668.大衆食堂の兵
朝食の匂いはかなり薄らいできたが、プラーム市の大通りには相変わらず人が少なかった。
……あ、そっか。お巡りさんでも逃げたいくらいなんだ。逃げられる人はとっくに王都とかグロム市とか、もっと遠くに避難してるよな。
ロークの友人を思い出して、納得する。
秦皮の並木道は車の通りも少なかった。
ドーシチ市で見た限り、これはラクリマリス領内では元々そうらしい。小型トラックが店の前に生卵や生野菜の箱を下ろして行くだけで、自家用車は一台も走っていなかった。
警官の言う通り、神殿は迷子になりようがない場所にある。
緑の木々に導かれるように門を抜け、前庭に足を踏み入れた。
建物の造りは王都で見た湖の女神パニセア・ユニ・フローラの神殿と同じで、紋章だけが違う。あちらは青いヒナギクの花だが、こちらは樹木の形だ。
地元民なのか避難民なのか、参拝者は王都の神殿程ではないが、それなりに多かった。
入口の杯型の台に空の【魔力の水晶】を寄付する者、それを手に取り魔力を籠めながら神殿の奥へ向かう者、祈りの捧げ方も湖の女神と同じだ。
湖の民の参拝者は、ファーキルが思っていたより多い。ざっと見たところ、三割くらいだろうか。
参拝の列に並び、周囲の声に耳を傾ける。
赤ん坊をあやす声と朝の挨拶、遠い囁き。
世間話を拾えないまま、行列の流れに乗って祭壇前に進み出た。
流石にここで私語をする者は居ない。
秦皮の大木を円形に囲む祭壇に人々が分散した。魔法陣が描かれた祭壇に【魔力の水晶】を奉納し、あるいはそのまま跪いて祈りを捧げる。
ファーキルも祭壇の前に跪いた。
大きく枝を広げた秦皮の上は、灰色の雲が天に蓋をして動かない。
……早く戦争が終わって、平和になりますように。
ここで情報収集するのは憚られる。
何も得られず、主神フラクシヌスの神殿を後にした。
店が開き、先程よりは人通りが増えた大通りを西へ向かう。商店街は三分の一くらいしか営業していおらず、閑散として寂れて見えた。
昼時に西門が見える所に出た。
遠目にも軍が検問を置いて、プラーム市の西……ツマーンの森側への通行を規制しているのがわかった。
ファーキルは西門には近付かず、兵士の一団が入った大衆食堂について行く。
客の大半がラクリマリス軍の下級兵士で、グロム市で見たような家族連れなどは一組もなかった。レジの係は、中学生一人の客にオヤと言う顔をしたが、結局何も言わずにカウンター席へ顎をしゃくった。
昼は定食が一種類だけらしい。
どこにもメニューがなかった。
兵士たちはみんな同じものを食べている。
カウンター席に座った途端、給仕に水とスープを置かれた。フォークとスプーンが雑に突っ込まれた筒からスプーンを取って、溶き卵入りの野菜スープを食べながら、兵士たちの話に聞き耳を立てる。
「あーもう、腰痛ぇわ」
「まさか土木工事するハメになるなんてなぁ」
「持ち方悪いんじゃないのか? 【重力遮断】使えよ」
すぐ後ろのテーブル席の一団だ。
ファーキルは振り向かずに耳を傾けた。
「お前は伐採だから知らんだろうがな、あの術はダメだ。切れた瞬間、ずっしり来るから、却って腰に悪いよ」
「俺もそう思って素でやってるから、筋肉痛で全身ギッシギシだ」
「お前ら、鍛え方が足んねぇんじゃね?」
「よかったな。鍛錬のいい機会じゃないか」
笑いが起こって会話が中断する。
ファーキルの前にパン籠とおかずの皿が置かれた。白身魚のフリッターと温野菜の盛り合わせだ。フォークでニンジンを刺して背後の会話に意識を向ける。
「呪文も何もない素の石材と俺らの働きだけで街を守れるんだ。筋肉痛くらいで済むんなら、安いモンじゃないか」
「そうだよな。魔装兵は森に入ってるアレを追っかけてんだもんな」
「腰痛や筋肉痛で弱音吐いてちゃ、笑われらぁな」
ラクリマリス王国は、魔法文明偏重政策を採る両輪の国で、国民の大半が力ある民だ。
魔法は使えて当たり前。
ラキュス・ラクリマリス共和国が内乱で分裂した際、神政復古と王家の復権を願った者の多くは、主神フラクシヌスを奉じる力ある陸の民だったと言う。
半世紀の内乱中、現ラクリマリス王国領の地域では、他の宗派の信者や湖の民は息を潜めて暮らしていた……と、周辺国が作成した歴史のサイトなどで読んだ。
今は平等に扱われているらしかった。
食堂を埋める兵の中には湖の民の緑髪も見える。
よく噛んでゆっくり食べたが、めぼしい情報は得られなかった。帰りの船を考えるとこれ以上は長居できない。
ファーキルは、力なき民の子供の身を恨めしく思いながら、プラーム港へ引き返した。
定期便に揺られながら、警官と兵士から聞いた話をまとめて保存する。
……えーっと、つまり、魔哮砲を捕まえる為の方便とかじゃなくて、ホントにまだ腥風樹がツマーンの森に残ってるってコトか。
末端の兵士や警察官も偉い人に騙されている可能性は捨てきれないが、ラクリマリス軍や王家が、そこまでして魔哮砲との戦いを伏せる理由は考えつかない。
腥風樹の駆除が終わっていないのは本当だと見た方が自然だ。
……魔哮砲をこっそり手に入れる為……とかだったらイヤだなぁ。
グロム港に降り立ち、曇天でいつもより薄暗い夕刻の道を小走りに行く。
薄紅い雲の下、曖昧な光は影を成さず、街をぼんやり見せる。
その光も刻一刻と弱くなり、空と屋根の境が溶ける頃、ようやく宿に戻った。
☆ロークの友人……「544.懐かしい友人」参照
☆ラクリマリス領内では元々そう……「283.トラック出発」参照
☆祈りの捧げ方……「542.ふたつの宗教」参照




