651.避難民の一家
港からホテルまでは街並に気を取られたが、今度は道行く人を観察しながらゆっくり歩く。
運び屋フィアールカに出発前、クーデターから逃れて来たネモラリス島民がいるだろうから話を聞くように、と言われたが、ファーキルには誰がそうなのか、見ただけではわからない。
……そう言えば、腥風樹の件でラズーリ湾の対岸から避難してきた人たちも居るんだよな。
それらしい人がみつかったとしても、ネモラリス人なのかラクリマリス人なのか、本人に聞いてみなければわからない。
見ず知らずの中学生に答えてくれるとも思えなかった。
どこからにせよ、逃れて来た人たちなら、なるべく安い店で食事をするだろう。
ファーキルは以前、地図で見た下町へ足を向けた。
小さな家や雑居ビルが建て込む場所に足を踏み入れると、電波状況が悪くなった。繋がらなくはないが、アンテナの表示は一本と二本が明滅して安定しない。
路地裏にはゴミが落ちておらず、一日中、日が当たらなさそうなビルの隙間にも雑妖が居ない。流石に魔法文明国の都市だけあって、下町にもしっかり【巣懸ける懸巣】学派の守りの術が行き渡っていた。
道行く人はどこかの店の雇い人らしき者や、買物の主婦など、明らかに地元民が多かった。
店の者がファーキルに目を向けるが、観光客だと思われたのか、店の前を通り過ぎると視線を感じなくなった。
バックパッカー向けの安宿の看板をみつけ、歩調を上げる。宿の扉には「満室」の木札が掛かっていた。昼時を前に仕込みが佳境に入ったらしく、あちこちから美味そうな匂いが漂って来る。
ファーキルは安宿のある街区を一周した。
他にも数件、似たような宿はあるが、どこも満室だ。
カフェや食堂の前にランチメニューの小さな黒板が次々と出される。人通りが増え、大荷物のくたびれた人々が混じり始めた。
……避難民……なのかな?
戦争と湖上封鎖の影響で【無尽袋】が品薄になり、値上がりしたと聞いたが、その上げ幅がどの程度なのかは知らなかった。
リュックサックやトートバッグをパンパンに膨らませた人々は、所帯じみていて、明らかに観光客ではない。だが、貧しいようにも見えなかった。
ファーキルは、そんな人々の中から湖の民の一家に目をつけ、同じ方向に足を向ける。
老夫婦と若夫婦、それに幼児二人の六人家族は疲れた様子だが、周囲を警戒する風はない。ファーキルも同じ食堂に入った。
「ちょっとすまんがの、ここは【水晶】に魔力を足しても食わせてもらえるんかの?」
老人がレジに声を掛けると、小太りのおばさんは首を振った。
「ウチは観光客が多いからねぇ。現金か【魔力の水晶】本体か、この表にある食材でしか取引しないんだよ」
レジカウンターの脇に貼られた一覧表には、小麦粉や塩、砂糖など日持ちする食材や調味料の取引量が書いてあった。
「ネモラリスのカネだったら、少しあるんだけど……」
若者がポケットから財布を出したが、レジのおばさんは気の毒そうな顔で首を振った。
「ここはラクリマリスだからねぇ」
「あ、あの、【水晶】に魔力入れてくれたら、食事代、出しますよ」
ファーキルが思い切って声を掛けると、一家が一斉にこちらを向いた。
彼らが通路を塞いだせいで、ファーキルの後ろには行列ができている。青年が曖昧な顔で頷き、店に入って通路を開けた。
レジ横の六人席に落ち着き、改めて言う。
「いっぱいあるんで、疲れちゃうかもしれませんけど……」
ポケットから【魔力の水晶】を出してテーブルに並べる。魔力を充填するだけの安物だ。作用力を補うタイプは、コートの胸ポケットに入れてある。
幼子が伸ばした手を母親がそっと引っ込めさせた。
「ホントに、たったの五粒で食わせてくれるのか?」
「はい。これ、空っぽなんで」
青年は、ファーキルの手袋をチラリと見て頷いた。
「ありがとうございます」
口々に礼を言って、細かい文字が彫り込まれた【水晶】を手に取る。老人が両手にひとつずつ、他の三人は片手でひとつ。
三十人くらい入れそうな店内はいっぱいで、注文を聞いて回る店員がなかなか回って来ない。
ファーキルは老人の緑の眼を見て聞いた。
「みなさんはネモラリスのどちらから来られたんですか?」
「首都のクレーヴェルだ。家は無事だったんだが、店を吹っ飛ばされてしまってな」
「えっ? でも、今は空襲って……」
クーデターの件を知らないフリで驚いてみせる。
「何だ。まだこっちには伝わっておらんのか。……クーデターだ」
老人は白い物が多い緑の頭を垂れて声を落とした。
「クーデター? でも、まだ、アーテルと戦争してるんですよね?」
「あぁ。ウヌク・エルハイア将軍がどう思って決起なさったのか儂らにはわからん。だが、魔哮砲の件に関しては、将軍に賛成だ」
「魔哮砲……魔法生物を兵器利用してる……とかってアレですよね?」
老人だけでなく、老婆と若夫婦も硬い表情で頷いた。
青年が老人と視線を交わし、続きを引き受ける。
「そんなモノを使役するのは絶対、許せないじゃないか。国民に隠れてコソコソ研究して戦争でホントに使ったのも、頭おかしいとしか思えないよ。三界の魔物みたいになったらどうすんだよ」
「そうですよね。俺も、ネモラリスの国会議員たちが、それを告発した動画を見ました」
「ドウガ……?」
ネモラリス人の一家が首を傾げる。
ホール係が注文を取りに来て、話が中断した。
一家は遠慮して一番安い定食を頼んだ。子供たちには麦粥と軟らかく煮た鶏と野菜のスープを作ってもらえることになり、若い母親が泣きそうな顔で何度も礼を言った。
ファーキルは二番目に安い定食を頼み、タブレット端末をテーブルに置いた。
アンテナ表示は二本で安定している。ブックマークした動画にアクセスすると、老人が目を丸くした。
「アサコール党首! ご存命でしたか……!」
「お知り合いですか?」
「いや。ウチは大工道具や漆喰やらの建材を扱う店でな。客は【巣懸ける懸巣】の職人さんだ。勢い、両輪の軸党を応援するようになってな……」
「まぁ、その店はやられちまって跡形もなくなったけどな」
「一家揃って命が合っただけでも有難いと思わないと……」
老婆が、拳を震わせる青年を窘めた。




