649.口止めの魔法
「あんたら、腥風樹ってどんくらい知ってる? 異界の植物なんだが」
「ファーキル君が呪医から詳しい話を聞いている。この間、アーテル軍がネーニア島のラクリマリス領に種子を蒔いた、と言うニュースをインターネットの動画で見た。我々はその時にファーキル君から聞いた」
「あぁ、知ってんだな。この辺でその前に腥風樹の被害が出たのは、ずっと昔のランテルナ島だけだ」
アゴーニが隊長の答えを肯定し、ランテルナ島民と腥風樹の戦いの歴史を簡潔に語る。
あの島の街は腥風樹に滅ぼされ、人々は地下街チェルノクニージニクを作って抵抗を続けた。
千年以上に亘る戦いの末に駆除が完了し、地上のカルダフストヴォー市などは、共和制に移行する少し前の時代に作られたと言う。
「まぁ、小さい港町や農村は半世紀の内乱で壊滅して、結局、残んなかったけどよ」
「で、その毒の木と俺ら、何か関係あんのか?」
少年兵モーフが疑問を口にすると、アゴーニはまぁ待てと手を振って苦笑した。
「腥風樹は、種子にだけは毒がねぇから、素手で触っても平気なんだ」
「それで、アーテル軍でも植えられたのか……」
隊長が苦しげに漏らす。
葬儀屋は首を横に振った。
「俺が言いてぇのは、そこじゃねぇんだ」
「何だよ。勿体ぶってねぇでさっさと言えよ」
「モーフ!」
ソルニャーク隊長に鋭い声で窘められ、少年兵モーフは首を竦めてアゴーニを上目遣いに見た。葬儀屋はまぁまぁと取り成して話を続ける。
「王国軍が研究用に種子を回しゅ……」
苦しげに顔を歪め、唇を引き結んだ。
「どうした?」
「大丈夫か?」
隊長とメドヴェージが気遣い、紙コップに水を足して渡す。モーフはオロオロ見守るばかりで何もできない。
水を飲み干し、アゴーニは大きく息を吐いた。
「軍事機密に触れる話は【制約】の術で口止めされててな……勿論、道案内もできねぇ」
「大丈夫か?」
「無理すんなよ」
「大丈夫だ。言えるとこまで言ってみる」
アゴーニはもう一度、腹に力を入れて息を吐き、細く吸って話を続けた。
「【そ……】……クソッ! 俺と同族の嬢ちゃんの、ぎゃ……全部……今のネモ……えぇー……どっか……だ」
「どう言うことだよ?」
脂汗を浮かべ、どうにか「言える言葉」を絞り出したアゴーニの話は断片的で、モーフにはさっぱりわからない。
ソルニャーク隊長が少し考えて、破片を組み立てて意味を質した。
「昔の王国軍には、薬師の逆……つまり、毒薬を作る学派の魔法使いが所属していた。そして、彼らが腥風樹の種子を全て、現在のネモラリス領……ネーニア島の北部か、ネモラリス島のどこかにある研究所へ持ち帰った、と言うことだな?」
アゴーニはピクリとも動かなかったが、数回瞬きすると、横を向いて嘆息した。
「……スゲェ威力だ。否定も肯定もできねぇ」
「では、今の推測を正しいとしよう。ランテルナ島には一粒も種子が残らなかった、と言うことなのだな?」
これにも反応できないらしい。アゴーニの顔が苦痛に歪む。
メドヴェージが膝を叩いた。
「残ってりゃ、また生えてくるだろうからな。何か細工して芽を出さねぇようにして研究材料にしたんだろ」
「何でそんなコトわかるんだ?」
モーフが首を傾げると、メドヴェージは少し驚いた顔で隣に座る少年兵を見た。
「何でって、イモでもタマネギでもドングリでも、食わねぇで置いといて、時期が来たら芽が出ちまうだろ」
少年兵モーフは、それらが芽を出すところを見たことがなかった。
星の道義勇軍のリストヴァー生活向上活動で、工場の近くの飲食店から野菜のタネをもらって、廃材で作ったプランターに蒔いた。近隣住民に水遣りなどの世話を頼んだが、芽が出るまで何日も掛かった。
ドーシチ市の屋敷などでもらった野菜のタネは、蔓草で作った育苗ポットに土を入れて埋めてから芽を出した。毎日、水遣りをして世話をして大切に育てて、少し大きくなってからは、ランテルナ島の拠点の庭に畑を作って植え替えた。
……あの手間暇は何だったんだよ?
