653.難民から聞く
空いた皿が下げられ、珈琲が置かれる。
いつの間にか、食堂の客は大部分が入れ替わっていた。
「えぇっと、それで、もう少しお話を聞かせてもらっても構いませんか?」
「何を話せばいいの?」
若い母親の細い声が不安に震える。
ファーキルは、なるべく感情を出さないように静かな声で答えた。
「クーデター発生後の首都の様子、みなさんが受けた被害、他の人の被害、これから頼るアテはあるのか、どんな困り事があって、どんな支援が欲しいか、どの時点で帰国する予定か……えーっと、他にもあるかもしれませんけど、そんな感じでお願いしたいんですけど、大丈夫ですか?」
イヤイヤする孫に野菜を食べさせる手を止め、湖の民の老人がファーキルに顔を向けた。
「儂らは、自分が直接見たことくらいしか話せんが、そんなことくらいでいいのかね?」
「はい。なるべく大勢に聞き取ろうと思っているので、もし、首都クレーヴェルからグロム市へ避難した人をご存知でしたら、紹介していただきたいんですけど……」
「すまんのぉ。儂らはウチだけで逃げるのに精いっぱいでな」
「あ、でも、首都を脱出してレーチカに行く車でスゲー渋滞してましたよ」
老人は首を振ったが、若者が横から言い添えた。
「レーチカ……」
「ん? あんた、ラクリマリス人だから、わからんか。首都の西にある大きい港町だ」
「あ、あぁ……あのレーチカですか。みなさんのお店は首都のどの辺なんですか?」
ファーキルは、開戦直後の空襲で港湾施設などが被害を受けた、と言うニュースを思い出した。
……そっちに避難するってコトは、もう復旧したんだな。
「首都の真ん中よりも北門寄りの……土地勘のないあんたに言ってもわからんだろうが、国営放送の本局の近所だ」
ファーキルはテキストエディタを起動して、彼らの話をタブレット端末でメモする。黒っぽい板を指でつつくのを幼子が真似した。
「家はそこより南西の街区だから無事だったけど、北門の近くの街区は随分、酷いことになったって聞いて……」
老婆が若妻と顔を見合わせ、二人揃って眉を曇らせる。
「門が封鎖される前に逃げようって、最低限の荷物をまとめて【跳躍】してきたんです」
「この近くに内乱前から付き合いのある取引先があってな。住む所を紹介してもらえんか、これから頼みに行くところでの」
老人の声に不安が滲む。
湖の民の大人四人は、住居や仕事がみつかるかどうか。ない場合、どこへ行けばいいのか。せめて子供たちの分だけでも食べ物が欲しいが、【魔力の水晶】への充填での支払いを断る店があると知って不安になったことなどを切々と語った。
「これからどうすればいいのか、何もわからなくて……」
遅れて食事を終えた老婆が、コーヒーカップを手に溜め息で湯気を倒す。
「えぇっと、ここだとグロム港の西にある女神様の神殿と、街の中心にあるフラクシヌス様の神殿で難民支援の情報を集約してますよ」
「ホントですか?」
「ありがとうございます」
「ボランティアの人も大勢いるんで、そこに行ってみればいいんじゃないかなって……」
湖の民の一家は、僅かに顔色が良くなった。
支援情報の切れ端に縋るように、西の女神様の神殿、と何度も繰り返す。
「いつ帰国できるかなんて、俺たちの方が教えて欲しいよ」
「これッ!」
息子のぼやきを老母が窘める。
おなかがいっぱいになった子供たちが、母と祖父の腕の中でうとうとし始めた。
「まぁ、戦争とクーデター、両方が終わってくれんことには、恐ろしゅうておちおち戻れんわい」
「あんまり長引いたら、子供たちの学校もどうすればいいのか……」
母親が幼子に視線を落として呟く。
ファーキルにも、一歳か二歳の子供たちが学齢に達するころ、ラキュス湖南地方がどうなっているか想像もつかなかった。
話題を少し変えてみる。
「えぇっと……じゃあ、あの、もし、アミトスチグマの難民キャンプに行けたら、行きたいですか?」
「アミトスチグマにゃ、行ったことがないもんでな」
「湖上封鎖してますけど、難民輸送の船とかは通してもらえてますよ」
「船があっても、船賃がのぉ……」
断り文句なのか、本当にないのか。突っ込んだことを聞くのはやめた。状況が変われば、イヤでも行くことになるかもしれない。
「あ、そうだ。もしかすると、神殿は腥風樹の件で避難したラクリマリス人で、まだいっぱいかもしれません。入りきれなくて、王都の神殿を頼ってきた人も居たんで……」
「そうですか。ありがとうございます。頑張って住むとこ探します」
青年が言い、一家は揃ってファーキルに頭を下げる。
間もなくランチ営業が終わる。
食堂の客はかなり減っていた。
「あの、あんまり長居するとお店にご迷惑になるといけませんから……」
今は大人しく眠っている幼子を抱き直し、母親が恐る恐る切り出す。
「そうですね。ご協力、ありがとうございました。ここはお支払いしますので、お先にどうぞ」
ファーキルが伝票を手に取ると、湖の民の一家は口々に礼を言って立ち上がった。店員にも離乳食の礼を言い、大荷物を抱えて出て行く。
古馴染みの取引先に行って、そこで何とかなればよし。いい話が出なければ、日が暮れる前にパニセア・ユニ・フローラ神殿に入りたいだろう。
ファーキルはテキストを読み返し、二言三言付け足してフィアールカとラゾールニクに送信した。
すっかり冷めた珈琲の残りを飲み干し、返信を待たずに店を出る。
……さて、どうしようかな?
