672.南の国の古語
少年兵モーフは、少し話題を変えてみた。
「みんな死んじまって他所者しか残んなかったのに、何で王家は……」
「フラクシヌス様にはお子さんが居たらしい。最初の祭司はご兄弟だったらしいけど、ラクリマリス王家は直系の子孫だ。湖の民のパニセア・ユニ・フローラ様は呪医だから、ラキュス・ネーニア家は最初から傍系の親族だ」
「ふーん」
DJレーフはアゴーニを横目で見て、モーフに視線を戻した。湖の民のおっさんはまだ目を覚まさない。
「あのさ、さっきみたいなハナシ、ネミュス解放軍とかの極右連中に聞かれたら大変だから、街とか人の多いとこで言っちゃダメだよ」
少年兵モーフは、「キョクウ」が何なのかわからなかったが、取敢えず神妙な顔で頷いておいた。クーデターを起こした連中の仲間なら、どうせロクな者ではない。
ソルニャーク隊長が荷台から降りて来た。
首と肩をぐるりと回して、凝りをほぐす。
葬儀屋アゴーニが目を覚まし、大きく伸びをした。
みんなでお茶を飲んで、アナウンサーの原稿が上がって来るのを待つ。
「記録を残したのがカシマール様だから、神々の御名はみんな南の国の古い言葉なんだよ」
「えぇッ? 何だそりゃ? 何で名前くらい地元の言葉で伝えねぇんだよ?」
少年兵モーフは心底たまげた。
フラクシヌス教の教えには驚かされてばかりだ。
ソルニャーク隊長が何の話だと言いたげな目をDJレーフに向ける。
「真名を知らせるワケにはいかないからね。誰を指してるかわかればいいから、敢えて外国語で伝えたのかも知れないよ」
「それもわかってねぇのかよ?」
「うん。別に知らなくても生活に支障ないからねぇ」
……何だそりゃ?
少年兵モーフの目が、アゴーニの緑色の寝惚け眼と合った。
「何だ坊主、もっと知りてぇってのか? だったら教えてやるぞ」
「何を?」
「神様の名前の意味だ」
まだ眠気の残るけだるげな声に思わず頷いた。
湖の民アゴーニが、さっき見た夢を語るような調子で解説する。
「フラクシヌス様は“秦皮”、スツラーシ様は“守護者”、クリャートウァ様は“誓い”……まぁ“呪い”って意味もあるな」
「何でだよ。呪いなんか……」
……そんな不吉なコトバを神様の名前にするとか、フラクシヌス教徒の奴らはバカばっかなのか?
信じられないものを見る目を向けたが、アゴーニはまだ寝惚けているのか、普通に話を続ける。
「誓いってなぁ、それを守ろうとする限り人を縛るからな」
「人を縛る……?」
「えーっと、あれだ。【渡る白鳥】学派の約束を守らせる系の術はみんな、約束を破ったらどエライ目に遭わされる呪いばっかだ。どっちも似たようなモンなんだよ」
「ふーん……」
みんなの手前、わかったような顔で先を促す。
「パニセア・ユニ・フローラ様はちょいと変わっててな、ホントはパス・イソス・ユニ・フローラなんだ」
「何で名前変わってんだよ?」
「まぁ聞けよ、坊主」
メドヴェージが苦笑する。アゴーニもつられて笑みを浮かべ、説明を続けた。
「パス・イソスは“すべて ひとしい”って意味だ。そいつがこの辺の言葉と混じって訛ってパニセア。ユニ・フローラは“ひとつの花”だ」
モーフだけでなく、ソルニャーク隊長とメドヴェージも同時に息を呑んだ。
アゴーニは、やっと目が覚めたような顔で三人を見回す。
声も出ないモーフの代わりにソルニャーク隊長が言った。
「民族融和の歌の題名に……女神の名を……?」
「ん?」
「どう言うことですか?」
DJレーフが改まった口調で聞いた。ソルニャーク隊長がDJの手許に目を向ける。
「その本の巻末の歌だ」
絵本の題名も「すべて ひとしい ひとつの花」で、女神の名の現代湖南語訳だ。
DJレーフが、ページをめくるのももどかしそうに絵本を開く。歌詞の横に書いてある説明に改めて目を走らせ、息を呑む。
「昔の人たちは、本気でこの歌で共和制の百周年を祝ったり、他の宗派のみんなや陸の民と湖の民が仲良くできると思ったのか……?」
DJレーフが誰にともなく早口で問うたが、この場の誰にも答えられなかった。
……ねーちゃんの親戚の魔女だったら、知ってんのか?
この曲が完成したら歌うハズだった歌手のニプトラ・ネウマエなら、作詞者に会って話したことがあるかもしれない。だが、今は王都ラクリマリスだ。葬儀屋のおっさんなら行けるが、彼女と面識がなく、神殿などに頼んでみたところでムリだろう。
「何か他に目的があったのかもしれんな」
「目的ってなんスか?」
隊長の呟きに思わず食いつく。
「わからんな。歌詞に暗号を仕込もうとしていたが、完成させられなかったのかもしれん」
「歌詞の続きを募集してるけど、今はもう関係ないんでしょうね」
DJレーフが絵本を閉じた。
みんなそれぞれの考えに沈んだのか、無言でちびちびお茶を飲む。
手持無沙汰になった少年兵モーフは香草を摘もうと立ち上がった。
ワゴン車が開き、国営放送のアナウンサーが、絵本より分厚い紙束を手に降りてくる。
「お待たせしてすみません」
「なぁに、いいってコトよ。今から行ったら……そうだな、今夜はあっちに泊まって、早けりゃ明日の昼には戻る」
葬儀屋アゴーニが立ち上がって服を整える。
ソルニャーク隊長は、アナウンサーのジョールチから紙束を受け取って封筒に入れた。厚みのある大型封筒がはち切れそうだ。
「よろしくお願いします」
「お気をつけて」
「おう、じゃ、ちょっくら行って来らぁ」
葬儀屋アゴーニが、近所へお使いに行く調子で言って呪文を唱える。封筒を抱えた湖の民の姿が、あっと言う間もなく消えた。
少なくとも、フィアールカの手に情報が渡れば、あの強かな運び屋は上手く使ってくれるだろう。
国営放送のジョールチとFMクレーヴェルのレーフが視線を交わした。DJレーフが立ち上がってモーフに絵本を差し出す。思わず受け取ると、レーフはソルニャーク隊長に向き直った。
☆民族融和の歌の題名に……女神の名を……?……「579.湖の女神の名」参照
☆絵本の題名……「647.初めての本屋」参照