何もしないのに芽が出ると言われても腑に落ちない。イモやタマネギを放置したことなど一度もない。そこから芽が出るなどとは、想像もつかなかった。
「ふーん……?」
わかったフリで頷いて、先を促した。
ソルニャーク隊長の顔が険しくなる。
「では、アーテル軍はどうやって、大量の種子を手に入れたのだ?」
アーテル軍が蒔いた種子は、一粒や二粒ではなかったらしく、ラクリマリス軍は住民を避難させ、血眼になってツマーンの森を探し歩いていた。
アゴーニは答えられないらしい。
しばらく固まっていたが、手の甲で額の汗を拭い、地図に視線を落とした。湖の民の眼は、ネモラリス島の北西部を凝視している。
メドヴェージが小さく息を呑んだ。
「……まさか、ネモラリスから盗んだってのか?」
「そんな危険物の研究所だ。それこそ、魔法で厳重に守られているハズだ」
ソルニャーク隊長が首を振った。
「アーテル軍が盗んだんじゃなきゃ、どうやって手に入れたんスか?」
「可能性の話だが……」
喋れることにホッと息を吐き、アゴーニが仮説を口にする。
「内通者が居るんじゃねぇか?」
重い沈黙を破ったのは、メドヴェージだった。
「スパイが居るってのか? そんなヤバそうな研究所へ出入りできる奴の中に?」
「魔法使いなら、侵入できるのか?」
ソルニャーク隊長の問いに、葬儀屋アゴーニは何とも言えない顔で答えた。
「さぁな。大体、国の重要な機関や病院なんかは、【跳躍】除けの結界やら何やかんや、色んな術で守られてて、そんな簡単に入れるモンじゃねぇ。少なくとも、俺程度の術者じゃムリだ」
「そういうモンなのか?」
魔法が使えれば、何でもできそうな気がしていたモーフは、葬儀屋の話が腑に落ちない。
アゴーニが修めたのは、死者の弔いに関する【導く白蝶】学派。他に【霊性の鳩】学派の術も使えるが、生活を楽にする為の物だと聞いた。
ランテルナ島の拠点では、魔法の【鍵】は掛けた魔法使いより強い奴がどうにかすればこじ開けられるから、と言って葬儀屋と呪医と薬師のねーちゃんと魔法使いの工員が、四人掛かりで掛けていたのだ。
「例えば、このレーチカ市も、防壁にその結界があって、外からは直接【跳躍】で侵入できねぇ」
「そうなのか?」
「あぁ。車か歩きで防壁の中に入りゃ、市内の【跳躍】許可地点から許可地点へは跳べるけどよ」
「ふーん。その結界って奴は、スゲー魔法使いだったら、ぶっ千切れねぇのか?」
「街の結界は、住人や【魔道士の涙】が力の源だ。一人一人は弱くても、何百万人も相手に勝てる奴ぁそうそう居ねぇし、ぶっ千切られりゃ、管理してるとこにゃすぐわかる仕組みになってる」
星の道義勇軍の三人は、他の可能性がないか考えたが、推測の材料もロクにない。
少年兵モーフは早々に諦めた。
……大体、俺らが考えたって、そんなスゲー魔法使いのスパイ相手にどうこうできるモンじゃねぇし。
クーデターで戦闘が散発する首都にピナを助けに行くこともできないのだ。
スパイがどこの誰だかわかったところで、ピナたちの状況は変わらないだろう。
モーフは、紙袋の上から絵本をそっと撫でた。
☆アーテル軍がネーニア島のラクリマリス領に種子を蒔いた、と言うニュース……「499.動画ニュース」~「501.宿屋での休息」参照
☆ランテルナ島民と腥風樹の戦いの歴史……「382.腥風樹の被害」参照
☆ドーシチ市の屋敷などでもらった野菜の種……「271.長期的な計画」「339.戦争遂行目的」参照




