647.初めての本屋
「お前さんたち、いつもこの駐車場で寝てんのか? 高くつくだろ?」
「いや、港だ。今は買出しの途中で一時的に置いている」
「路駐で免許証見せろっつわれたら、おしまいだからな」
ソルニャーク隊長と運転手メドヴェージの答えに、葬儀屋アゴーニは腕組みをして考え込んだ。
「何だよ? 何考えてんだよ? 港に戻っちゃマズいのか?」
少年兵モーフは沈黙に耐えられなくなって湖の民の葬儀屋に話し掛けた。
ソルニャーク隊長が今朝、ネモラリス島の北西部へ行くと言って、その準備の為にレーチカ市内で食糧などを買い込んだのだ。
魔法使いのおっさんなら、首都へ戻ると言ってくれるかと期待していたが、さっきからみんながこっちに来るようなことばかり言って、こっちから迎えに行った方がいいとは言ってくれない。
葬儀屋アゴーニは考え事の邪魔をされても別段、腹を立てる風もなく答えた。
「クーデターが起こって、今は首都でドンパチやってるが、その内、こっちにも飛び火するかも知んねぇ。場合によっちゃ、港は危ねぇかもな」
「何でだよ?」
隊長以上にイヤな予想をする葬儀屋を睨みつける。
アゴーニは緑の眼に暗い光を宿して答えた。
「今、アーテルの空襲は鳴りを潜めてる。水軍を呼び戻したら……わかるな?」
「港が……戦場になるってのか?」
モーフが声を絞り出すと、葬儀屋だけでなく、隊長とおっさんも同時に頷いた。
「それで、地図を手に入れたいのだが……」
「あぁ、本屋を探してんのか。地図の他に要るモンは?」
「他は大丈夫だ」
「大きい街だからな。本屋はいっぱい見たぞ」
ソルニャーク隊長と葬儀屋アゴーニが同時に腰を上げたが、メドヴェージは動かなかった。立ち上がったモーフがおっさんを見下ろす。
「行かねぇのかよ?」
「ん? 地図一枚買うだけのこって、みんなで行っちゃ、邪魔んなるだろ。隊長、俺ぁ留守番しときやす」
「わかった。頼む。……モーフはどうする?」
「えっ? 俺も留守番なんスか?」
おっさんと二人きりでは、構い倒されて暑苦しいに決まっている。それに、初めて耳にした「本屋」がどんな店なのか気になった。
ソルニャーク隊長は、ついて行きたがっているのを察してくれた。運転手のメドヴェージを量販店の駐車場に残し、三人で本屋へ向かう。
「えーっと、確かあっちの方だったと思うが……」
自信なさそうに首を傾げる割に、葬儀屋アゴーニの足取りには迷いがなかった。渋滞の車列をすり抜け、どんどん先へ行く湖の民のおっさんについて行く。
四車線の広い道路の両脇には、街路樹が整然と立って常緑の枝を天へ伸ばす歩道がある。様々な店が軒を連ね、店先に人集りができて道を塞ぐところが幾つもあった。
街路樹と似た色の湖の民の頭は、みんな店の方を向いている。通り過ぎ様に覗くと食料品店だ。値段交渉の声は悲鳴や怒号混じりで、人々は殺気立っていた。
「あぁ、ほら、あれだ」
幾つか道を渡り、角を曲がったところでアゴーニが指差す。看板が出ているのだろうが、少年兵モーフに読める字は少なく、たくさん見える内のどれがそうなのかわからなかった。
二人はモーフを置いてどんどん先へ行く。
湖の民が多い人混みの中、見失いそうになって慌てて後を追った。
「ここだここだ」
アゴーニが手を振る。二人は店の前で待っていてくれた。
隊長たちに続いて店に足を踏み入れる。嗅いだことのない匂いに圧倒され、モーフの足が止まった。イヤな匂いではない。どこか懐かしい感じがして、何となく落ち着く匂いだ。
隊長と葬儀屋は天井を見上げてキョロキョロしていた。天井からぶら下がった看板は、多分、本の種類が書いてあるのだろう。モーフの知らない単語ばかりで、早々に探すのを諦めた。
ゼルノー市の図書館と同じでたくさんの本棚が並ぶが、図書館と違って、その前の低い台にも本が積んである。静かな店内では、数人の客が通路に立って本を広げていた。
「お、あった。あっちだ」
二人が行く方へ、少年兵モーフもついて行く。
……何でこんなに違うんだ?
