671.読み聞かせる
昼食の片付けを終え、ウーガリ古道脇の広場にはのんびりした空気が漂っていた。
葬儀屋アゴーニが点した【灯】が戸の隙間から漏れ、荷台の床を青白く染める。ソルニャーク隊長は荷台の係員室に籠り、運び屋フィアールカ宛の手紙を書いていた。国営放送アナウンサーのジョールチも、FMクレーヴェルのワゴン車の後ろで、首都クレーヴェルの状況を原稿にまとめている。
レーチカに跳んで紙などを買ってきたアゴーニは焚火の前で居眠り、その向かいで運転手のメドヴェージが火の番をする。少年兵モーフは運転手のおっさんの横で、DJレーフが絵本を読む声に耳を傾けていた。アゴーニを起こさないよう、囁きに近い。それでも、よく通る声は聞き取りやすかった。
レーチカ市の本屋で思いがけず買ってもらった絵本は、フラクシヌス教の神話を子供にもわかりやすい言葉にしたものらしい。
先に絵だけ見てモーフが想像した通りの流れだ。
読んでもらうと、どの絵が誰……どの神を表しているか、あの化け物が何者なのか、大昔の人々がどう苦しんだのかがよくわかった。
◆ ◇ ◆
ずっと昔の大昔。
三界の魔物が作られるよりもっと昔。
この辺りは、泉や小さな湖が点々とある草原でした。
草原を馬で駆けて羊を追い、草色の髪をなびかせる民。
草原を耕して畑で麦を作る大地と同じ色の髪を持つ民。
隣り合うふたつの国の人々は仲良く暮らしていました。
ある時、泉が干上がって草が枯れ、砂がなにもかも埋めてしまいました。
飲み水も、畑に撒く水も足りなくなって、たくさんの命が失われました。
草原を馬で駆ける民と草原を耕して畑を作る民の間で戦が起こりました。
志ある人々が調べたところ、大きくて長い魔獣のせいだとわかりました。
多くの人が魔獣をやっつけに行きましたが、誰も帰ってきませんでした。
羊飼いの民と畑の民はそれでも水を巡る争いをやめません。
どちらの軍隊も、人と人との諍いに駆り出されて戦います。
旱魃の龍と呼ばれるようになった魔獣には向けられません。
大きくて長い魔獣が空を行く度に、赤い光が空を覆って水が失われます。
乾きは砂を生んで、砂は豊かな大地を埋めて、湖も消えてしまいました。
羊も馬も犬も人も乾きに苦しめられて砂に埋もれて姿を消してゆきます。
◆ ◇ ◆
……馬?
少年兵モーフは、ドーシチ市で見た警官を思い出した。そう言われてよくみれば、この絵の生き物は警官が乗っていたのと同じだ。絵と実物の雰囲気が随分違い、本屋で立ち読みした時には気付かなかった。
颯爽と馬に跨ってトラックを先導した騎馬警官の姿を思い起こし、薬師アウェッラーナと呪医セプテントリオー、ここで居眠りする葬儀屋アゴーニに重ねようとしたが、どうにも想像できなかった。
……三人ともどんくさそうだもんなぁ。
余計なことを考えている間にも、話は進む。
◆ ◇ ◆
とうとう、ずっと遠く、南のリンフ山脈にも乾きが届きました。
ひとりの魔道士が山を越えて草原へ、木々が枯れたわけを調べに来ました。
この地の人々と手を取り合って、同じひとつの目的の為に旅を続けました。
調べ記す南の人カシマール・プートニク。
畑の民の戦士ヅーフ・スツラーシ。
みんなの誓いを見届けるクリャートウァ。
みんなを導くフラクシヌス。
羊飼いの呪医パニセア・ユニ・フローラ。
他にも共に行く者はありましたが、道の途中でいなくなりました。
それでも枯れ野を越えて砂漠を越えて、どんどん旅を続けました。
ほんの少し残った枯れた草原で、戦で傷付いた民たちと出会いました。
傷付いた民を分け隔てなく癒すと旱魃の龍の居所を教えてくれました。
激しい戦いの末、五人はやっと旱魃の龍をやっつけました。
それでも、旱魃の龍の乾きの光は、なくなりませんでした。
クリャートウァが旱魃の龍の亡骸を石に変えました。
傷付いたスツラーシは自分自身を岩山に変えました。
四人は洞穴に降りて奥深くに旱魃の石を置きました。
乾きの赤い光が洞穴を照らして、砂を呼び寄せます。
パニセア・ユニ・フローラは自分を焼いて【魔道士の涙】を残しました。
クリャートウァがその【涙】に尽きせぬ水が湧くように術を掛けました。
溢れる水が、蛇のように旱魃の石を巻いても、すぐに乾いてしまいます。
三日三晩掛かっても、旱魃の石は乾いたままで、水は大地を潤せません。
三人は洞穴の外に出て、集まってきたふたつの国の人々と相談しました。
フラクシヌスが自分自身を秦皮に変えて洞穴の底まで根を伸ばしました。
乾きは大地の奥深く伸びる根に捕まりました。
溢れる水が砂に埋もれた大地を満たしました。
すべてを見届けたクリャートウァは、山と水と樹を巡る魔法陣を敷きました。
今もスツラーシの高き頂の麓で、フラクシヌスの大樹がその根で旱魃を押さえ、パニセア・ユニ・フローラの【涙】が水を生み出してこの地を潤しています。
◆ ◇ ◆
「……と、まぁ、こんなハナシだ」
「なぁ、この見届けた奴と南から来た奴はどうなったんだよ?」
「ん? あぁ、この絵本には細かいコト書いてないけど、クリャートウァ様は、スツラーシ様の岩山の麓に最初の神殿を建ててすぐ亡くなって、カシマール様は報告しに南の国へ帰ったらしいよ」
「ホントかよ?」
そんな大昔のことがわかるものなのか、とモーフは絵本に疑いの目を向けた。DJレーフが苦笑する。
「君の知ってる話とは違うかもね。三界の魔物との戦いでそれ以前の記録や証拠が失われて、地方によって伝承がまちまちなんだよ」
「なんだそりゃ?」
……ちゃんとした聖典もなんもナシ。バラバラの神話で……そんなので、みんな信じてんのかよ?
少年兵モーフにも、キルクルス教徒としての感想は口に出さないだけの分別はある。
丁度お湯が沸き、メドヴェージが香草茶を淹れてくれた。
「俺がガキの頃聞いた話じゃ、湖の民は昔から“湖の民”で、ちっこい湖で魚獲ったり、泉の番をして暮らしてたって聞いたけどな」
「さっきのと全然違うじゃねーか」
少年兵モーフは、メドヴェージから言葉とマグカップを受け取り、アゴーニの緑髪を見た。
……何でコイツら、そんなんでフラクシヌス教の神を信じられるんだ?
「図書館へ行けば、各地で集めた異説集や比較研究の本がたくさんあるよ」
「どうせ難しいんだろ?」
「まぁね。神学を研究する大人向けだから、その辺の大人でもわかんないよ」
「DJの兄ちゃんでも?」
「うん。わかんないな。でも、スツラーシ様の岩山とフラクシヌス様の大樹、パニセア・ユニ・フローラ様の青琩があってラキュス湖がこの土地を潤して下さってるのは、ホントのことだからね」
「細けぇこたぁどうでもいいんだよ」
メドヴェージに肩を叩かれ、お茶をこぼしそうになる。睨みつけてやったが、おっさんはどこ吹く風で笑うだけだ。
☆買ってもらった絵本……「647.初めての本屋」参照
☆ドーシチ市で見た警官……「237.豪華な朝食会」参照




