659.広場での昼食
「坊主、さっきのハナシ、ちゃんと聞いてたか?」
メドヴェージに聞かれるまでもなく、少年兵モーフは全身を耳にする勢いで聞いていた。
広場に戻ったソルニャーク隊長の前に飛び出す。
「隊長! 今からピナたちを助けに行くんスね?」
「いや。ローク君の様子がおかしかっただろう。あの男性……恐らくローク君の父親の前では、言えないことがあったに違いない」
ソルニャーク隊長は手振りでモーフを座らせ、自分も焚火の傍に腰を下ろす。出来たてのスープは少し冷めていた。アゴーニが温め直そうとするのを断り、昼食を再開する。
広場は正方形で、四隅に人の背丈程の石柱が建っていた。護りの呪文が刻まれた石柱を繋ぐ格好で、同じく呪文を刻んだ石材が敷かれ、広場を守っている。大昔は馬車を休めていた、と葬儀屋アゴーニが言っていた。
「坊主、まぁ落ち着いて聞けよ」
運転手のメドヴェージがスープを食べながら勿体ぶって言う。
「後で地図を見せてやるが、さっき聞いたルートは、朝の停戦時間に首都から出る方向のこった。中に入るにゃ、門がボトルネックになって、まず無理だな」
「ここまで来といて、ピナたちを助けに行かねぇのかよ!」
「おぉっと、こぼれるぞ」
アゴーニの声で、慌ててマグカップを立て直す。
ソルニャーク隊長がスープの具を飲み下して言った。
「先程の遣り取りは、ローク君が情報を出しやすいようにしたもので、実際にウーガリ古道を抜けて農村で野菜の買い付けなどはせん」
「そんな……! ローク兄ちゃんは、ピナたちを助けて欲しくて言ったんじゃないんスかッ?」
「家族と一緒に西門の近くの安全な区域に移るっつってたろ。アマナちゃんとパン屋の姉妹は先にそっち行ったって」
「どういうコトか、ホントにわかんねぇのか?」
メドヴェージと葬儀屋アゴーニに呆れた顔で言われ、少年兵モーフはスープを一気にカっ込んだ。口いっぱいに頬張って、激しく咀嚼する。
ソルニャーク隊長はスープを啜り、モーフが具を飲み込むのを待って説明した。
「現在は家族がバラバラになっている。今日か明日には安全な場所で合流する。万が一、戦闘が激化すれば、西門へ迎えに行けと言うことだろう」
「今から助けに行っちゃダメなんスかッ!」
葬儀屋アゴーニが溜め息を吐いて、まぁ落ち着け、とスプーンを持った手を振る。
「今、行ったってトラックで首都に入れる道は全部塞がってるし、会社の名前もわかんねぇのに、どうやって探す気だ?」
「それは……」
俯くモーフにアゴーニが追い打ちを掛ける。
「首都にゃ百万から人が住んでんだ。他所から避難してきた奴も居て、今はもっと居るだろうな」
「ひゃ……」
少年兵モーフには、一の後ろにゼロが何個つくのかもわからないが、とにかく途方もない人数だ。
……ハナシ盛ってんじゃねぇだろうな?
