0068.即席魔法使い
ロークは、隊長の冷静で的確な分析が恐ろしかった。限られた情報から、正しい答えに近付きつつある。
その内、自分の正体にも気付かれるのではないかと気が気でなく、隊長の目から逃れる為に下を向いた。
ニェフリート運河の対岸、セリェブロー区も、まだ炎上中だ。
どこの国の軍か知らないが、見える範囲で安全な場所は、現在地以外にない。
ロークの実家が、無傷で残ったとは考え難かった。
何故か、心は落ち着いて、静かだ。
実家が燃える様子を目の当たりにしなかったからか、それとも、既に捨てたからか。ローク自身にもわからない。
ひとつ確実に言えるのは、命と小さな荷物の他は全て失った、と言うことだ。
「ま、まぁ、どこの誰の仕業かなんて、うだうだ言ってる場合じゃない。暗くなる前に結界の準備しなくちゃな」
金髪の工員が無理矢理笑顔を作って、話を逸らしてくれた。
実際、それどころではない。
再び人が動きだす。
誰もが無言で手を動かし、新聞紙を繋げた綱がじわじわ長くなる。
ロークも立ち上がり、中年男性から朝刊を受け取って、バラして折り畳む作業を手伝った。
この頼りない綱が、文字通りの意味で今夜の命綱になる。
することがある間は、それに集中して余計なことを考えずに済み、作業をする人の顔は、心なしか明るくなった気がした。
中学生たちは、相変わらず何もせず、一塊になって蹲る。
少女たちが、意識のない仲間を囲んで心配そうに見守る。だが、こんな重傷者に子供ができることは何もない。
少年たちは、膝を抱えて蹲る者、自分の荷物を点検する者、周囲の様子を窺う者、少女と一緒に負傷者をただ見守る者……と行動がバラバラだ。
綱が完成すると、ロークはすることがなくなってしまった。
工員が、妹を起こさないよう、そっと地面に横たえる。妹の鞄から、ペンケースとノートを取り出して何か書き始めた。
警官たちが、新聞の綱をどう敷くか相談する。
……暗い?
炎で三方から照らされるのに、視界がやけに暗い。
ロークは目をこすって、改めて見回した。
炎で目が眩んだのかと思ったが、違う。
運河の方は明るい。炎に囲まれたこの空間だけが、暗い。
風が凪ぎ、煙は真っ直ぐ天へ昇る。
何となくイヤな気配を感じるが、何がそう思わせるのかまでは、わからない。胸の奥に焦りにも似た感覚が湧き上がった。
警官の相談がまとまった。
パン屋の一家が北端になるよう新聞紙の円を作る。
濡れた紙が千切れないよう、住人らが手分けして敷いた。位置が決まると、魔法使いの警官が術で水を掛け、別の警官が靴で踏んでアスファルトに密着させる。
中学生たちは、とうとう何も手伝わなかった。
工員が、書き上がったページを破り取って立ち上がる。
「この中に、魔力はないけど、力ある言葉が少しでも分かる方、いらっしゃいますか?」
質問の意図がわからず、誰もが首を傾げる。
「えっと、【簡易結界】の呪文、唱えるの手伝って欲しいんです。カンペと【魔力の水晶】は用意できました」
「あぁ、そう言うことか。ならば、私がしよう。【簡易結界】なら、呪符で何度か使ったことがある」
年配の警官が、ノートの切れ端と【水晶】を受け取る。
工員は安堵の息を漏らしたが、即席の魔法使いを含め、術者は四人しか居ない。ここにいる三十数名の命を一晩守るには、心許なかった。
だからと言って、ロークにできることは何もない。
友達のヴィユノークが【魔除け】の護符をくれた時、【魔力の水晶】と一緒に持たなければ発動しない、と言った。
ロークは、三人の誰か、【簡易結界】発動後も余力のありそうな人に、魔力の充填を頼もうと心に決めた。
遠慮している場合ではない。
見たところ、諦めた者は一人も居ないようだ。
少しでも生存率を上げる為、打てる手は全て打たなければならなかった。
住人の男性が、中学生に声を掛けた。
「君たちも早くこっちへ。その子は……四人で、毛布を担架みたいに持って運んであげるんだ」
中学生は、戸惑うだけで動かなかった。
仲間内で顔を見合わせ、彼に従うかどうか、小声で相談し始める。
警官が同じ指示を出すと、やっと重い腰を上げた。
警官二人と男子中学生二人で、重傷の少女を運ぶ。
中学生も新聞紙の輪の内へ入り、三十数名が座って身を寄せ合った。意識のない者も、他の誰かが抱えて座らせる。
輪をあまり大きくし過ぎると、魔力不足で【簡易結界】を維持できない。窮屈だが、仕方がなかった。
夕刻まで、まだ少し時間がある。
魔法使い三人は休息を取り、年配の警官は紙片を手に呪文の練習をする。
ロークは荷物を持ち、運河に近い方へ移動した。
みんな、少しでも安全そうな場所に身を置きたいのか、北側にはやや隙間がある。元々居たパン屋一家と工員兄妹、湖の民の薬師が座るだけだ。
ロークは荷物から堅パンを取り出し、工員と薬師に一パックずつ手渡した。
「これ、食べて下さい」
「えっ? いいのか?」
工員の声で視線が集まった。薬師は声もなく、驚いた目でロークを見る。
ロークは他の者にも聞こえるよう、殊更に大きな声で言った。
「はい。食べて下さい。お願いします。魔法使いの皆さんに、俺たち全員の命が掛かってるんです。食べて、ちょっとでも元気出して、結界、頑張って下さい」
中学生の傍に座った警官にも手渡す。
避難民の中年女性が、立ち上がった。
「子供らには、飴ちゃんあげよう」
そう言って、ショルダーバッグから飴の包みを取り出し、配り歩く。
ロークは、そのおばさんに会釈し、パン屋一家の傍へ腰を降ろした。
おばさんの陽気な声とはからいで、場の空気が和んだ。
堅パンを受け取った魔法使いたちは、気兼ねがなくなったようで、保存食を口へ運び始めた。
ロークは対岸に視線を向けた。
セリェブロー区の消防団が運河の水を起ち上げ、それを盾に行く手の火を消しながら、生存者をどこかへ連れて行く。
ロークたちは、ジェリェーゾ区に取り残されてしまった。
どこが安全なのかわからない以上、ここに居るしかない。
火はまだ消えず、どこにも行き場がなかった。
☆新聞紙を繋げた綱……「0066.内と外の境界」参照




