676.旅人と観光客
「ここもトラック多いんですね」
「今の時間は、近郊の農家から生野菜や生卵を運んでいるのでしょう」
早朝のグロム市は、車道をひっきりなしにトラックが行き交う。ここは観光客が多いからか、大通りには信号機があった。
歩道の敷石や建物に呪文が刻まれているのには、もうすっかり慣れたらしく、サロートカは何も言わない。商店街の開店準備を興味津々で見ていた。
「ここも大きい街だから、また役所で聞かなくちゃいけないんですね」
「……この人は、北神殿に居るそうですから、大丈夫ですよ」
封筒を見て、呪医セプテントリオーが言うと、針子のサロートカは表情を和らげた。
「私……こんなコト言うのアレですけど、役所の雰囲気より神殿の方が好きです」
「そうなんですか?」
呪医セプテントリオーは、キルクルス教徒の口から出た言葉に驚いたが、ここでは人目があってこれ以上は聞けない。サロートカも言わなかった。
歩道脇で案内板をみつけ、足を止める。
「道端に地図があるんですね」
「観光客が多いからでしょう」
物珍しそうに地図を見る少女の顔が、呪医に向いた。
「この間から聞こうと思って忘れてたんですけど、カンコーキャクって何ですか?」
呪医セプテントリオーは、答えに詰まった。
針子の少女は、人の往来が厳しく制限されたリストヴァー自治区で生まれ育ち、外の世界へ出たのはこれが初めてだ。バラック育ちのこの娘は、旅行など想像したこともなかっただろう。
……よく、思い切ってここまで来たものだ。
改めてサロートカの勇気に気付く。
「えっと、すみません。何か、ここでは説明できないコトでしたか?」
針子の少女が呪医の耳元に口を寄せて囁く。
呪医セプテントリオーは首を振った。
「いえ……どう説明しようかと思いまして……」
「難しいコトなんですか?」
「えーっと……旅人です。巡礼や仕事、勉強など他の目的で他所の土地に行くのではなく、他所へ行って、自分の知らない場所を見物すること自体を目的にした旅人です」
「旅人……」
「自分の意思で一時的に故郷を離れて、見物が終わればすぐに帰る人のことです」
簡単な説明を思いついて言い添えてみたが、サロートカは案内板の地図を見詰めて考え込んだ。
セプテントリオーも、街並がすっかり変わった地図に目を遣る。
グロム市の「北神殿」が、北門ではなく、北東の門に近いと気付いてうんざりした。てっきり、昔のままで北門に近いと思い込み、防壁の外でわざわざ北東の門から北門へ【跳躍】したのだ。
半世紀の内乱で破壊された神殿が、再建時に場所を変えることが全くないワケではないのを失念していた。
市内に入ってからも、かなり歩いた。引き返して【跳躍】し直すよりは、このまま歩いて行った方が早い。
「じゃあ……私もカンコーキャク……ですか?」
「ん?」
確かに、さっきの条件には当て嵌るが、サロートカを観光客だとは言い難い。
……どう説明したものかな。
「サロートカさんは、こちら側の社会がどんなものか確める……見て学ぶ為に出て来られたんですよね?」
「はい。知らないコトだらけです。店長さんは若い頃、ネモラリス島に住んでたっておっしゃってたんで、ご存知なんでしょうけど……」
「勉強の為の旅ですから観光とは少し違います」
「ふーん。似てると思いましたけど、違うんですね」
……聡明な娘だ。きちんとした教育を受けられれば、立派な人になれるだろうに。
サロートカは聖典が読める。彼女の実家は失われてしまったが、バラック街の中でも比較的余裕がある方だったのだろう。
モーフが殆ど読み書きできず、少年兵になっていたことを思い出し、胸の奥が疼いた。
どちらからともなく、神殿へ歩きだす。
北神殿に着くと、前庭の一画に人集りができていた。
通りすがりの紙束を抱えた神官に声を掛ける。
「おはようございます。何かあったんですか?」
「おはようございます。難民の方々にアンケートをしているのですよ」
「アンケート?」
「ボランティアの方が、困り事や要望を調べていて、我々はそのお手伝いを少々……」
「そうなのですか。ひとつでも多く、困り事が減ればいいのですが……」
呪医セプテントリオーは改めて人集りに目を向けた。
神官と、地元の信者らしき身なりのいい男性が、順番に並ぶように言って列を整理し、女性たちがその間を歩いて板と鉛筆を配る。受け取った人々は熱心に書いていた。
神官も人々を見て呟く。
「困り事……一番いいのは、早く戦争が終わってくれることなんですけどね」
「そうですよね」
呪医と少女は同時に頷いた。
「それから、この方がこちらでお世話になっていると伺って、手紙を預かって来たのですが……」
「これはこれは……」
神官は封筒の宛名に目を遣り、記入する人々をざっと見回して二人に向き直った。
「向こうの列で聞いてみましょう。来て下さい」
人集りを大きく迂回し、用紙の配布場所へ向かう。
段ボール箱が幾つも積み上がったところで、陸の民の少年がごそごそしている。紙束を抱えて立ち上がった少年と目が合った。
「あっ……!」
互いに言葉が出なかった。




