664.針仕事の依頼
ネモラリス共和国の首都クレーヴェルでクーデターが発生したことは、ラクリマリス王国にもすぐ伝わった。
湖南経済新聞の駐在特派員が翌朝、脱出してアミトスチグマの本社に情報を持ち帰ったからだ。そのニュースはインターネットで当日中に湖南地方だけでなく、世界中に広まった。
あの夜、クーデターを起こしたネミュス解放軍を名乗る武装集団は、真っ先に放送局を乗っ取ったらしい。番組が中断し、アミエーラたちの歌は途中になってしまった。
運び屋フィアールカと諜報員ラゾールニクは、以前にも増して大伯母カリンドゥラを訪ねて来るようになった。
針子のアミエーラは、二人に頼んで時々タブレット端末でニュースを見せてもらったが、移動販売店のみんなの安否はわからない。
……モーフ君たち、大丈夫かな?
勿論、他のみんなも心配だが、小さい頃からよく知っている分、近所の少年の方が心配だった。モーフの身内がみんな亡くなったであろう今、アミエーラが気に掛けなければ、世話になったおばさんたちに申し訳ないような気がする。
大伯母カリンドゥラは、王都ラクリマリスの東岬神殿に一部屋借りているが、クーデター発生後は、教団関係者やボランティアらと奔走している。
「ごめんなさいね。折角、同じ部屋に泊めてもらってるのに一緒に居てあげられなくて」
「い、いえっ私は大丈夫です。あ……えっと、大丈夫」
「一人で心細いでしょうに……ごめんなさいね。もう少しで体制が整うから、もう少し、辛抱してちょうだいね」
大伯母はアミエーラをぎゅっと抱きしめ、背中を軽く叩くと、慌ただしく出て行った。
窓辺に立ち、湖のずっと北に目を凝らす。
空には灰色の雲が広がり、天と湖水の間は薄い靄が埋めていた。
……お天気が良くたって、どうせネモラリス島まで見えないんだし。
アミエーラは机に戻り、縫い針を手に取った。
クーデターの第一報が入った日、アミエーラは「お留守番よろしくね」と置いて行かれた。
……魔力があったって、魔法を知らなきゃ、役に立てないのね。
思い切って、神官に何か手伝えることがないか聞いてみたら、端切れと繕い物を持って来てくれた。
ここ数日はずっと部屋に籠って縫物をしている。先に繕い物を済ませて、今は【魔力の水晶】などを入れる小さな袋を作っていた。
仕上がった繕い物を持って行った時、湖の女神の神官たちは思った以上に喜んでくれた。
「こんなキレイに繕って下さって、ありがとうございます」
「どこが破れてたか、全然わからないわ」
「大した腕前だ」
「いえ、私、魔法使えなくて、こんなコトくらいしかできないので、また何かありましたら、おっしゃって下さいね」
カリンドゥラ……歌手ニプトラ・ネウマエの身内だから、気を遣ってお世辞を言ってくれたのかもしれないが、少なくとも、服がまた着られる状態になったのは本当だ。
役に立てたことが嬉しく、針子のアミエーラは少し誇らしい気持ちで部屋に引き揚げた。
大伯母カリンドゥラはかなり忙しいようで、丸一日姿を見せない日もある。
いつ戻るかわからないが、帰った時に居ないと心配するだろうと思い、アミエーラは食事時以外はなるべく部屋に居た。
東岬神殿は、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを祀り、王都全体の魔法陣の要のひとつで、みんなで参拝した西の神殿とは対になっていると教えてもらった。
……みんな、どうしてるかな?
飾り気のない部屋で一人、袋を縫いながら、みんなを案じることしかできないのがもどかしかった。
「あ、居た居た。ちょっと見て欲しいものがあるの。お部屋に行かせてもらってもいいかしら?」
クーデター発生から五日目。
昼食を終え、神殿の食堂から戻る途中で運び屋フィアールカに呼び止められた。挨拶もそこそこに用件を切り出されて面食らったが、彼女はアミエーラよりずっと忙しい身だと思い出して頷く。
「見せたいものって何ですか?」
「動画よ」
アミエーラが机に広げた裁縫道具などを片付けると、フィアールカは椅子を二脚並べて置いた。
二人で肩を寄せ合い、手帳大のタブレット端末を見詰める。あの日のラジオで途切れた歌だ。穏やかな湖面の写真を背景に、歌詞の字幕が歌声に合わせて次々と切り替わる。ネモラリス島の山奥の里謡で、フラクシヌス教の神話に関する歌詞だった。
みんなで何度も歌った「すべて ひとしい ひとつの花」と同じ旋律に乗せて、大伯母カリンドゥラ……歌手のニプトラ・ネウマエと、同じく歌手のオラトリックス、そしてアミエーラの三人で斉唱した。
流石にプロの歌声は堂々としている。アミエーラの声は少し震えている上、僅かに遅れて変に目立っていた。今更ながら、恥ずかしさに頬が熱くなる。
湖の民の運び屋フィアールカは頓着せず、次の動画を再生させた。
「あっ……! このコたち……」
「あら、知ってるの。話が早くて助かるわぁ」
タブレット端末から流れる歌声は、ランテルナ島の拠点でラジオから流れたアーテルの歌手の声と同じだ。
手帳大の小さな画面に目を凝らす。
花束を抱えて歌う少女たちは随分、印象が違っているが、黒髪の少女の勝気な瞳には見覚えがあった。地下街チェルノクニージニクの宿でファーキルに見せてもらったコンサートの動画では、もっと人数が多かったような気がするが、記憶違いかもしれない。
歌は「すべて ひとしい ひとつの花」だ。
ラジオで聴いた聖歌のアレンジ曲には嫌悪感を催したが、この動画にはイヤな感じがしなかった。
……私は……聖歌を変にアレンジされたのが……聖者様への信仰を穢されたのがイヤだったのね。
アミエーラも知っている箇所で歌詞が尽き、続きを募る字幕が表示される。竪琴の余韻が消え、動画が終わるのを待ってフィアールカが切り出した。
「あなたの技術を見込んで、折り入ってお願いしたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「……何でしょう?」
「このコたちの衣裳を作ってもらいたいんだけど、大丈夫?」
針子のアミエーラは言葉が出て来なかった。
色々な思いが一度に湧き上がり、頭の中で渦を巻く。
運び屋フィアールカは、タブレット端末をコートのポケットに仕舞った。
「型紙はあるし、布もそろそろ届く頃よ。採寸の都合があるから、アミトスチグマの夏の都に来てくれないかしら? できれば、明日の夕方には返事が欲しいんだけど……」
髪と同じ緑の瞳が、アミエーラの瞳を覗き込む。
「えっと……あの……大伯母と相談させて下さい」
「わかったわ。ニプトラさんは今日の夕飯には戻ると思うから、しっかり話し合ってね」
湖の民の運び屋は忙しいのか、それだけ言ってさっさと出て行った。
☆あの日のラジオで途切れた歌だ……「599.政権奪取勃発」「600.放送局の占拠」参照
☆山奥の里謡で、フラクシヌス教の神話に関する歌詞……「531.その歌を心に」「594.希望を示す者」参照
☆みんなで何度も歌った「すべて ひとしい ひとつの花」……「280.目印となる歌」参照