湖の民の葬儀屋に疑いの眼差しを向けるが、ソルニャーク隊長とメドヴェージは揃って頷いた。モーフの手から空のマグカップが落ち、頭を抱える。
「さっきローク君は、アウェッラーナさんはレーチカに行くと言っていた。彼女なら、もっと詳しい状況を知っているだろう。闇雲に動くのは危険だ」
穏やかに諭すソルニャーク隊長の声が右から左へ抜ける。
葬儀屋アゴーニもやさしい声で言った。
「薬師の姐ちゃんは【跳躍】で移動するだろうからな。いざとなりゃ……あぁ、いや、何事もなきゃ、安全な場所を動かねぇ方がいいんだ。……そうだ、絵本読んでやろう。貸してみ?」
……ガキじゃあんめぇし、そんなモンで誤魔化されるかよ。
「そう言えば、巻末の歌を確認していなかったな。……モーフ、貸してくれないか?」
ソルニャーク隊長の頼みでは仕方がない。
少年兵モーフはのろのろ立ち上がり、荷台に這い上がった。本屋での会話を思い出し、レコードも持って降りる。
葬儀屋アゴーニは、空の食器を回収して【操水】で洗っている。
取敢えず、隊長に絵本とレコードを渡し、モーフとメドヴェージが隊長の左右に座った。
ソルニャーク隊長が絵本を後ろのページからめくり、例のページを開く。
拍子抜けした。
絵のない見開きの右側には、モーフたちがずっと歌い、見て、考えて、すっかり覚えた歌詞が書いてある。
……なんだ。俺らが知ってるトコまでなんだな。
歌詞の下には、少し小さい字で何か書いてあるが、少年兵モーフには読めない。
食器を片付けたアゴーニが来て、メドヴェージの隣に立った。隊長がレコードを渡し、開いた絵本を向ける。
「そのレコードの『すべて ひとしい ひとつの花』の歌詞の一部だ」
「へぇー。レコードまであんのかい。ちょいと聴かせてもらえねぇか」
「そのレコードにこの歌の歌唱はない」
「なんだ」
アゴーニが鼻を鳴らすと、メドヴェージが笑った。
「そう言や、あの兄ちゃんに発電機の使い方、教わんの忘れてたな」
「発電機まで持ってたのか。……いや、そんなモンだけあったって……」
「レコードの再生機もあるが、そちらも使い方を聞いていない」
ソルニャーク隊長も苦笑する。
少年兵モーフは、どうしてクルィーロに聞いておかなかったのか、と自分を殴りたいような情けない気持ちになった。
「再生機だけなら、使えるんだがなぁ。発電機は燃料使うし、素人が使うのは危ねぇかもな」
アゴーニがレコードを返しながらぼやく。
「ホントか? 発電機がいけたら、レコード聴けんのか?」
「坊主、落ち着けよ。工員の兄ちゃんは俺らに発電機を触らせなかったろ。ひょっとしたら、免許や何かが要るくらい難しいモンなのかもよ?」
色めき立つモーフにメドヴェージが手を振って苦笑した。
恥ずかしくなって、浮かせた腰を草地に落ち着ける。改めて見ると、ここにも香草になる草が生えていた。
ソルニャーク隊長がレコードをモーフに渡し、絵本を開き直す。
「歌詞の下は、ネモラリス建設業協会の連絡先。ここに歌詞の案を送って欲しい、とある。左のページはこの歌の説明だ。我々が既に知っていることばかりだが、読んで欲しいか?」
「知ってるコトなら大丈夫っス」
少年兵モーフは遠慮した。
それよりも、絵のあるページに何が書いてあるか気になるが、隊長にフラクシヌス教の神話の本を読んで欲しいなどとは、口が裂けても言えない。
「へぇー……ネモラリスとラクリマリスじゃ、慈善コンサート。他はインターネットで広めて、歌詞を募集してんのか。まぁ、こんな歌ひとつで平和んなるとは思えんが、考えるきっかけくらいにゃなるだろうな」
葬儀屋アゴーニが左のページを黙読して、しきりに感心する。
……この歌で平和んなるなら、血ィ吐いてでも歌い続けてやるんだけどな。
「レコードはムリでも、歌なら歌えるぞ」
「ホントか? いっちょ聴かせてくんねぇか」
「じゃあ、歌うぞ……」
メドヴェージが焚火の向こうへ歩いて行って向き直ると、ソルニャーク隊長はアゴーニに絵本を渡した。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる
おっさんは、途中までしかない歌を迷いなく歌った。
野太い声が広場から響き渡り、周囲の森に吸い込まれる。今立つ大地のように揺るぎない歌声は、少年兵モーフの気持ちを落ち着かせてくれた。
☆本屋での会話……「647.初めての本屋」参照
☆レコード……「114.ビルの探索へ」「115.昔の音の部屋」「169.得られる知識」「177.レコード試聴」「178.やさしき降雨」参照




