657.ウーガリ古道
防壁の外へ出た途端、上下四車線の道路は下りの車列で埋まった。
……アウェッラーナさんの言った通りだ。
湖の民の薬師は、南の丘陵地帯に出てからレーチカ市に【跳躍】したと言っていた。北西のここはなだらかな平野が広がり、見通しがいい。
西の街へ向かう道と、南の漁村などへの道は混んでいるが、北方向はガラガラだ。命懸けで門を突破してきた車がほんの数台、西へ向かい、逆方向に行くロークたちの車に奇異なものを見る目を向けてすれ違う。
東端のリャビーナ市へ向かう道に合流すると、東進する車がポツポツ見えた。
「完全に封鎖されてるワケじゃないんだな」
「少なくとも、政府軍は封鎖していない」
「えっ?」
父はウーガリ山脈に続く二車線道路に入り、アクセルを踏み込んでロークをちらりと見た。
「そんなに意外か?」
「えっ……だって……」
「ネミュス解放軍は、大分部が元軍人や現役の兵らしい。半数以上が湖の民だそうだ。門を封鎖して住民の脱出を阻んでも、犠牲者が増えるだけだ」
「それで何で……」
「港は封鎖できん。どちらの陣営も、まだ、人間の盾を使う程には追い詰められていないからだろう」
淡々とした父の声が恐ろしく聞こえた。
これが父の個人的な分析によるものなのか、パドスニェージニク議員経由で耳にした臨時政府の見解なのか。確かめたいが、声が出なかった。
「ネミュス解放軍の正確な規模はまだ把握できていないが、今のところ、クレーヴェル以外の場所では確認されていない。戦場は首都だけだ」
「えっ? じゃあ、店長さんたち……」
ロークは思わず振り向いたが、首都クレーヴェルはもう見えなくなっていた。
「落ち着きなさい。彼らはフラクシヌス教徒だし、湖の民も居ただろう。悪いようにはされないさ」
父の物言いは完全に他人事だ。
ロークは奥歯を噛みしめ、助手席の窓を流れる畑を見詰めた。
牧場では羊がのんびり草を食み、その向こうには野菜が植わった畑が見渡す限り続く。小さな家を寄せ集めた村が、あちらにぽつり、こちらにぽつんと散らばっていた。すぐ傍の首都が戦場になっているとは思えないくらい牧歌的な風景だ。
……コイツに言っても仕方ないんだよな。
薬師アウェッラーナは、充分な力を持った魔法使いだ。
クルィーロも、ゼルノー市の廃墟に居た頃よりずっと魔法が巧くなている。彼の父は空襲前から半年以上、仕事で首都クレーベルに滞在して土地勘がある。
レノ店長たちは、クルィーロたちと一緒に居ると言っていた。
……大丈夫、だよな?
何とか心を落ち着かせて前を向く。
薄く広がる灰色の雲の下、幾つもの農村をかなりの速度で素通りし、昼前には森を東西に走るウーガリ古道に入った。
ネーニア島のレサルーブ古道と同じで、呪文を刻んだ石碑が何基も建っているようだが、飛ぶように通り過ぎて行く。
時折、平野側にちょっとした広場のような木立の切れ間が現れる。もしかすると、昔は猟師小屋か何かがあったのかもしれないが、今は雑草が生い茂っていた。
「おなかすいたろ? 野菜ジュースだけでも飲んでおきなさい」
「……トイレ行きたい」
「何ッ? 我慢できないのか? トイレットペーパーは……」
「大丈夫。すぐ済むから」
父は渋々速度を落として端に寄せた。
ロークは停車してすぐ、石碑に駆け寄った。呪符を使う為に何度も練習した【魔除け】の呪文が刻まれている。
古道は森を西へ向かって、灰色の雲と青空が細く続いていた。道の上に懸かる枝はなく、雲の切れ間から昼の光が降り注ぐ。
濃い緑の匂いに包まれた道には、勿論、雑妖の姿はない。
石碑に掛からないようにもう少し先へ進んで用を足した。
父は車から降りずに待っている。
戻りかけたロークの耳に人の声が届いた。振り向いて耳を澄ます。風に乗って、数人の話し声と美味そうな匂いが漂ってきた。盛大に腹が鳴り、ふらふらと足が進む。
「ローク! どこへ行くんだ! さっさと戻りなさい」
「誰か居るみたいなんだ」
「強盗だったらどうするんだ! 早く乗りなさい」
父が顔を引っ込めて車を寄せ、ロークは仕方なく助手席に戻る。
速度が上がりきらない内に、見覚えのあるトラックが視界に飛び込んできた。
……なんで、こんなとこに?
「止まって! あの人たちに話聞こう!」
「何を聞くんだ? 急いでるのに……」
言い合う内に通り過ぎる。
「ほら、どう見ても地元の業者さんだよ。運送屋さんたちは、議員の先生たちが知らない情報持ってるかも……」
その言葉で父は速度を落とし、慎重にバックし始める。
ロークは助手席の窓を開け、父の死角になるように身を乗り出した。全力疾走並に動悸が激しくなる。
右の手刀で口許を隠し、唇に左の人差し指を当てて声を掛けた。
「こんにちはー。どこの運送屋さんですかー?」
道路脇の草地は正方形で、四隅に人の背丈程の石柱が建っていた。
ウーガリ古道に向けてトラックを停め、四人の男性が焚火を囲む。三人が陸の民で、一人はまだ少年だ。
陸の民の運転手がロークの「黙れ」の合図に頷き、大声で挨拶を返す。
「こんにちはー! 北ザカートのモンだが、会社が焼けちまってなぁ。今、レーチカで商売させてもらってんだ」
少年が何か言いたそうに腰を浮かせたが、年配の湖の民が肩を押さえて座らせた。




