0067.事故か報復か
「それを見せてくれませんか?」
四十代くらいのテロリストが、蒼白な顔で住人の手元を見詰める。視線に気付いた中年男性は、首を僅かに傾けて号外を振った。
「これのことかい?」
「そうです」
テロリストの声が、心なしか震えて聞こえる。
男性の手には、一枚の号外があった。
夜を焦がす火災の写真が、ページの三分の一を占め、その上に大きなフォントで見出しが躍る。
男子中学生が同じ号外を広げ、勝ち誇ったように笑った。
「あのさぁ、あれだけのコトしといて、魔法使いの人たちが黙ってると思う方がおかしいだろ」
少年たちが同意を示し、同じ表情でテロリストを見る。
アウェッラーナに【魔力の水晶】を貸してくれた少年が、弾かれたように顔を上げ、首を小さく横に振った。この少年は、アウェッラーナと同じ思いらしい。
こんな復讐は、新たな憎悪を生むだけだ。だが、一方で、アウェッラーナには、復讐心に駆り立てられる人の気持ちも痛い程よくわかる。
「隊長、それ、なんて書いてあるんスか? どこが……」
少年兵が、号外を手にしたテロリストに問う。
隊長と呼ばれたテロリストは、ひとつ深呼吸すると、号外を読み上げた。
「リストヴァー自治区炎上、未明の大火……」
ラジオのアナウンサーのように明瞭な発音で、静かな声だ。
号外が読み進められるに従い、テロリストたちの顔が苦悩と驚愕に歪む。
それでも彼らは、隊長が朗読を終えるまで、一言も発さなかった。いや、何も言えなくなってしまったのかもしれない。
「なっ。わかったろ? お前らにゃ、もう帰るトコなんかねぇんだよ」
男子中学生が、手にした号外をヒラヒラ振って嘲った。
年配の警官が、眉間に皺を刻んでそれを窘める。
「よさないか」
「……君は何か勘違いしているようだが、我々星の道義勇軍は、魔法使いの報復に驚いたのではない」
中学生が口を開くより先に、隊長は静かに息を吐き出して言った。
「魔法使いが自治区に侵入できたことに、驚いたのだ」
中学生だけでなく、若い警官や住人たちも怪訝な顔でテロリストの隊長を見た。
年配の警官とアウェッラーナだけが小さく頷き、隊長に同意した。
隊長が落ち着いた口調で続きを語る。
「自治区には【跳躍】などの術を防ぐ結界が施されている。外の住人は勿論、自治区でも、バラック街の住人や若者は知らないことだ」
人々の目が見開かれる。
「自治区の外縁部は、結界で隙間なく囲まれている。これは、自治区への配慮だけでなく、戦略上の理由もあってのことだ」
「なんでっスか?」
「何もなしでは、ラクリマリス王国の侵攻を食い止められないからだ」
隊長が、少年兵の問いに答えると、場が静まり返った。
ラクリマリス王国は、ネモラリス共和国以上に魔術を重視し、軍は魔装兵中心の編成だ。
キルクルス教徒の自治区は、魔術的には全くの無防備。そのリストヴァー自治区が、国境と接する。
何故、これまで無事でいられたのか。
平和の理由は、国民の厭戦感や和解条項の遵守だけで成されたのではなかった。
「徒歩での侵入も当然、防ぐ手立てはある。万一、魔法使いの一般市民が、個人的な復讐の為に何らかの手段で自治区内部へ侵入し、火を放ったなら、脱出できずに焼死しただろう」
隊長は驚く程、冷静に事態を分析してみせた。
アウェッラーナは改めて、このテロリストを観察する。
力なき民に長命人種は居ない。外見通り、年齢は四十代半ば頃か。
陸の民らしい大地と同じ色の髪に彫の深い精悍な顔立ち。
空を映す湖のような瞳が、強い意志と知性の光を宿す。
アウェッラーナには、この男がキルクルス教への狂信でテロを起こしたようには見えなかった。
「それだけ、お前らを恨んで、ヤケクソになってたってコトだろ」
左腕の折れた少年が吐き捨てる。
テロリストの隊長は、それを静かに否定した。
「先程も言ったが、ヤケになった程度で侵入できる場所ではない。それに、この三十年、外部から侵入した魔法使いによる犯罪は、耳にしたことがない。この意味がわかるか?」
「知るか! そんなもん!」
隊長は、考えることを放棄した少年に苦笑し、説明を続ける。
「結界によって、自治区内では様々な術が無効化される。魔術を用いた犯罪が不可能だからだ」
大人たちが頷いたのを確認し、隊長は号外に目を落とした。
「……この号外では、住人の証言として、バラック地帯の複数の場所から同時に火の手が上がった、と書いてある。結界の存在を知らぬ筈の一般人が、土地勘のない自治区へ、深夜に侵入し、魔法以外の手段で放火する……可能だと思うか?」
隊長は、一同を睥睨した。
誰も答えない。
【水晶】を貸してくれた少年が、下を向いて吐息を漏らした。
「残念ながら自治区内にも、魔物や雑妖は居る。復讐に燃え、殺気を漲らせた魔法の使えない魔法使いが、無事でいられると思うか?」
住人が数名、半ば首を傾げるように小さく否定の意思表示をした。
「じゃあ、力なき民の誰かが、わざわざ油か何か用意して自治区に乗り込んだって言うんですか?」
パン屋の息子が、自分でも自分の言葉を信じられない口振りで隊長に問う。
力なき民が、夜陰に乗じて放火するのは、魔法使い以上に困難だ。
大人数で侵入しても、その前に魔物が食べ尽くすだろう。
星の道義勇軍を名乗るテロリストの隊長は、否定も肯定もしなかった。
「それは、わからん」
今、ここに居る者たちには、自治区で何が起きたかどころか、自分たちが今夜、生き延びられるかどうかさえ、わからなかった。
☆号外/それ、なんて書いてある……「0055.山積みの号外」参照
☆アウェッラーナには、復讐心に駆り立てられる人の気持ちも痛い程よくわかる……「0012.真名での遺言」「0015.形勢逆転の時」参照




