655.仲間との別れ
「お前がそんな勉強熱心だったとはな」
苦笑する父に拗ねてみせる。
「家に居た頃も、別の高校だったじゃないか」
「……わかった。相談してみよう」
……これ以上、ここで聞きだすのは無理だな。
ロークは父に従って席を立った。レーチカ市の広場で後日、薬師アウェッラーナに手紙を渡せることに望みを託す。
クルィーロが、食器を引っ掛けないように荷物を抱えて来た。
「お待たせー」
「ありがとうございます」
クルィーロに頷いてみせ、荷物を受け取る。家から持ち出したリュックサックは、あの日よりずっと重くなっていた。
アウェッラーナが立ち上がって厨房へ向かう。
「店長さん、呼んできます」
湖の民の少女を見送って、父が聞く。
「店長?」
「パン屋さん。ゼルノー市からずっと一緒で、色々助けてもらったんだ」
「そうか。お別れの前にしっかりお礼を言いなさい」
父は振り向きもせず、食堂の出口へ向かう。
薬師アウェッラーナがカウンター越しに声を掛け、朝食を受け取る行列を避けてロークたちに合流した。父の後ろについて歩きながら手帳を開いてみせる。
パドスニェージニク議員。
秦皮の枝党。男性。ベテラン議員。
レーチカ市に物件所有。広い屋敷。部屋数が多い。
開戦前から隠れキルクルス教徒と付き合いあり。
開戦後、隠れキルクルス教徒を家族単位で複数保護。
屋敷に多数の議員が出入り。
人脈が広い。高校に顔が利く。
……こんなに書き取ってくれたのか。
党名と本人の呼称だけだと思っていたロークは、驚いてアウェッラーナを見た。湖の民の薬師が頷いて手帳を仕舞う。
たったあれだけの会話から、使えそうな情報を書き留めていた。外見こそ中学生くらいの少女だが、アウェッラーナはやはり、父より年上で、半世紀の内乱を生き抜いた大人だった。
廊下でレノ店長も加わって名残を惜しむ。
父は四人の遣り取りに口を挟まず、足早に先へ進む。
「そう言えば、首都から出る道は全部混んでるって聞いたけど……」
「大丈夫だ」
父はロークの質問を封じるように言った。
……レーチカ市への裏道があるんなら、クルィーロさんたちにも知らせたいんだけどなぁ。
頭をフル回転させて質問を捻り出す。
「空いてる道ってあるの?」
「大丈夫だ」
「今、首都の門は三つしか使えないって、役所の人から聞いたんだけど?」
「大丈夫だ」
「大丈夫、大丈夫って、何がどう大丈夫なんだよッ?」
肩越しに振り向いた父の顔は険しかった。すぐ表情を緩めて前を向く。
「……大丈夫だ。行けばわかる」
声音は穏やかだが、取りつく島もない。
ロークが食い下がろうとするのをクルィーロが片手を振って止めた。
「おじさんが大丈夫って言ってるんだし、きっと大丈夫だよ。俺たちのことは心配いらない。元気でな」
玄関を出て朝の空気に触れる。
車の流れの向こうに、小走りでどこかへ行く人の姿が見えた。大人ばかりで、学生の姿はない。通勤らしき服装の人も居るが、ヘルメットを被り、リュックを背負った人も居た。
……そうだよな。役所、銀行、調理師さん、配送業者の人、倉庫から出庫する人、それを決めた人……仕事してくれる人が居るから、ここの生活が成り立ってんだもんな。
他の土地を知らず、何らかの事情で避難できない人々も、全くの無力ではない。少なくとも今は、ネミュス解放軍に逆らわなければ、命までは取られないのだ。戦闘の巻き添えになる地域でないなら、人々は可能な限り暮らしを回さなければならなかった。
腕時計に目を遣ると、八時前だった。
戦闘に巻き込まれずに移動できるのは、残り一時間ちょっとだ。
……政府軍が手出ししなければってのがホントだったらのハナシだけど。
昨日とは別の車だ。父一人で来たらしい。
後部座席に荷物を置き、ロークを助手席に座らせる。ロークは大人しく従い、残る仲間三人に別れを告げた。
「今までいっぱい助けてくれて、ありがとうございました」
ロークがドアを半開きにして手を差し出す。レノ店長がしっかり握り、工員クルィーロと薬師アウェッラーナはその上に掌を重ねた。
「俺たちの方こそ、ローク君のお陰で色々助かったよ。ありがとう」
「そうそう。ラジオとセリェブロー区の道案内がなかったら、俺たち、今頃ここにいなかったもんな」
「手伝ってくれてありがとうございます。地虫の処理、とっても助かりました」
その手のあたたかさに零れそうな涙を堪えて、何とか情報を引き出そうと試みる。
「もし、レーチカに来ることがあったら……えーっと、父さん、電話番号とかは……」
「他所様の電話を勝手に借りようとするんじゃない」
父が助手席のドアに手を掛けた。
パドスニェージニク議員の住所を聞き出したいが、どう考えても、質問が不自然になる上に、同様の理由で教えてもらえないのが目に見えている。ロークは三人の手をそっと離した。
……やっぱ、ベンチ裏か。
レノ店長たちが泣きそうな顔で小さく手を振る。
父は、力いっぱいドアを閉め、運転席に回った。
「息子を助けて下さってありがとうございました。こんな状況でなければお礼をできるのですが、申し訳ございません」
「いえ、お互い様ですから」
父が、挨拶もそこそこにエンジンを始動させる。
ロークは窓を開けて手を振り返した。
「ありがとうございました! 他のみんなにもよろしく!」
「ローク君も元気でなー!」
三人は門の外へ駆け出して手を振る。ロークもみんなが見えなくなるまで手を振り続けた。
☆家から持ち出したリュックサック……「048.決意と実行と」参照
☆ラジオとセリェブロー区の道案内……「103.連合軍の侵略」、「095.仮橋をかける」「096.実家の地下室」「145.官庁街の道路」参照
☆地虫の処理……「250.薬を作る人」参照




