658.情報を交わす
父は広場の十メートルばかり手前で車を停めた。
エンジンを掛けたまま、ロークの肩越しに言う。
「それは大変ですね」
「まぁな。トポリに居た時だったから助かったけどよ。散々だ」
「これからどちらへ?」
「クレーヴェルだ。小麦粉と堅パンを届けに行くとこなんだ」
「途中の村で野菜を仕入れて、夕方の停戦時間に門を通る予定です」
もう一人の陸の民の男性が、立ち上がってこちらへ来た。運転手より少し年嵩で、落ち着いた雰囲気の人物だ。
年配の湖の民は、少年の肩に置いた手を離さず、広場からロークに複雑な顔を向ける。
「あなた方は……?」
「レーチカに避難する途中なんですよ」
父がロークの肩を掴んで車内に引き入れながら答えた。
男性は、湖水の色をした瞳で二人の顔を見比べて小さく頷き、同情を含んだ声で呟く。
「大変ですね」
「ウチは、生き別れになっていた息子がみつかって、家族全員、無事に揃いましたから……」
「住むとこもあるから大丈夫ですよ。おじさんたちは今夜、クレーヴェルに泊まるんですか?」
「えぇ。明日の朝、停戦時間に出発です」
「坊主、無事に門を抜けられてよかったな。……北門は、派手にドンパチやって、とうとう市民に死傷者が出たってハナシだ」
運転手もやってきて、嬉しさを堪え切れない顔で言い、表情を改めて戦況を語った。
「俺たちは帰還難民センターを出て、柊通りを通って、オフィス街の方へ進んで、北西の門から出たんです。そのままちょっと北東へ回って、首都の真北の道から村と畑の間の道を通ってきました。オフィス街は、銃を持った政府軍の兵隊さんが守ってくれてたから、お店も少し開いてたし、会社に行く人や買物に行く人が大勢、歩いてましたよ」
車外の二人は、ロークが一気に捲し立てるのを何度も頷きながら聞いた。
アイドリングストップ機構が働き、エンジンが停止する。
「坊主、ありがとよ。そのルートは今日も無事なんだな。ラジオは情報が遅くてしょうがねぇや」
「そうですよね。FMクレーヴェルだけ政府軍が守ったけど、ニュースの時間以外はずっと同じレコード流してるだけだし……」
ロークは目だけを素早く巡らせ、二人に合図した。
運転手が大袈裟に驚いてみせる。
「えぇッ? 放送局はみんなネミュス解放軍に乗っ取られたんじゃなかったのか?」
「一局だけ無事です。門は三カ所だけ、北西と真西と真南が無事だけど、渋滞しててなかなか……実際、今朝八時前にセンターを出て、北西の門を出るのに二時間以上掛かりました」
「そうかい。一昨日より悪化してんだなぁ」
運転手の相槌に頷いてみせ、ロークは父に喋らせまいと早口に言う。
「友達が役所の人に聞いた話だと、一部の漁師さんがネーニア島とネモラリス島を行き来して、人を運んでくれるそうなんですけど、すっごい料金ぼったくられるそうなんで……」
「へぇー……そいつぁ知らなかった。お友達はもう船で首都を出たのかい?」
運転手がやさしい声で聞く。
父の指が苛立たしげにハンドルをコツコツ叩くが、ロークは再び窓枠に手を置いて捲し立てた。
「いえ、まだ帰還難民センターに居るんです。今日か明日か……通帳と身分証の再発行が終わったら、西門の近くにあるお父さんの会社の社宅に移るそうなんですけど……」
「再発行は、そんなに時間が掛かるのですか」
もう一人の男性が気の毒がる。
「市民証とかは割とすぐできたんですけど、技術者の証明書が時間掛かるみたいなんです。それで、妹さんたち三人は昨日、お父さんが車で迎えに来て社宅へ行きましたよ」
「家族離れ離れってなぁ辛ぇもんだなぁ」
運転手が涙ぐみ、鼻を啜り上げる。
ロークは、運転手より少し年嵩の男性に水を向けた。
「もう一人、湖の民の友達が居て、そのコは身分証が手に入ったら、レーチカに行くって言ってたんですけど……」
「レーチカ市内では、避難民の流入と道路状況の悪化で、生野菜などの入荷は滞りがちですが、今のところ目立った混乱はありません」
父は知っている筈だが、指でハンドルを叩くのをやめ、わざとらしくならない程度に相槌を打った。
「そうなんですか。レーチカは平和なんですね」
「えぇ。少し値上がりしていますが、店はほぼ通常通り営業していますよ」
男性は湖水の色の目を運転席に向けて頷いた。
トラックの運転手が右手を出し、ロークはその手をしっかり握る。
「それじゃ、達者でな」
運転手はロークの手を固く握り直し、肩を叩いて励ましてくれた。
ロークは、そのぬくもりと力強さをしっかり心に焼き付け、零れそうな涙を堪えて頷く。
父がエンジンを掛け直すと、二人は道の端に寄った。
「レーチカの様子を教えて下さってありがとうございます。安心して行けます」
「こっちこそ、首都のコト教えてくれてありがとよ」
父が運転手と礼を言いあい、アクセルを踏む。
ロークは何も言えず、窓から身を乗り出して、彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
……隊長さん、メドヴェージさん、モーフ君、アゴーニさん……さようなら。
どこでどうやって再会できたのか想像もつかないが、湖の民の葬儀屋アゴーニが一緒なら、星の道義勇軍の三人は、まず大丈夫だ。
とにかく、彼らに安全なルートと、移動販売店のみんなの消息を伝えられただけでもよかった。




