674.大規模な調査
「アンケートに答えてくれた避難者の方には、飴を差し上げます」
ファーキルは、神殿のあちこちを回って大声で呼掛けた。
運び屋フィアールカが、グロム市の東神殿に話を通すと快諾された。
市内の他の神殿には、聖職者たちが知らせてくれると言う。
明日以降は、北神殿などの他、公民館などに設けられた公共の避難所と、グロム市内の安い宿屋にも用紙を配布する予定だ。
神官たちが、庭の隅に会議用の折畳み机二台とパイプ椅子を並べてくれた。その横に細く穴を開けた投票箱のような段ボール箱を置いてある。
ファーキルは、フィアールカが大量に持って来たアンケート用紙を配り歩き、避難民たちに庭へ行くよう言って回る。
配り終えて庭へ戻ると、フィアールカが回収箱の前に立って回答者に飴を渡していた。その合間にも、設問の意味を聞かれて答えたり、折れた鉛筆を削ったりとなかなか忙しそうだ。
「姐さん、これでホントに俺らの暮らしがよくなんのか?」
「すぐにはムリよ。要望や困ってることを取りまとめて、実現できることからひとつずつ何とかしてゆくしかないもの」
「そうか……そうだよな」
くたびれたおっさんが、肩を落として続きを書き込む。
机が空くのを待ち切れず、段ボールの切れ端や雑誌を台にして書く者も大勢居た。
……こんなに反響があるなんてな。
彼らは飴の為ではなく、誰かに苦境を伝えたくて書いているのだ。
用紙の裏側にまで書く者も居る。
その苦しみをひとつでも減らす最初の一歩だ。
どうやら、ラクリマリス政府は流入した難民への聞き取り調査を全くせず、フラクシヌス教の神殿は個別の傾聴はしても、統一項目による大掛かりな調査はしていなかったらしい。
どちらも、可能な範囲でネモラリス難民を支えてくれているが、支援内容と要望が一致しない部分がかなりあるように見えた。
朝食前から配り始め、夕飯前に一旦締め切った。
飴を詰めていたリュックサックはからっぽで、回収箱はずっしり重い。
「まだの人は明日の朝ごはんの後で回収しますから、それまでに書いて下さいねー」
フィアールカがにこやかに笑って手を振ると、人々はホッとした顔で集会所へ食事をしに行った。
二人も夕飯を食べに宿へ戻る。
「思った以上に反響あったわねー」
「そうですね。みんなそれだけ困ってるんですよね……」
神殿や公民館などの避難所で暮らす人々に申し訳ないくらい、この宿の食事は豪華だ。肉料理と魚料理、手の込んだ野菜料理に上品なスープ、デザートは断ったが、食後には珈琲も出る。
「集計するの、大変そうよねー」
「どこかでパソコンを貸してもらえれば、まぁ……」
「あら、坊や一人でするつもり?」
「そりゃ、手伝ってもらえたら助かりますけど、言い出したの俺ですから」
湖の民のフィアールカは、考えるような顔で緑青パンを噛みしめた。
ファーキルも、集計結果で難民の暮らしをどう変えられるか考える。
単に聞いてみただけ、で終わってはならないが、ファーキル自身には彼ら全てを助ける力などない。
動画の広告収入はウェブマネーで数種類に分散させたが、どれも使える場所が限られていた。千年茸は高値で売れたが、ファーキルの取り分だけでは焼け石に水だ。
それに、単に食糧や生活物資を買い与えるだけでは根本的な解決にはならない。既にラクリマリスやアミトスチグマの政府、フラクシヌス教団、ボランティア団体や一般の寄付などで賄われ、餓死や凍死を免れられる最低限の生活は保障されていた。
……根本的な解決って、やっぱ……戦争とクーデターを終わらせるってコトだよなぁ。
ネモラリス共和国は、首都クレーヴェルがクーデターで内戦状態だ。
長引けば、対アーテル軍の防衛線を維持できなくなってしまう。それだけではなく、空襲に遭った地域で発生した魔物や魔獣の駆除もままならなくなるだろう。
魔法の使えないアーテル軍が地上部隊を派遣するとは考え難いが、腥風樹の件ではラクリマリス領に戦車などで侵入し、未だにモースト市に居座っているらしい。
楽観はできない。
アーテル空軍は既に大打撃を受け、アーテル本土を襲撃するネモラリス憂撃隊のテロ対応に手を取られているのか、ここしばらくは全く空襲がなかった。
ネモラリスがクーデターで疲弊しても、攻勢を掛けられないかもしれない。
……まぁ、やるとしたら、焦土作戦だろうから、ない方がいいんだけど。
万が一、ネミュス解放軍が政権を完全に掌握したら、アーテルの本土へ撃って出るだろう。
神政の樹立を目指す極右組織がラキュス・ネーニア家を担ぎ上げれば、湖の民と国内のパニセア・ユニ・フローラ派の神殿は従わざるを得なくなるかもしれない。
そうなれば、陸の民のラクリマリス王家がどう動くか……ファーキルには全く予測がつかなかった。
今のところ、地域全体を巻き込む全面戦争を避ける為、湖上封鎖して事態を静観している。
湖南地方の国々は不便を強いられているが、足並みを揃えてアーテルに経済的な圧力を掛けてくれていた。
……一番止めなきゃいけないのは、ウヌク・エルハイア将軍がネモラリスを掌握すること。その次が、アーテル軍の進撃……なのかな?
どちらも話が大き過ぎて、どうすれば実現できるのか想像もつかなかった。
ウヌク・エルハイア将軍は百戦錬磨の武人で、暗殺などできそうもない。
もし、成功したとしても、誰かが後を引き継げば同じことだ。
珈琲にほんの少し口をつけ、フィアールカがカップを置く。
「機種が何でもいいんなら、手配できそうよ」
「何をですか?」
「パソコン。要るんでしょ?」
「えっ? あ、は、はい。あんまり古いのだと、操作できないかもしれないんですけど……」
ファーキルは思わず身を乗り出した。
「流石に最新式は無理だと思うけど、そこまで古くはならないと思うわ。ただ……」
「なんですか?」
フィアールカはもう一口飲んでミルクを足した。
「そのパソコンはインターネットに接続しないし、あなたが作業するなら、アミトスチグマに行ってもらわなくちゃいけないんだけど、いい? あぁ、データはちゃんとそっちに移せるようにするけど」
「行きます」
ファーキルは即答した。
帰る場所はとっくに捨てた。
今のファーキルにとって、用のある場所が居場所だった。
「そう。話が早くて助かるわ」
明日の準備の為、食事を終えてすぐ、それぞれの部屋へ引き揚げた。
☆ウェブマネーで数種類に分散させた/千年茸は高値で売れた……「650.グロム市の宿」参照
☆足並みを揃えてアーテルに経済的な圧力……「285.諜報員の負傷」参照