ホテルに戻る道すがら考える。
あんな調子で一家族ずつ聞いていたのでは、日数が幾らあっても足りない。
地図アプリで調べてみたが、グロム市内にはコンビニエンスストアがなかった。コピー機は、一般市民が気軽に使える場所にはないらしい。
……じゃあ、フィアールカさんたちに頼んで、どこか……協力企業に借りてアンケート用紙を作ってもらうしかないのかな?
高級過ぎて落ち着かない部屋に戻ってすぐ、調査項目をテキストで書き出し、運び屋フィアールカと諜報員ラゾールニクに送信した。
返信を待つ間、ニュースをチェックする。
クーデターに関する情報は掴み難いのか、ネモラリス政府の公式発表と、ネミュス解放軍の主張、ウヌク・エルハイア将軍の経歴、ラキュス・ネーニア家の当主シェラタンが行方不明であることなど、「大きな記事」ばかりで、首都クレーヴェルの現況を伝える生の声や、市民がどうしているのかなど、国民目線の記事はまだひとつもなかった。
配信記事には、クーデター後の首都クレーヴェルの写真もない。
ファーキルは先程、持ち逃げされてもいいように安物の【魔力の水晶】を渡した。あの湖の民の一家は、先行きの不安を抱えていたにも関わらず、ちゃんと返してくれた。
……あんなきちんとした人たちが、街を捨てなきゃいけないなんて、間違ってるよ。
ロークに教えられた隠れキルクルス教徒を思い出し、胸に苦い物が込み上げた。
被害状況や生活関連、ネモラリス国内外のどこにどのくらいの避難者が居るのかなどの情報がなければ、支援のニーズが掴めず、必要としている人に手が届かなくなる惧れがある。
あてずっぽうに用意すれば、どうしても過不足が生じる。限られた資材や人手、資金、救援物資が無駄になりかねない。
戦況や安全情報がなければ、支援者の生命を危険に晒してしまう。
――そうね。
ネモラリス人は端末を持ってなかったんだったわ。
答えやすいように準備してから行くべきだったわね。
それがわかっただけでも上出来よ。
アミトスチグマの協力企業を回ってみる。
今日はもう遅いから、その依頼だけで終わるでしょう。
早ければ明日印刷して、明後日の朝、そっちに行くわ。
引き続き情報収集、よろしくね。
フィアールカの返信に続いて、ラゾールニクからも来た。
――項目のまとめ、ありがとう。
ファーキル君の方はフィアールカさんに頼んだ。
王都と難民キャンプでも同じ質問をする。
二人に了解の旨を返信して、端末を充電器に挿す。
……予定が狂っちゃったなぁ。
ファーキルがこっそり立てた計画では、一週間後にラゾールニクが迎えに来るまで毎日、プラーム市内で魔哮砲と腥風樹、アーテル軍の動きについて可能な限り情報を集め、夕方にはグロム市のホテルに戻ることになっていた。
もし、フィアールカが一緒に動くなら、プラーム市には渡れなくなってしまう。
……できる間に、できるだけ、できることをするしかないよな。
明日は朝一番の船でプラーム市に渡ると決めた。
☆開戦直後の空襲で港湾施設などが被害を受けた、と言うニュース……「203.外国の報道は」参照




