654.父からの情報
「アウェッラーナさん、ちょっといいですか?」
四人だけになった部屋で、ロークは薬師アウェッラーナにペンと手帳を差し出した。部屋を出ようとしていたレノ店長と工員クルィーロも、足を止めて怪訝な顔をする。
「父が迎えに来たら、食堂で応対します」
「えっ?」
「家族が世話になってる国会議員は十中八九、隠れキルクルス教徒です。できるだけ情報を引き出すんで、王都へ【跳躍】した時に、カリンドゥラさんかフィアールカさんに伝えて下さい。お願いします」
「ローク君、もしかして、その為に家族のとこへ行くって言ったのか?」
クルィーロが身体ごと向き直る。
ロークは首を振った。
「いえ、昨日言ったコトはホントですよ。俺、力なき民だし」
薬師アウェッラーナは、ぎゅっと瞼を閉じて聞いていたが、緑の目をロークに向けて手帳を受け取った。
「わかりました。上手く伝えられたら、レーチカ市の……東門の近くに二十日大根の彫刻がある広場があるんですけど、門に一番近いベンチの裏に手紙を貼り付けますね」
「ありがとうございます。アウェッラーナさんも、無理しないで下さい」
ロークはラジオ、アウェッラーナは手帳をポケットに入れて香草の束を持ち、四人で連れ立って帰還難民センターの食堂へ向かった。
まだ朝の六時で、厨房では調理師と手伝いの帰還難民が忙しく働いている。レノ店長は、パンの仕込みを手伝いに行った。
三人がいつもの席に座ってラジオを点けると、録音らしき女性の声が、何度も同じ話を繰り返す。
「こちらは、ネミュス解放軍です。ウヌク・エルハイア将軍の指示により、日の出から午前九時までは、市民のみなさんの生活に配慮し、政府軍の攻撃を受けない限り、我々から攻撃を仕掛けることは致しません。繰り返します――」
夕方に流れたのと同じで、時間帯だけが違う。一方的な休戦情報は、薬師アウェッラーナが調理師のおばさんから聞いた通りだ。
同じ話を三度聞いて、ロークはラジオの音量を下げた。
他に誰も居ないが、薄暗い食堂は意外と声が響く。
薬師アウェッラーナが手招きして囁いた。
「ロークさんが今、ご存知のこと、聞かせてもらえますか?」
ロークは、他の帰還難民が入って来るまで、隠れキルクルス教徒の情報を知っている限り伝えた。ファーキルにも同じことを伝えたから、ここまではきっと、フィアールカたちにも伝わっているだろう。
祖父と両親、ベリョーザ一家が空襲を免れ、レーチカ市で存命であることを付け足しただけだ。
「今日、父から聞き出すのは国会議員のことです。今は、レーチカ市に家を持ってることしかわかりません」
「そうなんですね」
「あ、そうだ。追加の情報が入ったら、俺もそのベンチに手紙を貼りに行きます」
「ありがとうございます。でも、無理はしないで下さいね」
それに頷いてみせ、ロークはクルィーロが淹れてくれた香草茶を一口啜った。
スープの匂いが濃くなるにつれて食堂の席が埋まってゆく。
ロークの父は、配膳が始まる直前にやって来た。
「みなさん、おはようございます。さ、ローク、行くぞ」
「朝メシ、今からなんだけど?」
「サンドイッチを持って来た。車の中で食べなさい」
父の用意の良さに抵抗する。
「道はどこも混んでるって聞いたから、もっと遅いと思ってたんだ。荷物、部屋に置いたままだよ」
「荷造りを済ませておきなさいと言っただろう」
「終わってるよ。小学生じゃあるまいし……」
「まぁまぁ、おじさん。お茶でも飲んで落ち着いて、俺、取って来ますから」
クルィーロが、プラスチックのカップを手に薬罐から香草茶を注ぎ、立ったままの父に差し出した。
ロークの父は安物のティーカップを受け取ったが、座らずに命じる。
「ローク、自分の荷物くらい、自分で取りに行きなさい」
「あぁ、違うんです。魔法で【鍵】掛けたから、俺じゃないと開けらんないんですよ」
「どうぞ、お掛けになって下さい」
薬師アウェッラーナに促され、父は渋々長椅子に腰を下ろした。
「では、息子がお手数をお掛けして申し訳ありませんが、お願いします」
「お安いご用ですよ」
クルィーロが魔法のマントを翻して立ち去る。
「私はニュースをメモしてますから、お構いなく」
薬師アウェッラーナはラジオを手前に寄せ、手許を父の目から隠す。FMクレーヴェルに替え、ネモラリス政府の公式発表をメモするフリでロークの質問を待った。
「議員さんの家ってそんな大きいのか? それとも、仮設とかの斡旋?」
「先生のお宅だ。とても広いお屋敷で、客間が多いんだ。先生は、気兼ねしなくていい、とおっしゃって下さったが、あんまり羽目を外すんじゃないぞ」
「ふーん。そんな大金持ちなんだ? その先生って、父さんが前に言ってた秦皮の枝党の人?」
ロークは曖昧な記憶を引っ張り出してカマを掛けた。
父が頷いて、朝食の喧騒に紛れるように囁く。
「そうだ。パドスニェージニク先生だ。長い呼称だが、これからお世話になるんだ。失礼のないようにしっかり覚えておきなさい」
「えぇっ? 『議員の先生』じゃダメなの?」
「お屋敷には、他の議員の先生方もしょっちゅういらっしゃるんだ。誰のことだかわからんだろう」
「そうなんだ……えーっと、パド……?」
忘れたフリで聞き直す。
ラジオからは、昨日と変わり映えのしないニュースが流れていた。検閲に時間が掛かるせいかもしれない。
「パドスニェージニク先生だ」
「パドスニェージニク先生、パドスニェージニク先生」
呼称で男性とわかった。
父の囁きをやや大きな声で繰り返し、アウェッラーナに伝える。
「ベテランの先生で顔が広いからな。レーチカの高校への編入もお願いしてある」
「えっ? それって、商業高校?」
本気で驚いて声が裏返る。
ロークは高校に通い直すなどと、全く考えていなかった。
父が歳甲斐もなくはにかむ。
「いや。ベリョーザちゃんと一緒がよかろうと思ってな……」
「何でそんな勝手なコトすんだよ。今からなんとかなんないの?」
ロークの不機嫌な声で、周囲の人々が何事かとスープ皿から顔を上げる。父は申し訳なさそうな顔で周囲に頭を下げ、ロークに向き直った。




