667.防衛線の構築
朝靄を裂いて、魔道機船の定期便がラズーリ湾を横切る。
右手に臨む湾内の湖水は、その名の通り深い青だが、今は冷たい靄に隔てられ、何とも言えない灰色に澱んで見えた。
晴れ渡っていたとしても、ファーキルには景色を楽しむ余裕はない。
明日になれば、運び屋フィアールカが、アンケート用紙をコピーしてもらって、グロム市に来る。ファーキルが自由に動けるのは、今日一日だけだった。
グロム港を出港し、ラズーリ湾の南端を横断して対岸のプラーム港に降り立ったのは、朝食の準備が整う時間帯だった。あちこちからパンやスープの匂いが漂ってくる。
船内で簡単に済ませたファーキルは、タブレット端末を取り出してプラーム市内に入った。
……さて、情報……どうやって集めようかな?
ネット上の情報収集は得意だが、リアルでするのは、ほぼ初めてだ。
取敢えず、昼食時には、客の多い店で噂話に聞き耳を立てようと思っている。
今の時間帯はまだ、開いている店が見当たらなかった。買物ついでに世間話を装って店主から聞きだすのは後に回し、話を聞けそうな人を探す。
通勤通学の時間にはまだ早いが、それにしても人通りが少ないような気がした。
……ネモラリスから避難してきた人、少ないのかな?
小ぢんまりした店が並ぶ通りを行く人々は、みんな早足で、話を聞ける雰囲気ではない。ずり下がった荷物を肩に掛け直して、行き先を考える。
……やっぱ、神殿……かな?
地図アプリを開こうとした視界の端に制服が映った。タブレット端末から顔を上げると、二人組の警察官が向かいから歩いて来る。
……パトロールかな?
特に急ぐ風のない歩調でそう判断し、ファーキルは小走りに近付いた。
「お巡りさん、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
「坊や、一人かい?」
ファーキルは正直に頷いた。
「はい。さっき港に着いたばっかりで、今からフラクシヌス様の神殿に行くとこなんですけど、近道ってありますか?」
「街の真ん中にあるからな。どっからでも行ける」
「そっちの大通りをまっすぐ西だから、迷子になる心配はないよ」
麦藁色の髪の警官と、パン屋の兄妹を思わせる濃い茶髪の警官は、気さくに応じた。
「ありがとうございます。朝早くからパトロールですか?」
「そうだよ」
「大変なんですね。やっぱり、アーテル軍の警戒なんですか?」
不自然にならないよう、何でもない調子で聞く。
「ん? なんでそう思うんだい?」
焦げ茶の頭を掻いて、警官が首を傾げた。麦藁色の髪の相棒もファーキルに疑問を含んだ目を向ける。
「だって、ニュースで見ましたよ。アーテル軍が橋を渡ってネーニア島に上陸して、まだ橋の近くに居るって。これって、侵略ですよね? どうして軍隊の人は、やっつけてくれないんですか?」
二人は顔を見合わせ、麦藁色の髪の警官が小さく肩を竦めて答えた。
「見ての通り、我々はプラーム市警の警察官だから、王国軍の偉い人がどうしてアーテル軍をやっつけないのかは、知らないよ」
「そうですか……そうですよね」
ファーキルが肩を落としてみせると、警官はひとつ咳払いして続けた。
「……まぁ、これは俺が個人的に思ってるだけで、ホントにそうなのかはわからないけど」
そう断って、推論を述べる。
「王国軍は今、この街の西側に対腥風樹の前線基地を置いてるんだ。それで、腥風樹の駆除と防衛ラインの構築を同時進行でやってるからなぁ」
「防衛ライン?」
「あぁ、防衛ラインだ。ツマーンの森の一部を切り拓いて石畳を敷いてるんだ」
「どうしてですか? アーテル軍をやっつけるより大事なんですか?」
何となく予測はつくが、念の為、何もわからない子供を装って質問する。
「そうだ。大事だよ。腥風樹を一本でも逃がしたら、次の秋には自分で種を蒔いて歩くようになる。そうなったら、もう誰もネーニア島に住めなくなっちまうからな」
「間に合いますよね?」
ファーキルが恐る恐る聞くと、麦藁髪の警官は申し訳なさそうに眉を下げた。
「わからんよ。我々はしがない警察官だからな。ただ……」
「ただ、何ですか?」
口籠った警察官を見上げて先を促すと、焦げ茶頭の警察官が渋い顔をして、相棒を肘で小突いた。小突かれた方は周囲を素早く見回して囁く。
「ここだけのハナシ、【無尽袋】が品薄で石材の運搬がなかなか進まないみたいなんだ」
「えッ……?」
これには本気で驚いた。
それで散々苦労させられたのに、すっかり失念していた。
「えーっと、代わりにトラックとかじゃダメなんですか?」
「森ん中通ってるのは、この間開通したあの道だけだ。トラックは森の奥までは入れない。呪文も何もないタダの石材でも、大量に運ぶとなっちゃ大変だ」
「でも、【重力遮断】とか……」
「あんなモン、そんな長時間持たないだろ」
警官が二人揃って軽く手を振り苦笑する。
……そっちに手を取られてて、アーテル軍まで手が回らないのか。
あの動画ニュースでは、アーテル兵の遺留品を【鵠しき燭台】に掛けていたが、持ち主は末端の実動部隊の兵士だ。腥風樹の種子を蒔いたことは確認できたが、それが全部で幾つなのか、他の部隊がどこに蒔いたのかなどは、わからなかった。
「そっか……そうですよね。駆除って、来年の秋に間に合わないかもしれないんですか?」
ファーキルの正直な不安に麦藁髪が首を横に振る。
「我々じゃ、わからんよ。何せ、種子を幾つ蒔いたんだか、アーテルの奴らが絶対言わないんだから」
「言ったところで、ホントのコト言ってるかどうか信用ならん。聞いても聞かなくても一緒だ」
焦げ茶頭は目を西に向けて眉を顰めた。
「来年の秋どころか、春までに防衛ラインが完成したところで、花粉や香気は防げないからな。俺だって、仕事がなきゃ逃げたいよ」
「おいおい……じゃ、坊や、気を付けて行くんだよ」
麦藁髪が苦笑し、ファーキルの肩に手を置いた。
「はい、ありがとうございます。パトロールのお邪魔してすみませんでした」
「なぁに、いいってコトよ」
手を振って別れ、ファーキルは教えられた大通りを西へ向かった。
☆アーテル軍が橋を渡ってネーニア島に上陸……「448.サイトの構築」「449.アーテル陸軍」「490.避難の呼掛け」参照
☆それで散々苦労させられた……「333.金さえあれば」「412.運び屋と契約」「413.飛び道具の案」「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」「495.ただ守りたい」
☆動画ニュースでは、アーテル兵の遺留品を【鵠しき燭台】に掛けていた……「500.過去を映す鏡」参照