ここの本は図書館のものより輝いて見えた。
同じように本がたくさんある場所なのに、匂いも雰囲気もまるで違う。図書館の本は魔法で守られている、と薬師のねーちゃんが言っていたのを思い出した。
二人は、明らかに子供向けとわかる本棚に挟まれた通路の奥へ入って行く。
視界に入る色とりどりの表紙には、モーフにもわかる簡単な単語が並んでいた。
少年兵の眼が、一冊の本に釘付けになる。
隊長たちは、その先の細い抽斗の棚が並ぶ区画へ行ってしまったが、モーフは動けなかった。
その本は、湖を背景に青い宝石が描かれ、白い字で「すべて ひとしい ひとつの花」と書いてある。
……これって、あの歌の題じゃねぇか。何でこの本……?
思わず手に取る。
中身は色刷りの絵と少しの文章だ。
絵と知っている単語で、魔法使いが何かと戦っているらしいとわかったが、全部は読めないので詳しい内容まではわからない。
畑や森が枯れ、荒れ果てた大地に人や動物の死骸が転がる場面から始まり、涸れた井戸を囲んで困っている人々の絵、ドーシチ市の屋敷よりも大きくて立派な建物の絵、その中らしき広い部屋で、椅子に座った立派な服の男の前に五人の男女が跪き、その周囲を大勢が囲む場面……
モーフは知っている単語を拾うのがもどかしくなり、絵だけを見てページをめくった。
荒れた大地を旅する五人の絵、茶色く枯れた草原でモーフの知らない生き物の背に乗った一団と五人が出会う一幕。
五人の内、湖の民の女は、呪医セプテントリオーと同じ徽をつけていた。首飾りではなく、大きな襟に直接着けているが、片方だけ翼の付いた蛇の形は同じだ。
出会った一団の怪我人を癒して、何か教えてもらったらしい。
五人は彼らが指差す方角へ歩いて、枯れ草の草原を抜け、砂漠を渡ってゴツゴツした岩が転がる場所に着いた。
ページをめくる風に乗り、本屋と同じ匂いが鼻をくすぐる。
岩場の空には、モーフが見たことのない長大な魔獣が一頭、浮かんでいた。
翼がないのにどうやって飛んでいるのかわからないが、次の場面で、五人は空飛ぶ巨大な魔獣に剣と魔法で攻撃していた。
……魔獣って、でけぇ方が強ぇえんだろ? こんなモンに勝てんのか?
恐る恐るページをめくると、魔獣は地に落ち、どうにかやっつけた五人もボロボロだった。その絵の隅っこには大勢の人が喜ぶ姿が描かれている。
絵本はまだ続いていた。
五人が何かの魔法で魔獣の死骸を拳大の石に変える。
陸の民の男が傷付いた身体を岩山に変え、四人は魔獣だった石を持って、岩山の地下にできた洞穴に降りた。
「モーフ、帰るぞ」
ソルニャーク隊長の声に、本を落としそうになった。
慌てて閉じて、表紙を見せる。
「あ、あのッ! これ……ッ!」
「何だ坊主、絵本欲しいのか?」
「違う違う。これ、あの歌と同じ題なんッスよ!」
アゴーニに首を振り、隊長に題字を指差して訴える。
余計な物を欲しがっていると思われるのは癪だった。
「フラクシヌス教の神話の本か……」
ソルニャーク隊長の声には何の感情もなかったが、少年兵モーフは一気に肝が冷え、頭が真っ白になった。
湖の民の葬儀屋が、モーフの手許を覗いて言う。
「自費出版か。帯に『売上の一部は難民支援の活動に寄付します』って書いてあるな。ネモラリス建設業協会に送って、アミトスチグマの難民キャンプの住環境整備に使うってよ」
葬儀屋アゴーニが、本棚の前に積まれた同じ本を手に取り、パラパラめくる。
「歌詞募集って何だこりゃ?」
「これは……あの歌か……?」
丸めた地図を抱えた隊長が、アゴーニの肩越しに見て声を上げた。
「ん? 何でお前さんらがフラ……いや、知ってんだ?」
他の客に怪しまれかねないと気付き、アゴーニは言葉を飲み込んだ。
隊長が硬い声で言う。
「トラックにレコードがある」
「レコード?」
「これも買おう。モーフ、帰るぞ」
☆いや、港だ/ネモラリス島の北西部へ行くと言って……「606.人影のない港」参照




