないが、人情として追い出すこともできない。難民が出て行ったところで他の客が来るアテはない。
観光都市グロムの地元業者も、アーテルとネモラリスの戦争に巻き込まれているのだ、と改めて思い知らされ、ファーキルは言葉にならない申し訳なさに頭が下がった。
「ありがとうございます。箆魚屋さんに行ってきます」
昼食時を過ぎた食堂は客が引け、従業員たちはのんびり後片付けをしている。
レジの若者に宿のおかみさんから言われたことを話す。彼は何も言わずに奥へ引っ込んだが、すぐ、調理服を着た年配の男性を連れて戻ってきた。
「初めまして。店長さんですか?」
「おぉ。あのおかみの頼みなら置いてやっても構わん。いつまでだ」
「ありがとうございます。三日間です。四日後に取りに来ます」
「たった三日でいいのか? 書いた紙はどうすりゃいい?」
ぶっきらぼうに告げられる有難い申し出に胸が詰まる。
ファーキルは、精いっぱいの笑顔で答えた。
「書いた人に北神殿へ持って来てもらいます」
アンケート用紙の隅の注意書きを指差すと、店長は鼻を鳴らした。
「日雇いで働いてる連中は、神殿に行くヒマなんざねぇぞ。今はプラームに石材運んだりなんかが多くってな。晩メシまで戻ってこねぇ」
「あ……そうなんですか?」
「慣れねぇ力仕事で腰傷めて、あっちの神殿で治してもらって、また現場……こっちの神殿も、怪我でもせん限り行かねぇみてぇだ」
ファーキルは、警官と兵士の話を思い出した。【無尽袋】が不足しているせいで手作業で運ぶと言っていた。
ツマーンの森の中では兵士が作業し、その手前までは民間人を雇っているのだろう。ラクリマリス王国軍なら【無尽袋】を調達できない筈はないが、敢えて手作業で運ぶのは、ネモラリス難民の雇用創出も兼ねているのかもしれない。
市内では石材運びの様子を全く見掛けなかった。【跳躍】で運ぶ都合で、石材の集積所はプラーム市の西側……防壁の外にあるのかもしれない。
……どうやって回収しよう。
「……ウチで預かってよけりゃ、坊主が余りを取りに来た時にまとめて渡してやるが、どうだ?」
「いいんですか? そんなコトまでしていただいて……」
「どうせついでだ。構わんよ」
ファーキルは何度も礼を言って大衆食堂を後にする。
昼食も忘れ、あちこち駆けずり回って交渉した。
☆警官と兵士の話……「667.防衛線の構築」「668.大衆食堂の兵」参照




