648.地図の読み方
駐車場に戻ると、メドヴェージはすぐに気付いて荷台を開けた。
さっき葬儀屋が点した【灯】はまだ消えていない。木箱を四つ並べ、ソルニャーク隊長が、買ったばかりの地図を広げた。
本屋の匂いがふわりと鼻をくすぐる。絵本が入った紙袋を胸に抱えたモーフは少し嬉しくなった。
「レーチカ市とネモラリス島全域、ネーニア島北部の道路地図を買った」
「ありがとさんです。こいつぁレーチカの奴ですな? 俺ら、今、どの辺に居るんで?」
リストヴァー自治区とは比べ物にならないくらい整った街並だが、地図で見ると太い道と細い道が絡み合って、随分ごちゃごちゃして見えた。
道と街区に地名らしきものが書いてあるが、モーフに読める文字は少なかった。
ソルニャーク隊長が、通りと町の名を言うと、おっさんと葬儀屋が額を寄せて地図に指を這わせた。
「港の東の端っこから、こっちへこう来たから……あぁ、あった。この道だ」
「えーっと、町がここで……あった。この店の駐車場だな」
レーチカ市は湖岸に沿って北西から南東に連なる。
細長い街並の中央より、やや東寄りの一画だった。
……何でたったあれだけの情報で、今の居場所がわかんだよ?
ソルニャーク隊長が、初めての土地でどうやって町と大通りの名を知ったのかもわからない。
「不思議か? モーフも地図の看板を見ただろう。あれに町と通りの名が書いてある。メドヴェージは通って来た道の地形を覚えていて、地図と照らし合わせたのだ」
レーチカ市の西――左側は水色一色で塗られ、ラキュス湖を表している。
左下の隅には記号の一覧があり、隊長はひとつずつ説明して、モーフに地図の読み方を教えてくれた。
メドヴェージとアゴーニは、その横で別の地図を広げて何やら話し込んでいるが、モーフはそれどころではない。
一回や二回、聞いただけでは覚えられそうもないが、どうにか大体の流れはわかった。
「モーフ、どこでもいいから、図書館を探してみろ」
理解できたかどうか試される。
少年兵モーフは、教えてもらったばかりの記号一覧で「図書館」を確認し、街の中に目を凝らした。
「ここっス」
みつけた印を指差す。
「よし。では、ここからの最短ルートを辿ってみろ」
「えーっと……?」
図書館の前は太い道が南北に走っている。それを辿り、さっき歩いた太い道に入って駐車場を指差した。
「うむ。それは一番迷い難い道順だな。それも悪くないが、細い道を通って目的地まで斜めに進んだ方が移動距離は少なくて済む」
「そうなんスか?」
驚いて地図から顔を上げる。ソルニャーク隊長は、図書館の印から駐車場まで、太い道に挟まれた細い道を小刻みにくねくね辿ってみせた。
「指の長さと道の長さを比べてみろ」
言われた通り、掌を地図に押し当てて、人差し指を道に沿わせる。隊長の言う通り、モーフが辿った道は人差し指一本半だが、隊長の道は一本で済んだ。
「実際は、こんな狭い道にトラックは入れん。徒歩で初めての街を行くのにこんな入り組んだ細道を選べば、迷って却って時間が掛かるだろう。状況に応じて臨機応変に使い分けるんだ」
「へぇー……」
自治区のバラック街には、道らしい道がなかった。
夜の間に住人が魔物に食い殺されて空家が出れば、取り壊されるか、他の住人が自分の物にする。バラックは毎日、どこかで建てられては消え、昨日通れた道がなくなり、あった家がなくなって道になったりして、地図が作れるような場所ではなかった。
まともな道は、東の工場地帯と商店街の間のトラックが往来する大通りや、そこから団地地区の方へ行く数本の車道くらいしかなかった。
団地地区やもっと西の農村地帯には、ちゃんとした道があったが、モーフは滅多にそちらへは行かなかった。姉の蔓草細工を売りに行った時くらいだ。泥棒の疑いを掛けられたら、その場で自警団に射殺されてしまう。
「隊長、今夜から山の方にある旧街道で休んじゃどうかって話してたんスが、どうしやす?」
こちらの話が終わったと見て、メドヴェージが声を掛けた。
ソルニャーク隊長が、レーチカ市の地図を畳んで、二人がネモラリス島全域の道路地図を置く。
「ここがレーチカ。で、ウーガリ山脈の裾野の森ん中にあの、えー、クブルム山脈と同じで、地脈の力に守られた古い道が残ってるそうんなんでさ」
あっちとこっち、とメドヴェージのごつい指が、ネモラリス島を南北に分断する山脈の北側と南側を撫でた。
少年兵モーフは、ネーニア島の東、医療産業都市クルブニーカから西端の北ザカート市まで、森を一直線に横切ったことを思い出した。
トラックで目一杯カッ飛ばした山裾の道は、森の名を取ってレサルーブ古道と呼ばれる。
「一車線しかないが、昔、馬車で通ったことがある。所々、馬を休ませる広場があって、そこも結界で守られてる。まぁ、今も当時のままだったらのハナシだが……」
「おいおい、馬車って……あんた、幾つだよ?」
メドヴェージが葬儀屋アゴーニの顔をまじまじと見る。
湖の民はニヤリと笑った。
「呪医よりちっとばかり年上だ。五百年近く生きてる。ま、信じる信じないは任せるよ」
「五百年……ッ?」
三人の声が重なった。途方もない歳月だ。
少年兵モーフは、自分の何十倍なのか、計算もできない。
「俺はまぁ、こんな商売だからな。王国軍ともそこそこ付き合いがあった。共和制になってからは軍の仕事を請けちゃいねぇが、ずっと昔の王国軍の時代にゃ、俺も若かったからな。色々やってた」
「では、あの呪医とも、その頃からの知り合いなのか?」
ソルニャーク隊長の問いに湖の民の葬儀屋は首を振った。
「いいや。あの呪医と直接顔合わせたのは、内乱が終わって、ゼルノー市に腰を落ち着けてからだ」
「直接?」
「軍医は貴重だからな。騎士の人らの噂話くらいは耳に入るさ」
「ふーん」
少年兵モーフは、わかったようなそうでもないような半端な気持ちで頷いた。
モーフ自身、星の道義勇軍の全員と知り合いになったワケではないが、偉い人の顔だけなら何人か知っているし、自分たちとは別の部隊に凄腕の狙撃主が居るらしいと言う噂は耳にした。
「何で、こんなとこで情報収集してたかってぇとだな……」
口の中で、言えるかな、などと呟いて長命人種の葬儀屋アゴーニは、星の道義勇軍の三人を見回した。
……何だよ? 言いたきゃ勿体つけてねーで言やいいじゃねぇか。
軽い苛立ちを籠めて、葬儀屋のおっさんを睨む。
アゴーニはモーフの視線を全く気にも留めず、ひとつ咳払いして質問した。




